エイプリールフール

佐々井 サイジ

第1話

 商業施設に入ると、暖房の空気が流れてきて冷気で痛かった耳が優しく包まれるように癒されていった。長岡は自分と同じように肩から臀部まであるバドミントンのラケットバッグを担いだ尾藤と島田に一階のハンバーガーチェーン店に行こうと誘った。午前中の練習で高校の外周を走らされて、三人とも家に帰って食べるのが待てなかった。

 注文したセットが届いてポテトをつまんで食べているとき、長岡は二人に言おうとしていたことを思いだした。

「和野に、めっちゃほんまっぽいエイプリールフールの嘘ついてやろうや」

 尾藤と島田はすぐに口の端を持ち上げた。和野は長岡らと同級生で二年になる直前だった。四人は一年のときに同じクラスだったことからグループで行動するようになった。長岡の通う高校はよほど担任と生徒の相性が悪いことがなければクラス替えはない。長岡が尾藤、島田、和野と二年も同じクラスになることは確定的だった。

 最初は仲良くしていたのだが、和野が明らかに知らないことでも知っているようなことを言うため、長岡、尾藤、島田は密かに辟易していた。しかし、嘘を言っている確定的な証拠を掴めないでいたので、指摘することもできなかった。

 だから長岡はエイプリールフールを利用し、嘘を和野に言って引っかかったところで指摘しようという算段だった。尾藤と長岡も乗り気でエイプリールフールに向けて嘘を拵え始めた。

 長岡ら三人はエイプリールフールである四月一日に、ゲームをする目的と称し、和野を尾藤の家に呼ぶことにした。和野はすぐに食いついて返事が来たが、夜から用事があると言うことだったので夕方までになった。もともとそんなに長くいる一緒に過ごすつもりもなかったため適当にやり過ごした。

「このゲーム、知ってるわ。めっちゃやりこんだもん。懐かしいわ」

 和野はゲームソフトの入っているケースを見ながら独り言のように喋っていた。和野の眺めているゲームソフトは三ヶ月前に発売されたもので懐かしいというには不自然である。早速出始めた知ったかぶりに長岡らは目を合わせて笑みを浮かべた。

 まだ種明かしをするには早すぎる。しばらくゲームをして遊んだ。

「和野、高校の近くに高校生でも酒飲んでもいい居酒屋できたん知ってる? 今度行ってみようや?」

「いいね、行こう」

「俺も行く」

 尾藤と島田は笑いをこらえながら長岡の適当に拵えた嘘に便乗している。

「知ってる! この前その店の前通ってきたで。高校生でも酒が飲めるってマジで大丈夫? うまい抜け穴でも見つけたんか?」

 和野が嘘を付いていることは明らかだったが、こうも流ちょうに言葉が出てくると、長岡がついた嘘が本当に存在すると思うほどだった。

 仕上げはここからだった。長岡は尾藤と島田と目を合わせた。

「そういえば和野、知ってる?」長岡は一拍ためて言った。「担任の星崎、首吊って死んだらしいよ」

 星崎は四十代の担任の男で、風紀に厳しく、寝癖だらけの和野をいつも厳しく叱りつけていた。やたら和野を目の敵にしているのか、授業のときに和野を立たせ、厳しい声で説教していた。ひどいときは和野が泣き出していたが星崎はお構いなしに和野をせっかんし続けた。

「まじ?」和野は言った。

 長岡、尾藤、島田は再び目線を合わせた。知ったかぶりをしない、と目で驚いているのがわかった。

「やったー!」和野は両手を突き上げて叫び声を上げた。

「ほんとにほんとにほんとだよな」

「え、あ、ああ」

「マジ嬉しい。俺さあ、これから星崎殺しに行くところだったんだよね」

 三人が顔を見合わせた。和野は気づく様子もなく、鞄から包丁を取り出した。

「もうマジで腹立ってさあ。俺が馬鹿だからって見下せると思って説教ばっかりしやがってさあ。舐められてばっかだともう我慢できなくなって、俺もう殺人犯になってもいいやって思って殺そうとしてたんだよ」

 和野が手にした包丁の刃は異様に細長かった。和野のことなので冗談とは思えない。

「和野、ちょっと待ってて。お菓子取って来るわ」

 尾藤が和野に声をかけると何の疑いもなく返事した。尾藤は長岡と島田に目線を合わせ、長岡と島田も和野に適当に声をかけて部屋を出た。

「おい、やばいことになったぞ」

 尾藤が声を殺しながら二人に言った。

「今のうちに嘘だって言っといたほうが良くね?」

「おい、和野の目見たか? めっちゃいかれてたぞ。嘘ってわかったらあの包丁で俺ら襲われるに決まってる」

「いや、俺ら三人で先に和野を羽交い絞めにしたら防げるはず」

「他にも凶器持ってたらどうすんだよ」

「でも嘘だとしてもあと一週間後にはバレるだろうが」

 一週間後は春休みが明け、新学期が始まる。担任は持ちあがり制なので、星崎が生きていることは一瞬にしてバレてしまう。

「よし、じゃあ部屋に帰ったら、尾藤は包丁に興味あるふりして和野から包丁を借りるんだ。それで、包丁を和野から遠ざけたあとに正直に打ち明ける。もし怒り狂ったら羽交い絞めにする。これでいこう」

「そんな洗い計画で大丈夫か?」

「これくらいしか思いつかねえんだから仕方ねえだろ」

 三人はほぼ同時につばを飲み込んだ。喉ぼとけが大きく上下する。

「悪い、遅くなった」

 適当な菓子をお盆に載せて尾藤が和野の前に置いた。

「疲れたろ、全部食べてい言って、こいつらが」

「お、おう」

「まじで! ありがとう!」

 和野は疑うことなく菓子に手を付け始めた。包丁は和野の手元に置かれている。

「その包丁かっこいいな。俺、り、料理するから包丁興味案だよね」

「そうなの? 殺せそうなの適当に選んだだけだけど」

「ちょっと貸してくんね?」

 長岡と島田が尾藤と和野を見つめた。和野に緊張感が伝わらないか心配でならなかった。

「いいぞ」

 悪い予想と反して、あっさりと和野は尾藤に包丁を貸した。尾藤は包丁を目元にやり隅々まで眺めつつ、和野から一歩、二歩、と距離を空けた。和野は長岡に視線を送った。

「わ、和野。ごめん」

 長岡は頭を下げた。普段馬鹿にしている和野に頭を下げるのは恥でしかないが、すでに狂気じみて命の危機にさらされている今、プライドの問題ではなかった。

「何? 謝られるようなことした?」

「いや、実は今日、エイプリールフールで……」

「え?」和野は一瞬虚空を見上げた。「ああ、今日四月一日だよな! それがどうした?」

「いや、それで、星崎が死んだっていうの、嘘なんだよ……」

「は?」和野の眉間に深いしわができ始め、長岡ら三人は一斉に床に額をつけた。

「ごめんごめんごめんごめん。ちょっとからかうだけだった。お前がそんな本気なんだって知らなかったんだよ。許してくれ」

「おいちょっと待て」和野は黄ばんだ歯を見せた。「そういうことか」

 沈黙が部屋の中に漂った。逃げるべきであることは三人ともわかっていたが脚は曲がったまま動かなかった。

「エイプリールフールだから、星崎が実は生きてましたっていう嘘だろ。おい冗談じゃねえぞ」

 和野は腹に手を当てて笑い出した。まずい方向に勘違いをしている。

「いや、星崎が生きてるのが本当なんだって。死んだのが嘘」

「もういいよわかったって。しょうもない嘘つくなよ。星崎は死んでるんだろ」

 いくら言っても和野は信じず、尾藤が出したお菓子をむさぼり続けている。このままにしておくべきだろうか、三人は目を合わせた。しかしどのみち新学期になれば星崎が生きていることはわかる。でも今よりその時の方が逃げられるのではないか。

 三人はそれ以上和野を説得することはせず、ただ黙って菓子を食べる和野を眺め続けていた。

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