第34話 日ノ宮との決別

「月城さんに連絡しないと」


 病院を出ると、大きな広場が目に入る。

 この病院は時任グループが経営するもので、解呪関連の患者はここに運び込まれるらしい。


(邪鬼の攻撃による怪我や悪鬼になりかけた人の治療は普通の病院じゃ無理だもんね)


 きっと日ノ宮もお世話になっていたに違いない。

 そんなすごいグループの会長さんに夏煌さんとの婚約を応援されたのだから、今さらながら恐縮してしまう。


 病院を見上げながら、月城さんに連絡しようと鞄からスマホを取り出す。


「何で笑っているの?」


 呼びかけられ振り返ると、義母が立っていた。


「あんた一人だけ幸せになろうっていうの? 凛はいまだに目を覚まさないっていうのに……!」

「えっ……」


 凛は柊ちゃんに霊力を吸われたものの、今は眠っているだけで心配ないと説明を受けていた。

 

(二日も経つのに……?)


「知らなかったの? さすが無能はおめでたいわね。来なさい!」


 凛もここに入院していたのだと思い至る。義母はわたしの腕を掴むと、病棟へ引きずるように連れて行った。


 なすがままのわたしは、「日ノ宮凛」と表札に書かれた個室の前で足を止めた。


「見なさい! これがあんたのしでかした罪よ!!」


 義母がドアを横にがらりと開けると、ベッドに横たわる凛が目に飛び込んできた。


 ベッドサイドのモニターは規則正しい音を鳴らし、凛の身体にはたくさんの管が付けられている。

 すぐにでも目を覚ましそうな、あどけない表情で眠っている。


「凛……」

「近付くな!!」


 病室に足を踏み入れると、凛に付き添っていた父から怒号が飛んで来た。思わずびくりと身体をすくめ、足を止める。


「楓……あれほど凛を助けるように言ったのにお前は……」


 怒りを含んだ声を投げかけながら、父は立ち上がり、わたしを見据える。


「わたしが駆けつけたときには凛はもうこの状態でした。わたしではどうしようも……」

「言い訳するな!」


 バシッと平手が飛んできて、一瞬何が起こったのかわからなかった。


「そもそも、お前が月之院なんかと関わったのがいけないんだろう! あんな……野蛮な一族なんかに……!」


 日ノ宮はもう解呪師でもないのに、父から古い考えとプライドは消えていないようだ。


「悪いことをしていたのは日ノ宮です……。きちんと償いをしなければ」

「うるさい!」


 先ほどよりも強い力で頬を殴られ、わたしは病室の床に倒れ込んだ。


「だめよ、もっとちゃんと罰を受けなさい。凛はこれよりも苦しんでいるのだから」


 義母がわたしの両腕を持ち上げ、身体を起こす。正面に立つ父が、それに合わせて平手打ちを繰り出した。


「月之院なんかに毒されやがって! やはりお前は無能の役立たずだ! 凛が……凛だけが我が家の希望だったのに! お前が壊した!」


 両頬を交互に何度も叩かれ、意識がぼうっとする。


「お前が……っ、お前が凛の代わりにこうなれば良かったのに!」


 義母に押さえられ、倒れ込むこともできないわたしは、父の怒りの的のようだ。

 息を切らす父の手がようやく止まったが、義母はわたしを離さない。


「ねえあなた、この子の霊気を凛に注げばいいんじゃない?」


 父の言葉を受け、義母は良いことを思いついたかのように言った。

 恐ろしい提案に背筋がぞくりとする。


「――ああ、そうか。その方法があったか。柊様にできたなら、きっと日ノ宮に秘匿される呪詛を使えば可能かもしれん」

「それに、万が一失敗しても失うものもないし、やってみる価値はあるんじゃない?」


 この人たちは本当にわたしの命なんてどうでもいいようだ。


(もう終わりにしよう)


 義母の手を振り払い、力を振り絞って立ち上がった。


「無駄です。呪詛ならわたしが浄化してしまうので」

「は?」


 初めて口ごたえしたわたしに、義母が口を開けて固まる。


「楓……お前という奴は! 凛が可哀相だと思わないのか!」

「わたしは、わたしを愛してくれる人のために自分を大切にしようと思います! あなたたちのために犠牲になるなんてまっぴらです!」


 怒りで震える父を真っ直ぐに見て主張した。


「楓!! この親不孝もの――」


 父の拳が振りかぶり、思わず目を閉じた。


「……?」


 次にくるはずの衝撃がこず、そろりと目を開ける。


「楓……っ、大丈夫か!?」

「夏煌さん!!」


 絶対安静のはずの夏煌さんがわたしの前に立ちはだかり、父の腕を掴んでいた。


「……楓にこんなことして、ただで済むと思っているのか?」


 赤く腫れあがったわたしの頬を見た夏煌さんが、怒りの形相で父を見る。


「ひっ、つ、月之院! 俺は楓の父親だぞ! 娘をどうしようが俺の勝手だ! お前こそ人の娘をさらっておいて、やってることは誘拐と一緒だろう!!」

「そ、そうよ!」


 わたしの後ろにいた義母は、父に駆け寄り、寄り添う。


「親……ねえ」


 冷ややかな目で一瞥する夏煌さんに、父が焦りながら叫ぶ。


「そ、そうだ! 親権はこちらにあるんだ! 月之院との結婚なんて認めないからな! しかるべきところに訴えてもいい。それが嫌なら楓を返してもらおうか!」

「夏煌さん……」


 彼の背中のシャツをぎゅっと握りしめる。


(どんなに嫌でもあの人たちが親で、わたしは何もできない高校生なんだ……)


 帰りたくなんてない。夏煌さんと一緒にいたい。

 震えるわたしの手を握ると、夏煌さんは何も言わずに頭を撫でてくれた。そして二人へ溜息混じりに向き直る。


「楓が守ろうとした妹だから、待遇を手厚くしてやったものを。今すぐこの病院を出ていってもらってもいいんだぞ?」

「な、何を!? 凛は日ノ宮当主の婚約者だからこそ、好待遇でこの病室に……!」

「おめでたい頭だ」


 慌てる父に、夏煌さんがぴしゃりと言った。


「ここの個室代も、そこの娘の治療費も月之院が肩代わりしている。日ノ宮にそんな財力はとっくになかったことを知らないのか?」

「そ、そんなバカな……」

「柊とかいったか? あの男の犠牲になった女性たちは手遅れだったが、お前の娘は治療すれば目が覚めるかもしれん。だからこの病院に運んでやったのに……」


 ぎろりと睨んだ夏煌さんに父が腰を抜かす。


「あなた! 楓なんてくれてやればいいじゃない! それよりも凛を助けて!」


 床に腰を落とした父に義母が縋りつくように訴えた。


「ああ……そうだな……」


 呟くと、父は夏煌さんの足元へ縋りついた。


「お、お願いします! 楓はあなたに差し上げますので、どうか凛を助けてください!」


 どこまでもわたしを蔑ろにする二人に、今さらでも傷付いてしまう。


「……下衆が」


 夏煌さんの低くて重い声に、父と義母が青ざめるのがわかった。


「いいだろう。その代わり、楓の親権もこちらに譲ってもらう」

「なっ――」

「娘が死んでもいいのか?」

「……わかりました」


 二人のやり取りをぼうっと見ていると、夏煌さんが後ろを振り向く。


「亮磨」

「はいはーい」


 いつの間にか月城さんがいて。

 スーツの男性を二人引き連れて病室に入って来た。


「じゃあ、今ちゃちゃっと手続き済ませちゃいましょうか」

「今だと!?」


 月城さんの合図でスーツの男性から父へ書類が渡される。


「俺は気が短い。交渉はこの瞬間のみだ」

「あ、これうちの顧問弁護士ーズね」


 夏煌さんの冷ややかな空気と、月城さんのおどけた表情がアンバランスで、それが余計に底知れぬ恐ろしさを与えていたようだった。


「鬼……」


 小さな囁きとともに、父が書類にサインをする。

 夏煌さんはその書類を拾い上げると、不敵に笑った。


「俺は鬼の末裔だからな?」 

 

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