10.ただ黒いだけのいつか

記憶を辿ると そこは ただ黒いだけで

本当に ただそれだけが 私のいつかを物語っていた

無ければならないものが無くとも 黒が

音としては静が そこに当てはまればいい

今 目にしている光景が鮮やかであったとしても

音はそれに関係なく 賑やかであると言えるだろう


そこで私は一人であったか

それか 人という存在が無かったのかもしれない

虫は居たか 植物は居たか 動物は…

もし 黒というものが 虫であり 植物であり 動物でもある存在ならば

そこでも争いは起こり そして絶えないのだろう

人も きっと その中で一つの存在であろうから・・・


――覚えていないから黒い

と言ってしまえば それまでで 夢も希望も無い

そのうち現実が 鮮やかで 賑やかなのが苦手となった時 困り果て

私の生涯を物語るものは何なのだろうかと あのいつかを思い出す

多くのものから遠い存在となった私も

その中で 唯一「私」という存在でいられた

苦境を乗り越える為に 黒い「私」は苦しみを消し去り

訪れるリアルな痛みを この為に受け入れた

いつ どこで どんな風に 「嗚呼、死にたい」などと言ったのだろう

記憶の断片が嘘を吐いた ただ黒いだけで それが解った


物語の途中から読み始めた私は すぐに最初の方を思い出そうとする

栞を 今読んでいるページとページとの間に挿み

それからいくらか捲って

最初の方のページに戻るまでに その手を止める


すると また 栞を挿んだページへと戻り 読み耽る

夢を見るような時を過ごしている感覚が この時訪れ

それがどこか ただ黒いだけのいつかに似通っている事に気付く

私の生涯を物語にし それを読んでいるような そういう記憶の一つ

いつ 読んでいるのだろう どこで 読み耽っているのだろう

どんな風に 「この物語を読もう」と思ったのだろう

辺りの鮮やかさと賑やかさが リアルな痛みを忘れさせようとする


生まれた時の事を思い出せずとも 一人で生きた覚えは無い

私がいつであったとしても 私自身を生かした事があっただろうか

人という存在が無ければ 私は生まれも死にもしなかったと

支えてくれた存在は数知れず

私の生涯を物語るものは それらがあっての事だと

黒い中では 何度も深く感謝したのかもしれない


いつ どこで どんな風に 「嗚呼、死にたい」と言えば本当なのだろう

ただ黒いだけのいつかは もう 私の真価を問いはしない そして

私がそれを望むことも無い ただ ある考えが私を包み込むだけだ

私の生涯を物語るものは何だったのだろうかと 私は思い出す

記憶の一部を黒で塗られただけで 無くてもいい筈のその断片を・・・


読み終えた物語から 栞を取り ふと思う

あの虫は 植物は 動物は

あの人と人との争いの中で 死なねばならなかったのだろうか

そして 一瞬 鮮やかさと賑やかさが訪れたのは 私のそんな疑問を掻き消す為か

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