秘め事は、秋晴れの下に散りゆく

翠雨

第一話 隠し事と召集

 天地を裂くような雷鳴が鳴り響き、唸るような地鳴りが聞こえる。窓から見える空は青く澄んでいるのに、異様な音だけが、耳に纏わりつくように響く。


 自然現象ではない。


 再び、雷鳴が腹の底に響いた。裾を掴んでいる小さな手に、力が入る。

維希いぶき、大丈夫だから」

 しがみつく弟に優しく声をかけた。


 普段は『早く一人前になりたい』と大人のように振る舞う維希いぶきだが、この異常な現象に、ひきつらせた顔を香楓かえでの背中に押し付けていた。それでも、次期当主としての自負か、幼いながらも堪えているようだった。


「香楓姉様。お父様のところにお客様です」

「やっぱり、何かあったのね」


 雷鳴の鳴り響く方向に視線を向けてから、呼びに来た妹に案内を頼む。背中に張り付いていた維希いぶきも、雷鳴の理由が陰の気に関連したことだとわかり、少し落ち着いたようだ。

 光代みつしろ家は、陰の気を祓う、祓除ふつじょ師の家系。この異常事態に、すぐに駆けつけるようにお達しが来たのだろうと、父がお客様を迎え入れた部屋の隣まで、足音を立てないように移動した。


 すでに聞き耳を立てていた姉に手招きされ、襖のそばに歩み寄る。


 父の声は、はっきりと聞こえた。


火宮ひのみやが、落ちたとは!!」


 火宮ひのみや家は、大内裏を守るように配置された五芒星の一角を守る、祓除ふつじょ師の家である。つまり都の守りの要だ。

 火宮家の守りが消えたということは、都の守りが崩れたも同然。一大事だった。


 いくぶんか驚きを孕む父の声は、使者にはわからない程度のわざとらしさを含んでいた。姉弟に聞こえるように話したのだと理解して、次の言葉に耳を澄ます。


「召集とは! 私は、こんな状態でな。すぐに代理のものを向かわせるので、先に戻っていてくれ」


 渋い顔をした父の姿が目に浮かぶ。こんな状態とは、添え木をされた足を指して言ったのだろう。


 今朝方、陰の気が濃くなったと駆けつけた時に怪我をしたのだ。


 陰の気とは、悲しみや怒り、恨みや妬みなど、負の感情が溜まって澱んだものだ。普通ならば、良い感情と混じりあうことで、澱むほど溜まることはなく、消えていってしまう。


 しかし、それが、何らかの原因で溜まってしまうことがある。それを祓うことができるのが、祓除ふつじょ師だ。

 まだ陰の気の状態で祓えれば問題はないのだが、実体を持つくらいに濃くなると、それが鬼となる。


 今朝、駆けつけた場所は、陰の気が溜まるような場所ではなかった。昼には買い物客が集まるような、賑やかな通りだ。


 そんな場所で鬼が出るとは。


 香楓も父と共に向かったが、鬼に取り憑かれた犬が大暴れしている光景は、凄惨なものがあった。牙の間から涎を垂らし、苦しそうに唸り声を上げて、視界に入った人間に噛みつく。

 すぐに祓除ふつじょに取りかかろうとしたのだが、素早く駆け回る犬に翻弄され、父が転んだ。立ち上がれずもがいているところを、犬の牙が届く寸前で、香楓が祓って難なきを得た。歳には勝てないとおどけていたが、父は隠居していてもおかしくない歳なのだ。


 襖を通して聞く使者の声は、くぐもっていて聞き取りにくい。

 父の様子から、使者は「この場で待つ」と急かしていることがわかった。


「それほど事態は、切迫しているのか。わかった」


 そのあとで母を呼ぶ声が続いた。


 雷鳴は少し落ち着いたようだが、唸るような地鳴りは続いている。まるで、得たいの知れないものが地面から這い出てきているようだった。


「香楓……」

 心配そうな姉と妹。

 泣き出しそうな顔で、維希いぶきがしがみついてくる。

「香楓お姉様……。僕がもっと大きければ……」

 さっきまで雷を怖がっていたとは思えない。眉を下げて申し訳なさそうな顔をする。その表情が、幼いなかにも責任感が現れていて、自分が守ってあげなければと切に思う。


「姉様、悠月ゆづき、維希。大丈夫です。絶対に、家に迷惑はかけません」


 光代みつしろ家は、一男四女。長男が十歳の維吹である。すでに嫁に行った長女と次女は光代家の姫として育てられた。

 しかし、次に産まれた香楓も女だった。このまま男が生まれなかったら光代家が潰れてしまう。父は思案し、策を講じることにした。

 男が産まれるまで、香楓を男として育てることとにしたのだ。その後産まれた悠月ゆづきも女。香楓と共に、男として育てられた。

 香楓は十六になった二年ほど前から、父を支えるため、狩衣装束で祓除ふつじょに赴いていた。


 父はそろそろ引退してもおかしくない歳である。維吹いぶきが元服するまで、香楓が男として光代家を背負っていかなければならない。

 中央へは、父の従者としてついていったことしかなく、呼び出しに応じるのは始めてだ。何か失敗してしまうのではないかと思うと、背筋が冷たくなる。

 世の中を偽って、帝を謀って、ただで済むはずがない。露見したときには、責任を取って、香楓一人が罰せられるようにしなければならない。


 家への被害は最小限にしたかった。


「皆、香楓のことを心配しているのよ。無理はしないでちょうだい」


「大丈夫です。すべては私が志願してやったことです」


 いつも着ている狩衣を脱ぎ、父の正装である淡黄色の狩衣を着せてもらう。そこらの男より大きな父の狩衣は、女性らしい体躯の香楓には大きすぎた。


「あなた達も手伝って!」


 母の指示で、裾の長さは香楓に合わせられた。胴周りが大きすぎるのは着付けで誤魔化し、髪を頭の上でまとめて烏帽子の中に押し込めば、男として見られなくもない。


 いささか、可愛らしすぎる感は拭えないが。


「父には、『香楓が自分の判断でしたことだ』とお伝えください」


 万が一のときには、一人で罪を被るつもりだが、それには父が口裏を合わせてくれなければならない。男として育てられたことは家のため。それを責める気持ちは、これっぽっちもない。香楓のことを大切にしてくれた両親と、いつも心配してくれるお姉様、かわいい妹と弟は、絶対に守りたい。


 いまにも泣きそうな顔で送り出した母の姿が、頭に染み付いていた。

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