第6話 申し込み1…ノイアー・エムナール視点
つい先日、砂漠の民エネルとの戦争の勝利へのめどを付け、プラタニア王国に一時帰国したばかりのノイアーは、一日の休養を取ることなく、朝から軍本部に出勤する為に玄関に向かった。そんなノイアーの前に、執事が一通の封書を持ってやって来た。
「旦那様、隣国から釣書が届いております」
「は?俺にか?」
ノイアー・エムナール、侯爵家次男に生まれ、既に家を出てエムナール伯爵位を継承している貴族ではあるが、二十六歳になった今まで、妻はもちろん婚約者もいたことがなかった。
地位や名誉でいえば引く手あまたであってもおかしくないノイアーが、なぜ婚約者もいないのか?
それは、彼の持つ畏眼のせい以外の何物でもなかった。
ノイアーの生まれた侯爵家は、代々軍人を輩出する家系であったが、数代に一人、濃紺の瞳に畏眼を宿す子供が生まれた。
畏眼持ちは戦闘能力がずば抜けて高く、また軍を統帥する能力が天才的に優れていた。しかし、畏眼と呼ばれる理由は別にあった。畏眼からは常に覇気が溢れ出て、通常の人間ならば目が合っただけで恐怖に震え、気の弱い者ならば失神してしまうくらいだった。
そんな恐怖の大王みたいな人間に嫁ぎたい貴族令嬢はおらず、ノイアーの側に寄れる人間も限られていた。
彼の母親でさえ、ノイアーと目を合わせることもできなかったくらいで、彼の乳母がいなければ、成長できていたかも怪しかった。
「配達間違えじゃないのか?」
「いえ、間違えではないようです」
封書を確認すれば、一字も間違いなく、ノイアー・エムナール伯爵様となっていた。
「とりあえず、仕事に行かなければならないから、休憩時間にでも見ることにする」
封書を折り曲げて鞄に押し込み、ノイアーは靴音を響かせて表に出ると、愛馬にまたがって軍本部のある王城へ馬を走らせた。
王城につき、まずは大将執務室へ向かう。執務室のドアを開けると、副官であるミッタマイル中将と……なぜかサミュエル第二王子が部屋でくつろいでいた。
「やあノイアー、お邪魔しているよ」
「殿下、朝議はどうした」
「うん?おじさん達の長ったらしい話なんか、朝から聞きたくないじゃないか。大丈夫、カシューを代わりに行かせたからね。それにノイアーのおかげで勝機は見えているからね、あとは兵力を叩き込むだけじゃないか。ごちゃごちゃ話し合う意味がわからないよ」
少し長めの金髪をかき上げながら、王族特有の空色の瞳に笑みを浮かべる。この美貌と穏やかで優しそうに見える表情から、国民人気が一番高い王族ではあるが、実際の彼は腹黒さのある策略家だ。そして、ノイアーと視線を合わせられる数少ない人間の一人でもある。
ノイアーはその畏眼から、見習い軍人になった十二年前に、サミュエルの護衛兼遊び相手に抜擢され、しばらくの間、サミュエルの側にいたことがあった。ノイアーにとっては、六歳年下のこの王子は、護衛対象であると同時に、初めてできた友人でもあった。
「確かに、彼らの話は朝から眠気を誘うが、それを聞くのが王族の仕事だろ」
「カシューに要約させれば十分で終わる話さ。わざわざ二時間も聞きたくないよ」
それを二時間聞く側近のカシューは悲惨だなと思いつつ、ノイアーは鞄の中から書類をテーブルに出す。
「何、これ」
釣書の入った封書をテーブルに置いたのを、サミュエルは目ざとく見つけて手に取った。
「釣書だそうだ」
「釣書!?ノイアーに?」
「人違いかもしれないが、名前は俺の名前になっているな」
「凄い、怖い物知らずだね。うちにそんな令嬢いたっけ?」
「いや、隣国らしい」
「ゴールドフロント王国か」
サミュエルはノイアーの許しもなく、釣書を取り出して読み出した。それを後ろからミッタマイル中将も覗き込む。
「凄いな、この娘、隣国の侯爵令嬢だって。しかも、年齢が十六?ノイアーの十こも下じゃん。へぇ、あっちの王太子の婚約者候補でもあったらしいよ」
ノイアーは平然とした様子でサミュエルが読み上げることを聞いていたが、内心はなんでそんな若い娘が自分なんかに……と、驚きと共に不信感を覚えていた。
「ヒュー、これはまた」
サミュエルが口笛を吹き、中に入っていた紙をノイアーの前に置いた。それは令嬢の肖像画で、そこには妖精のように愛らしい少女が、穏やかに微笑んでいた。
「まあ、三割引きに見るとしても、それなりに可愛い娘だね。釣書の肖像画なんて、マシマシに描いているとは思うけどさ」
「これは……隣国の諜報活動でしょうか」
ミッタマイル中将が口を開いた。
プラタニアが死の砂漠においてエネルの民と戦っていることは、世の中の誰もが知っているが、その戦況についてはあえて公示していない。先日の戦争でも、エネルの主戦力を叩くことができ、あとは敗残の民が纏まる前に彼らの数あるアジトを抑えることができれば、完勝と言える。あと一歩、本当にあと一歩で死の砂漠を制圧でき、念願であった貿易路が確保できるところまで来ていた。
ゴールドフロントとしても、プラタニアの勝敗が気になってしょうがないだろう。しかも、完敗を願っていることは間違いなく、今、この状況でゴールドフロント王国からの縁談話など、戦況を調べる為の諜報活動の手段か、エネルの民との戦争になんらかの茶々を入れるつもりだとしか思えない。
そんな分かりきった罠にかかる必要もないだろうと、ノイアーが姿絵を破り捨てようとしたら、サミュエルにその姿絵を取り上げられてしまう。
「ちょっとこれを預からせてよ」
「預かってどうするんだ」
「本当に隣国の王太子の婚約者候補だとすると、少し使い道があるかなって思って。まぁ、それだけでもないけどさ」
ノイアーは肩をすくめて見せる。
「好きにすればいい。それより、朝の鍛錬の時間だ。ミッタマイル、鍛錬場に行くから、書類整理は頼んだ」
「了解しました」
ノイアーは軍服の上着を脱ぎ、ミッタマイル中将に手渡すと、執務室を颯爽と後にした。
「ミッタマイル中将、ほぼ確定だと思うけどさ、この縁談をノイアーには受けてもらうことになると思うんだ」
「え?」
そんなことを、本人がいないのに副官である自分に言われてもと、ミッタマイル中将の頬が引きつる。
「この娘がこっちに来たら、外交の切り札……まあ人質として彼女には役に立ってもらおうかなって思っているんだ」
「しかし、人質になり得るのは、王太子の婚約者候補に挙がった本物の侯爵令嬢ならばですよね」
「うん、そう。だから、それはこれから調べないとなんだけど……まぁ、本物でも本物じゃなくても、何かしらの使い道はあるだろうから、ノイアーには婚約してもらうことになるかな」
「はあ……」
サミュエルはミッタマイル中将の肩を叩く。
「君には、この婚約のことをノイアーにプッシュして欲しいんだ。よろしくね」
「ええっ!?」
難題を投げかけたサミュエルは、ノイアーに来た釣書を手に、楽しそうに部屋を出て行った。
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