読み切り集

@monokakiblog

怖がりの幸福

私はとても怖がりな性分です。

暗闇の中歩いていると視界の端に何か居るような気がしてしまいますし、昼でも塀と塀の隙間に何か居たような気がしてぞっとしてしまう小心者です。

けれど夏の風物詩が数年に一度気になり、「今日はなんとなくいける気がする」と酒に酔った勢いでネットでホラーな話を楽しむべく読み漁り、結果トイレにも行けなくなるという体たらくです。

私が特に苦手としているのは家に関連するホラーです。いわくつき物件や、突然感じる背後の気配などの話が私の恐怖を揺さぶるのです。

風呂で頭を洗っているときに誰かいるような気がする。

外の階段を誰かが上っているような気がする。

隣の空き部屋から物音がするような気がする。

苦手分野の話は嫌でも頭に残るもので、どこで仕入れたかさえ今は定かでないそれらのオカルトは、私の日常に疑心暗鬼を残し私をじわじわと疲弊させるのでした。

しかしそんな日々は終わりを告げたのです。

恋人ができました。

彼女は私の隣の家に越してきた女性でした。物腰の柔らかな彼女は親密になれば悪戯好きのようで、一度私と彼女の部屋のドアが同時に開いただけのことに大袈裟に驚いてしまったのを目撃されてから、後ろから突然私にだけ聞こえる声量で「わっ」と驚かせたりするようになったのです。大変心臓には悪いのですが、謝りながらいつもとても幸福そうに微笑むのです。それは私の無様を嘲笑うのではなく内からこみ上げる嬉しさのように感じました。

後々聞いてみると彼女は家族と疎遠であり、長らくご近所付き合いもなかったため、隣人という人の気配が新鮮に嬉しかったということでした。

彼女は他人を想いやれる素晴らしい女性です。私が怖がりなことをうっかり話してしまったときはとても申し訳なさそうに平謝りされました。こちらが申し訳なくなる想いでした。私の方こそ彼女の思いがけない無邪気な笑顔に日常的に救われていたのですから。

そんな私達は緩やかに、けれど自然に惹かれ合いました。

「好きです」

「私もです」

長らく仕事ばかりだった私にとって、プライベートでの好意の交換の幸福を彼女は当たり前に教えてくれました。

風呂で目の前の鏡を見ればすりガラスにぺたりと張り付いた彼女が度肝を抜かせます。

階段の物音は私に彼女の帰宅を期待させました。

隣の部屋の物音は彼女の在宅を知らせます。

彼女の存在が私を恐怖からも救い上げてくれました。


これが数か月前までの話になります。


彼女が亡くなりました。

突然の交通事故でした。

喪失感で全身の力が抜ける思いでした。

隣の部屋は再び空き部屋となりました。

しかし前述の通り私の恐怖の日々は終わりを告げ、二度と帰っては来ませんでした。

「好きです」

家で私が恐怖していた場所に時折呟いています。

今は幽霊の存在を渇望していたから。


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