第十九話 秋晴れ
香楓は鬼の上っていった空を見る。そこには雲一つない、秋晴れが広がっていた。
天の明神様、ありがとうございます。
御力を貸してくれたことに心から感謝する。張り詰めていた気持ちが途切れ、どっと疲れが押し寄せた。
立っていられないほどの倦怠感に、香楓は膝をついた。
「香楓!!」
すぐに駆け寄り支えてくれる陽輝様は、やはりお優しい。香楓は陽輝様を騙していたというのに。
重たい体を無理矢理動かして、地面に両手をつき、頭を垂れる。
「陽輝様、申し訳ございません」
狩衣の胸の辺りをつまみ、脱いだばかりの烏帽子を示す。
「これは、陽輝様の御側にいたいという、香楓の我が儘でございます。すべての罪は、香楓にあります」
「う…………」
陽輝様が何も言わないので、そっと顔を上げる。すぐ近くに、真っ赤になった陽輝様の顔があった。
怒っているのだろうかと思ったが、そんな感じでもない。
「陽輝様……?」
がやがやと集まってきた、五家の狩衣の色が目に入る。
「光代は、女だったのか!!」
「女などに
「女が狩衣を着るとは!?」
「皇子様を謀るとは!」
集まっていた
こうなることは予測できていた。それを承知で女だと明かしたのだ。何を言われても、心は痛まなかった。
陽輝様の近くで、息絶えられるのであれば……。
ご無事な御姿を拝見できたのだから、もう悔いはない。
願わくば、陽輝様の記憶に、残っていられれば……。
「静まれ!!」
「ですが!!」
「何を謀ったと言うのだ?」
「女であるのに男と偽って!!」
「女が狩衣を着てはいけないと誰が決めた?」
「それは、普通!! 常識で!!」
「その普通とは、誰が決めた?」
闇に沈みそうになる意識の中、香楓は陽輝様が許してくれたのだと理解した。やはり、お優しい御方。
「古くからの書物も確認したが、どこにも女が
「ですが!! その者は、当主代理。女が当主など!!」
「それこそ、女が当主ではいけないと誰が決めた?」
しばらくの沈黙のあと、疑問を口に出せたのは誰だったのだろうか……。
「では、その者が光代の当主に……?」
「香楓は、当主にはならないさ」
陽輝様の声は、秋晴れの下、凛と響いた。
やはり、どこか都から遠いところに行かされるのだろう。
五家の面々が、意地の悪い笑みを浮かべた。その中で、ぶすっと不機嫌な表情が目に止まる。聡司が不機嫌そうな、でも穏やかな、なんとも言えない表情で香楓を見ていた。
陽輝様に「だろ?」と言われて、なんとなく頷く。当主になろうとは思っていない。罰せられる覚悟で、自分の性別を明かしたのだから。
それに、もう、考えていることも辛かった。
陽輝様の腕の中。香楓は、ふわりと抱き上げられた。
「ぁっ……」
倦怠感に加え、頭痛が始まった香楓の体は、ぴくりとも力が入らない。
「香楓は、俺に輿入れするからな。俺の妃は、香楓だ」
頭痛はどんどんひどくなり、気づけば身体中がじくじくと痛んでいた。
幻聴が聞こえている。自分こそ強欲だなと、香楓は心の中で笑ってしまった。自分に都合がいい言葉が聞こえるなんて。
「ですが、その女は、皇子様を謀って!」
「だから!! 狩衣を着ていたからといって、謀ったことにはならないだろ。現に俺は、香楓が女だと知っていたのだから。それに、五家のお前らが祓えないような鬼を、一人で祓ってしまった香楓の力に、お前らは文句をいえるのか?」
陽輝様の声が、ぼやけて聞き取れない。少しも聞き逃したくないのに。
「うぐ……」
五家の面々が、悔しそうに顔を歪める。
香楓が朦朧としているうちに、陽輝様が話をまとめてしまう。
「香楓!!」
ぐったりした様子に気がついた陽輝様が、早足で歩きだした。
「今後のことは追って伝える。聡司は頼みがある。来てくれ」
どこかに運ばれたことは覚えている。床に寝かされ狩衣を脱がされた辺りで、意識が途絶えている。
気がついたのは、次の日だった。夜着に着替えさせられ、陽輝様の部屋の布団に寝かされていた。お優しい陽輝様は、香楓が女だとわかっても、良くしてくれるようだ。
香楓が目を覚ましたことに気がついた従者に、体を起こしてもらい、水を飲ませてもらった。全身の痛みと倦怠感は少しだけよくなったような、あまり変わらないような、そんな状態だった。
「体力を消耗しています。お食事をとりましょう」
粥を一口ずつ運んでくれる従者に、「ありがとう」と伝える。
「私は、生きていてよかったのかしら」
従者の女性は、目を見開いて香楓を見た。
香楓はこの身と引き換えに、天の明神様の御力をお借りした。天の明神様は香楓の願いに答えてくれたのだから、代償として差し出した体が無事なのはおかしい。
「香楓様が気がつかれたということは、天の明神様は命までは奪わなかったということです。ですから、食べられるだけ食べて、回復なさってください。こちらは皇子様が、天の明神様にお供えしたお米から作ったものです。お味はどうですか?」
優しい甘味があるように感じた。
「美味しい」
「そうですか。では、天の明神様は、香楓様に元気になってもらいたいのでしょう」
彼女は、香楓が「もう無理」と言うまで、粥を口に突っ込み続けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます