第十七話 召集と募る想い2

 いくら見ようと思っても、土守のいう刀は見えない。真っ黒い靄を纏う鬼も、その場で刀を振り回しながら大声を出すのみで、近づいては来ない。


「聡司、土守を頼む!!」

 陽輝様が刀を抜いた。神物しんもつの刀は、日の光を帯びて穏やかな光を放つ。


 聡司が、香楓を心配そうに見た。

「私がお供します!! 香楓にこちらを」

「香楓では、土守は運べないだろ?」

 土守家の者は、平均的な成人男性。小柄な香楓では、少々荷が重い。


 聡司はほんの一瞬考えると、すぐに首肯した。

「安全なところまで避難させたら、すぐに戻ります!!」

 土守を庇いながら瑠璃殿のかげに移動させた聡司は、近くにいた従者に手当てをお願いして戻ってきた。


 その間に、陽輝様は鬼に向き直る。


荒振あらぶる神の御魂よ

 我が名は、天明陽輝 天の明神様の代理なり

 天まで焼きつくすような怒りを 鎮め給へ」


「加勢いたします!!」


 陽輝様が術句を紡いでいる途中で、千金家当主が駆けつけてきた。術句を遮られる形となった陽輝様だが、「助かる!! 大きな鬼だから気を付けてくれ!」と返す。

 術句が完成していれば鬼を祓えたというのに、遮られたことに苛立ちも見せない。


 香楓は少しだけ苛立ちを感じたが、陽輝様が許したのに香楓が怒るのはおかしい。

 それよりも、陽輝様に御手間を取らせないように香楓が祓うべきだと、前に進み出た。


 しかし、香楓よりも先に動いたのは、千金だった。

「ここは、私にお任せを!!


 荒振あらぶる神の御魂よ

 我、金之神様の代理なり

 すべてを焼きつくすような怒りを 鎮め給へ

 さもなくば、神の怒りに触れるであろう

 金之神様のお力をお借りして、御霊を祓う

 鎮め給へ 鎮め給へ」


 千金家当主は鬼に近づきながら、早口で術句を紡ぐ。香楓には、手柄を焦っているように見えた。心を込めて紡がなければ、神様は答えてくれない。


 千金家当主から発せられた淡い光は、鬼を拘束するに至らない。自分に対する敵意を感じ取った鬼は、刀を構えて千金に迫る。


「危ない!! 逃げてください!!」


「うわぁ~!!」

 千金は慌てて後退るが、足がもつれて尻餅をついた。


 風をきる音をならして、刀が振られる。


「うわぁ!!」


 千金の目の前を掠めるように、切っ先が横切った。鬼の動ける場所が限られていたから助かった形だ。


 聡司が駆けつけて、尻餅をついている千金を引っ張り移動させる。


 五家でも適わない鬼……?


 香楓はいつも以上に丁寧に印を結ぶ。

荒振あらぶる神の御魂よ

 天まで焼きつくすような怒りを 鎮め給へ

 海より深く悲しみに沈む御心を 癒し給へ

 ここに、御魂の声、聞く者あり

 鎮まり給へ 癒し給へ」


 温かい光が鬼を包む。闇雲に刀を振るのをやめて、香楓を見た。


「うわぁ~!! 俺はやってない!!」

 刀を持っていないほうの手で、頭を掻きむしった。


「何をやっていないのですか?」


「こ、殺しだぁ~!!」

 悲痛な叫びだった。


「誰を殺めたのですか?」

 鬼は香楓を睨み付け、吠えた。

「だから、やっていない!!」


「失礼しました。誰を殺めたと疑われたのですか?」


「どっかの商家の娘だとか。そんな娘知らねぇよ!!」

「知らない?」

「俺は、村外れの農夫だぞ!! 町に住んでる、いいとこのお嬢さんなんて、知ってるわけがないだろ!?」

 鬼が、嘘をついているような気配はない。


 香楓は少し考えて、あることを思い立った。

 まさか……、そんなことがあるだろうか。

 思い付いたことを、発することができない。しばらく口をはくはくと動かした後、なんとか言葉にする。


「濡れ衣、ですか?」

 声は掠れていた。


「そうだ!! なんで知らない女が死んで、俺が首を跳ねられなきゃならない!! そうだ!! 俺が死んだとき、お前らみたいな服の男がいたぞ!!」


 普通の裁きでも、陰の気が発生することがあるので祓除ふつじょ師が待機することはあるが、祓っていれば大内裏で鬼として現れているわけがない。

 処刑場で人形ひとがたを作ったとしたら、人の目があるところで行ったことになる。長い時間はかけられないし、大がかりな儀式もできない。人形ひとがたを作るために、はじめから用意していたことになる。


 まさか、この男の処刑が、濃い陰の気を生むとわかっていて、人形ひとがたを作る準備を整えていたのか。もしかして、人形ひとがたを作るため、濡れ衣を着せたのか……。


 嫌な想像ばかりが膨らんで、声が震えた。

「あなたはどこに住んでいたのですか?」

 調査するには、どこで起こったことなのか知らなければならない。


荒振あらぶる神の御魂よ

 我、金之神様の代理なり

 すべてを焼きつくすような怒りを 鎮め給へ

 さもなくば、神の怒りに触れるであろう

 金之神様のお力をお借りして、御霊を祓う

 鎮め給へ 鎮め給へ」


 香楓の質問を遮るように、千金家当主の術句が響く。千金の術は淡い光だったが、香楓の術と合わさって鬼の輪郭がぼやける。


「あなたは、どこで濡れ衣を着せられたのですか?」

 香楓の叫びに、鬼は穏やかな顔を向ける。


「俺の言うことを信じてくださった……」

 鬼は散々になり、天に上っていく。


「待って!! 教えてください! あなたの無念が晴らせない!!」


 香楓は追い縋ろうとしたが、無情にも鬼は消えてしまった。香楓が呆然と空を見ていると、鼻を鳴らす音が聞こえた。


「光代は甘いですね。所詮、罪人。すべてが嘘かもしれませんよ」


 濡れ衣というのが嘘だとしたら、大きな鬼になるほどの負の感情になるだろうか。千金の言うことに、素直に頷けなかった。


 何かが、引っ掛かる。


「刀ですね」

「土守が、刀から陰の気が出ていたと言っていたな」


 近づいて覗き込むと、刀から陰の気が出ているわけではない。陰の気が出ている人形ひとがたに、刀が突き刺してあった。人形ひとがたを貫通して、地面に突き立てられている。


「このせいで、鬼が移動できなかったんですね」

 聡司の言葉に頷く。人形ひとがたが依代代わりになっていて、離れられなかったのだろう。


 散々になっていく人形ひとがたを見つめながら、香楓は嫌な予感がして、懐に手を突っ込む。


 陽輝様が祀っているのは、国の守り神の天の明神様。いくら鬼を仕掛けたとしても、陽輝様に祓えぬわけがない。鬼では敵わないのなら……。


 次の瞬間、千金が刀の柄を握り地面から引き抜くと、「死ね!!」と叫び、陽輝様に切りかかった。

 香楓は懐から取り出した短刀を握りしめて、陽輝様を庇うように躍り出る。


 ガチャ!!


 左手で刀の棟を支え、なんとか頭上で受け止めた。

 両手で力一杯押し返しているが、所詮、武道を嗜んだこともない女の力。千金に力負けするのは時間の問題だった。


「香楓!!」


 陽輝様が腰に差した刀を抜き、千金に向ける。容赦なく付き出した刀を避けるために、千金が後ろに跳んだ。


「その言葉、私に向けたものか!?」


 陽輝様の問いかけに、千金は高笑いする。

「ふっはっはっはっは!! 他に誰がいる??」


 陽輝様の護衛も駆けつけてきたが、不用意に近づけないようだった。

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