【おじいちゃんアクション短編小説】老翁の一手 ―真田徳栄の秘技―

藍埜佑(あいのたすく)

第1話「縁側の龍:静寂に潜む力」

 朝日が昇り始めた東京の下町。

 真田家の縁側に、一人の老人が腰を下ろしていた。

 真田さなだ徳栄とくえい、78歳。

 小柄で華奢な体つきに、肩まで伸びた白髪が朝日に輝いている。

 穏やかな表情で、ゆっくりとお茶を啜る姿は、まるで時が止まったかのようだ。


 家の中からは、慌ただしい足音が聞こえてきた。


「おじいちゃん、また縁側? まるで置物みたい~。だってずっとそこに座ってるんだもん!」


 元気な声とともに、10歳の少女が裸足で縁側に飛び出してきた。真田さくらだ。


 徳栄はにっこりと笑って答えた。


「おはよう、さくら。今日も元気だねぇ」


「うん! でも、おじいちゃんったら、本当に朝からずっとここにいるの?」


 さくらは、おじいちゃんの隣にちょこんと座った。徳栄は優しく孫の頭を撫でる。


「わしはね、こうしてじっとしているのが好きなんじゃよ。じっとしていると、世界が動いているのを感じられるからね」


「え~? よくわかんない」


 さくらが首をかしげていると、家の中から声が聞こえてきた。


「さくら、朝ごはんよ! 学校に遅刻しちゃうわよ」


「はーい!」


 さくらは飛び上がるように立ち上がり、家の中へと駆け込んでいった。その後ろ姿を、徳栄は穏やかな笑みを浮かべながら見送った。


 しばらくすると、娘の美倉みくらと婿の健太郎けんたろうが出勤の準備を整えて縁側に顔を出した。


「お義父さん、今日もよろしくお願いします」


 二人は徳栄に向かって頭を下げる。


「ああ、行ってらっしゃい。気をつけてな」


 徳栄は穏やかに二人を見送った。家族が出かけた後、徳栄はゆっくりと立ち上がり、庭に向かった。


 小さな庭には、季節の花々が咲き誇っている。徳栄は丁寧に花の手入れを始めた。その動作は、年齢を感じさせないほど滑らかだ。


「おはようございます、徳栄さん!」


 隣家の主婦が、買い物帰りに声をかけてきた。


「おや、小林さん。今日も早いねぇ」


「ええ、今日は特売日なんです。徳栄さんも、お孫さんのためにお買い物でもどうですか?」


「ありがとう。でも、わしはこうして庭いじりをしているのが楽しいんじゃ」


 徳栄は優しく微笑んだ。小林さんは、「本当に穏やかな方ね」と言いながら立ち去っていった。


 午後、徳栄は縁側に戻り、再びひなたぼっこを楽しんでいた。そんな中、学校から帰ってきたさくらが飛び込むように縁側に現れた。


「おじいちゃん! おじいちゃん!」


「おや、さくら。どうしたんじゃ?」


「ねえねえ、明日は楽しみにしていた春祭りだよ! 学校でみんなが話してたの。わたし、楽しみで楽しみで……」


 さくらの目は輝いていた。徳栄は優しく孫の頭を撫でながら言った。


「そうかそうか。楽しみじゃな。わしも行くのを楽しみにしているよ」


「本当!? やったー!」


 さくらは飛び上がって喜んだ。その姿を見て、徳栄は心の中で静かにつぶやいた。


(祭りか……懐かしいのう。昔はわしも……いや、違う。今のわしは、ただのひなたぼっこ好きなおじいさんじゃ。それでいいんじゃ)


 徳栄の目に、かすかな懐かしさの色が浮かんだが、すぐに消えた。縁側に座る彼の姿は、相変わらず穏やかで静かなものだった。


 夕方になり、美倉と健太郎が帰宅してきた。さくらは両親に向かって、明日の春祭りの話を興奮気味に語り始めた。家族全員で夕食を取りながら、春祭りの話で盛り上がる。その中で、徳栄はほとんど口を開かず、ただ優しく家族の会話を聞いていた。


 夜、就寝前のひととき。徳栄は一人、縁側に座って夜空を見上げていた。静かな夜の中、真田家は明日の祭りへの期待に包まれながら、眠りについた。

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