白紙
水野ミコト
鼓動
その友人とは、もう三ヶ月も連絡がついていなかった。
小学校からの付き合いである彼と私は、親友と呼ぶには浅い関係性ではあるものの、互いに社会人になった今も時折連絡を入れるくらいには仲が良い。とは言っても連絡する機会は二週間に一度というようなもので、今朝ゲーム対戦の誘いでも入れようかとチャットのアプリを開いたとき、ようやく三ヶ月前に送ったものの横に既読という字がないと気が付いたくらい、ある意味無関心ではあった。
未読が気になりだしたのは、私が昼のニュースを退屈に感じ始めてからだった。
平日の火曜はいつも休みで、大抵はゲームの類をして過ごす。しかし、先ほどつけたゲーム機の右上には頼りない六パーセントの表記があって、私はそれに年季の入った充電ケーブルを差すだけで午前を終えてしまった。おそらく充電はほとんど進んでいないだろう。あのケーブルはそろそろ買い替え時だった。ニュースの中で顔だけは知っている女性タレントが、お高そうなハンバーグにあまり上手とは言えない感想を述べたのにつられ、腹が鳴った。
コンビニに行くついでに、友人の家を訪ねよう。それは突拍子もない思い付きで、彼が家にいるのかも、そもそも今日が休みかも私は知らなかったが、コンビニと彼の家の近さがハードルを大きく下げて私に意味のない気力を与えた。まだ既読になっていないだろうかと念のため画面を開く。最後にした会話がスクロールの余韻でゆっくりと流れ、止まった。
『人魚の肉買った 二万で』
『二万は詐欺だろ』
まだ、既読はついていなかった。
彼は実家暮らしだ。というよりは、彼が家を出る前に彼の両親が既に亡くなっていたため、そもそも家を出る必要がなかったという方が正しい。彼が一人暮らしは気楽だと朗らかに言ったとき、私は笑うべきなのかわからず、曖昧な返答をした。彼は真意の読めない、どこかつかみどころがない部分があった。今回の音信不通も彼には元来そういう自堕落なところがあったので、私は正直彼を心配していなかった。遅刻やら約束のすっぽかしやら。今まで、私が彼に何度呆れたかは覚えていない。
インターホンを鳴らそうとして、私は郵便受けに物が限界まで詰まっていると気が付いた。途端、腹の奥底から湧き上がってきたある種の予感を感じつつ、私はインターホンを押した。応答はない。このまま帰る、という選択肢が急に非人道的なものになってしまったように思えた。私は、ドアの前に立った。
ドアノブに触れ、そこで私の手が汗でべたついていることに気が付く。ドアが情けない音を立てたので、私は鍵がかけられていないことを知った。
ドラマを見ているときのような、私の人生には場違いな予感。玄関に一歩踏み出した私は、異様な臭いに喉がおかしな動きをしたのを感じた。口だけで呼吸をしても、肺に染みついてしまいそうな、そういう感覚があった。私は軽くめまいを覚えつつも、リビングまでの廊下を半ば駆けるようにして歩いた。早く、起きていることを理解したかった。理解して、この家から逃げ出す口実を得たかった。
リビングに入って、一番に目に入る黒のソファー。いつも遊びに来るときする視線の動きに導かれて、それを見た。黒地の上に、不自然なまでに白い肌が浮かび上がっている。多分、死んでいるのだろうと思った。そう思ったからこそ、家に無断で入るまでしたのだ。彼の体は、どこも腐敗していなかった。眠っているのとよく似ていて、それ故に死という言葉が彼と結びつかない。ならば、この悪臭はどこから来ているのだろう。そう思って、彼から目をそらした。彼に対する理解を後回しにした。
キッチンを覗くと、臭いの根源はすぐにわかった。まな板の上に、魚を切り出したようなそれなりに質量のある肉塊が置かれていて、その周りに無数の羽虫が飛んでいた。私の顔に寄ってきた虫を払いのけ、シンクに置かれた皿とフォーク、包丁を見る。変色したのだろう黒い液が、うっすらとそれらを汚していた。得体の知れないものが、友人の代わりに腐敗している。私はそう感じた。
最後に彼から来た連絡が、自ずと連想される。胡散臭い話だ、馬鹿馬鹿しい話だ。けれども彼の姿が、嫌な実感を私に抱かせた。仮にそうだとして、私には彼の思惑などわかりはしないのだが。
しばらく、私はリビングに立ち尽くした。もしかしたら置き手紙や伝言の一つくらいあるのではないかと期待していた。そんなものはない、彼だって自身の死を予期してはいなかっただろう。
私は、はっきりと彼の顔を視界に入れた。どこか、満足げな表情に思えてきて、私は自分の携帯をズボンのポケットから引っ張り出した。警察なのか救急車なのか迷って、結局一一〇と慎重にボタンを押す。生きている彼が最後に残したのは、あの不可解なメッセージだけなのかもしれない。理屈もなくそんな気がした。私は彼の隣に座って、それからコールボタンを押した。
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