手向けに花を献ぐ

序/緩やかに滑る道

0-1


 屋上の扉が解放されていることを知っていたのは、一部の生徒だけだった。


 屋上の存在が秘密にされているわけでもない。秘密にされているわけでもないのに、それでもその事が知られていないのは、単に事実が共有されていないだけに過ぎない。そして、事実が共有されないのは、ただ事実を知っている人間が孤独だったから。


 だから、はぐれたような者だけが、孤独な人間だけが屋上にたどり着く。


 きっと、本来ならば高校生活を営む者、励む者として、相応の関係をたくさん紡いでいくのだろう。それは知人かもしれないし、友人かもしれないし、そこから発展した恋人という関係性かもしれない。


 そんな俗らしい青春を歩むからこそ、彼らにはいとまがない。暇がないから屋上という存在には気づかないし、踏み込もうとしない。現実らしいルールを無意識に心の中に組み込んで、『屋上は入ることができない』と、彼らは彼ららしい青春に現を抜かすのだ。


 ──そんな、寂れているとしか言いようのない、はぐれものだけが集まる空間の中で。


「──退屈ですね」


 一人の少女が、ため息を孕ませながら声を吐く。


 ぽつり、と彼女はそうつぶやいた。その声音は小さいもので、独り言なのか、それとも誰かに向けて紡いだ言葉なのか、俺にはよくわからなかった。


 屋上、夕焼け、吹きすさぶ風、肌寒ささえ覚えてしまいそうな冷たい場所に、彼女と俺の二人だけがいる。


 俺は、一瞬彼女へと視線をちらつかせた。


 空を背景に置きながら、黒くなっている雲と空にため息をついて、彼女は塩ビが敷かれている床へと地べたに座っている。


 どのくらいの時間そうしていたのかはわからない。俺がここに来た時から彼女はそのようにしていて、いつまでもその画のままで居続けている。

 



 まるで、自身は孤独である、と誇示をするように。




 俺はそんな彼女に息を吐いた。返す言葉を考えようとした。独り言だったのかもしれないが、もし俺に向けて言葉を吐いたのならば、それを無視するのは良くないと思った。


「そうですね」


 そうして無難な言葉を返してみる。特に意味もない相槌。意思さえそこまでない一言。実際、退屈だったかどうかなんて考えていなかったけれど、彼女が退屈だというのならば退屈なのだろう。俺は小さくうなずきながらぼんやりと空を見上げた。


 そんな俺の反応に、彼女の表情が一瞬揺らぐ。不快、もしくは不満そうに眉を傾けた後、先ほどからの繰り返しのようにあからさまなため息をついた。睨むようにこちらへと目を細めて。


「……その薄ら笑い、なんか気持ち悪いからやめてくれませんか?」


「……」


 失礼だな、と思った。これでも取り繕っているからこその振る舞いなのだから、それを尊重してくれないだろうか、と文句を呟きたくなった。


 ……でも、それでは何も成長していない。


「すいません、悪気はありませんでした」


 俺は、彼女の言う薄ら笑いを断固として浮かべながら、そう言葉で取り繕ってみる。そんな俺の様子に、彼女は一瞬、ハッとしたような表情を浮かべた後、俺から視線を逸らすようにする。

 


 きちんとしなければいけない。



 俺はもう昔の俺ではない。過去の自分とは決別をしたのだ、適切な態度で、求められる振る舞いで。


 自分が自分との乖離をしていたとしても、それを自分としながら振る舞いを続けなければいけない。


 ……まあ、流石に初対面の俺に対して毒づいてくる彼女の言葉も、正直どうかと思ったけれど。


「……えっと、すいません。私も悪気はありません。取り繕うのが苦手なだけなんです。……ごめんなさい」


 そんなことを思えば、彼女から弁明らしき返答。申し訳なさそうな表情をしながら、確かに謝るような声音で彼女はそう言った。


 俺はその言葉に「そうですか」と、安堵をしたような軽い声で返しながら、にこやかな偽りつくり笑いを浮かべて、また空を呆然と眺めるだけの作業を繰り返す。


 

 なぜか、俺は彼女のそんな一言に安心をした。



 なぜか、とは言いつつも、自分自身で安心感を覚えている理由については分かりきっていた。


 取り繕っていないというのならば、そちらのほうがいい。

 

 あの時、俺は彼女との邂逅の中で、確かにそんなことを思ったはずだった。





 生徒会庶務である赤座はフレンドリーな先輩というのをよく演出していた。というか、現在でもその振る舞いは続けられており、一定の親しみやすさというものを周囲から獲得しているようだった。


 俺が彼と最初に出会ったとき、開口一番に言ってきたことを思い出す。


『生徒会に先輩とか後輩とかないからさ。ため口でいいよ、マジで。相談したいことがあるなら相談してもらってもいいし、なんでも助けになるから!』


 俺は、そんな彼の言葉ににこやかに返すことだけを選択した。それだけしか俺には思いつかなかったから。


 そんな彼の現在の様子としては──。


「──はい、じゃあ高原。これ頼むわ」


 ──以前の振る舞いとはかけ離れているような、そんな姿を俺には見せてくれている。


 気だるげな声だと思った。間延びをするように息を抜いて、その中で俺とは一切視線を合わせないまま、適当に書類を俺に放り投げるように渡してくる。それが今の赤座である。


 別に距離感がなくなったとか、打ち解けたとか、そういうわけではない。


 単純に、彼から期待というものをされなくなっただけ。平たく言ってしまえば、赤座から俺に対する印象は、諦観だけになってしまった、という具合だろうか。


 最初こそは、彼のフレンドリーな振る舞いは続けられていた。俺はそれに対してにこやかに振舞っていたものの、いつからかその振る舞いは雑になり、最終的にはこんなものに落ち着いてきてしまっている。


 一度、振る舞いが変わる段階で言われたこととしては『マジで敬語とか大丈夫よ?』という言葉だったけれど、俺はそれに対して『赤座さんは先輩なので……』と返したところで、俺に対する彼の態度はがらっと変わった。俺に親しみやすさを演出するのは無駄である、ということを悟ったように。



 別に、どうでもいいけど。


 

 俺は赤座から書類を受け取ると、にこやかな偽り笑顔を浮かべながら、軽快な様子で「承知しました」と返す。


 そんな俺の様子に、赤座は特に反応しなかった。俺もどうでもよかったから、そのまませこせこと書類を整理することにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る