第30話



 成孝は今日の夜会の主催者の花菱義一郎にあいさつをした。


「本日はお招きいただきありがとうございます」


「これは、東稔院様。ようこそお越しくださいました。このご縁を次に繋げられたらと思っております」


 花菱義一郎に差し出された手を成孝は取りながら言った。


「今後ともよろしくお願いいたします」

 

 成孝は主催者にあいさつをすると、他の招待客の元に移動した。


 今日の夜会出席の目的は、お互いに顔を合わせること。

 そして江戸時代から続く格式高い家柄の花菱家の目的は、新進気鋭の実業家である東稔院成孝と繋がっていることを招待客見せ、人脈を見せつけることが目的だ。

 東稔院家は現在、多くの者が注目する家なのだ。

 そして成孝の目的は、花菱家と繋がりを持つ人々と顔を繋ぎ、鉄道事業のための人脈を作ることだ。

 さすがというべきか、花菱家の夜会はそうそうたる顔ぶれだ。普段はなかなか顔を見せない者もこの夜会には出席していた。


(さすが花菱家だ……伊藤源三郎に、中原茂……二条院重虎まで出席しているのか……)


 成孝は招待客を見ながら心の中で感心していた。


(これまで人脈を作るために地道に多くの夜会に参加して来たが……一度の夜会でこれほどの大物が一同に会する夜会など初めてだ)


「椿、これからしばらくあいさつ三昧だ。行くぞ」


「はい!!」


 成孝と椿は、それから多くの招待客とあいさつをした。

 一通りあいさつを終えて、成孝と椿は窓の側に移動した。

 少し静かな場所に移動すると、成孝が息をついた。


「凄いな、椿をエスコオトしているだけでこれほど自由に動けるのか……」


 椿は意味がわからなくてすぐに尋ねた。


「それはどういう意味でしょうか?」


「そのままの意味だ。これなら、話しをしたい相手に障害もなく話かけることが出来そうだ」


 椿にはやはり意味は分からなかったので首を傾けると、成孝が小声で言った。


「あの大きな階段の近く、見えるか?」


 椿は階段の近くに目を向けた。

 そこには多くの女性が見えた。


「はい。ドレスを着た方が大勢集まっていらっしゃいます。一体何があるのでしょうか?」


 成孝が目を細めながら言った。


「恐らくは独身で、パートナーを持たない家柄のいい男がいる。折角顔繋ぎのために出席したのだろうが……動けぬとは気の毒だな」


 椿は「なるほど……」と言った後に、成孝を見上げた。


「もしかして、成孝様は普段はあちらの方のようにドレス姿のご婦人に囲まれていらっしゃるのですか?」


 成孝は眉間にシワを寄せながら言った。


「……否定はしない」


「……」


 成孝は黙り込んだ椿の顔を覗き込みながら尋ねた。


「どうかしたのか? 気分でも悪いのか?」


 椿は胸を押さえて成孝を見上げながら言った。


「気分が悪い? そうかもしれません……なぜか胸の奥が絞られるような感覚があります」


 椿の言葉に成孝は慌てながら言った。


「もう夜会を出るか? 一通りあいさつは済んだぞ」


 椿は急いで首を振った。


「そんな、折角の夜会なのです。成孝様の大切なお仕事の邪魔などできません。それになぜでしょうか……成孝様に心配して頂くと、胸が楽になりました」


 成孝はますます眉を寄せた。


「私に心配されるとよくなったのか? ますます不可解だな。戻ったら念のために医者を呼ぶか」


「いえ……とにかく今は、夜会を……」


 椿が顔を上げると視界に知っている顔が見えた。


「こんばんは、お会い出来て光栄です」


「宗介さん?」


 目の前には西条宗介が立っていた。

 宗介の普段とは違う様子に、椿は目を大きく開けて驚いた。

 宗介は椿の耳元に口を寄せながら言った。


「まさか、椿に会えるとは思ってなかった。来てよかった。ドレスってのも似合うな」


 宗介のいつもの口調に椿は少し安心して頬を緩めながら答えた。


「ふふふ、ありがとうございます。宗介さんも素敵ですよ」


 宗介は赤い顔で言った。


「お、おう……そうか、椿にそう言ってもえんのなら堅苦しい洋装を着た甲斐があるってもんだ」


 宗介と話をしていると、成孝が不機嫌そうに言った。


「なるほど、さきほど令嬢に囲まれていたのは、西条だったのか……椿は今日は私の連れだ。あまり近づかないでくれ」


 そして、椿を宗介から離した。

 宗介は「心の狭い男は嫌われるぞ、東稔院」と言った。

 だが、小声で成孝に近づきながら言った。


「だが、真面目な話。どうしても話をしたいヤツがいるが……歩けば令嬢に話かけられて話ができねぇんだ。悪いが、東稔院と椿も俺と一緒に来てくれ。二人が居てくれれば話ができる」


 宗介に頼まれて、成孝と椿は顔を見合わせた。


「まぁ、確かに私たちが側にいれば話かけては来ないだろうが……誰に話かけるつもりだ」


 成孝に尋ねられて、宗介が真剣な顔で言った。


「……五条廉太郎」


 成孝が声を上げた。


「五条? 五条も来ているのか?」


「ああ。そのはずだ」


 成孝が眉を寄せた。


「だが……五条がいるのなら、恐らく令嬢に囲まれているだろう? お前のように」


 宗介は片眉を上げながら言った。


「椿がいなきゃ、東稔院だって囲まれてるじゃねぇ~か」


 成孝はどこか自慢気に言った。


「今後は椿がいてくれるからな。金輪際、私が囲まれることはない。だが、同情はするので、同行してやる」


 宗介は小さく息を吐きながら言った。


「ありがとよ……――はぁ、俺も椿が欲しいんだがな……」


「椿はやらん」


「何、頑固親父みたいなこと言ってるんだよ」


「親父……? 私が……椿の……親父?」


 成孝はなぜか青い顔をしていた。

 椿は幼い頃に近所にいた獰猛な番犬を思い出した。

 

(そう言えば、あの家には番犬のおかけで人はほとんど寄り付かなかったわ……)


 そして、先ほど令嬢に囲まれていた様子を思い出して二人に同情した。


(確かに自由に動けないのは気の毒だわ……私はさしずめ番犬といったところね。私は護衛だけではなく、番犬の役割もあったのね……お役に立てているようで嬉しいわ)


 椿が考えていると宗介が声を上げた。


「お、今から花菱家の当主のあいさつが始まるぞ。東稔院、椿。五条の近くに移動して、当主のあいさつが終わった瞬間、ヤツに接触するぞ」


 成孝と椿はゆっくりと頷いたのだった。

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