第30話



「東条麗矢はまだ部屋にこもっているのですか?」


「はい…そのようです…」


「そうですか…はぁ…」


理事長室に、西園寺真紀子の重々しいため息が響く。


理事長の椅子に腰を下ろす彼女の前に暗い表情で俯きながら立っているのは、彼女の娘である西園寺小春だ。


二人は今、寮の部屋に籠ったまま出てこない東条麗矢について話し合っていた。


「どうしてこうなってしまったのでしょう。確かにあなた方を襲った怪人被害は、四年前の大災害を除けば、過去最悪レベルでした。何人もの魔法少女が命を落とし、ここは多大な被害を受けました。しかし…友人を殺され悲しみに暮れがらも魔法少女たちは日々の訓練に復帰しています。東条麗矢を除いて。無理やり傷を癒せとは言いませんが、私には彼がそこまで弱い心の持ち主には見えなかっ

たのですが…」


「…」


「小春。あなたは何か知っているのではないですか?」


西園寺真紀子は、自分の娘に対して、東条が未だ訓練に復帰しない理由を尋ねる。


だが西園寺小春は、何か嫌なことでも思い出したかのように悲痛に表情を歪めるだけで、何も語ろうとしない。


娘が何かを隠している。


西園寺真紀子はそのことをなんとなく察してはいたが、あんな大事件があった手前、どうしても娘を気遣ってしまい、無理やり聞き出すことができないでいた。


「もういいです。何か、東条麗矢に変化あったら報告してください」


「…はい」


西園寺小春が頷いて、退室する。


「はぁ…」


小春が退室した後、真紀子は立ち上がって理事長室の窓から見ることのできる寮を見据えた。


「一体娘とあなたとの間に何があったのですか、東条麗矢」






「ふんふふんふ〜ん…」


鼻歌を歌いながら寮の部屋を歩く少女がいた。


生徒会のメンバーの一人、小鳥遊ユキだ。


彼女が運んでいるのは、食事の乗せられたトレーだった。


魔法少女育成学校を怪人たちが襲撃したあの大事件から一ヶ月。


それ以来寮の部屋に引きこもり、一度も訓練に参加していない東条麗矢の世話を任されている彼女は、今日も食事を東条の元へ運んでいた。


コンコン…


「東条くん?食事を持ってきましたよ?」


東条の部屋の前に立ち、ドアをノックする。


中から返事はない。


あの事件から、東条は完全に塞ぎ込んでしまい、誰かとの接触を拒むようになった。


魔法少女たちとも、生徒会のメンバーたちともすら、会話を避けており、部屋に引き篭もったまま出てこようとしない。


いつもなら部屋の前に食事を置いてその場を離れるのだが、今日の彼女はそうしなかった。


ドアの前に立ち、耳を澄ませる。


部屋の中から声は聞こえてこない。


動きもない。


だが東条は確かにそこにいる。


「…よし」


トレーを床に置いた小鳥遊は、意を決したように頷いてから、魔法を使った。


カチャ…


彼女の魔法により、部屋の鍵が開錠され、ドアが開く。


「失礼します、東条くん」


小鳥遊はトレーを持って東条の部屋に勝手に入室した。


「あ、東条くん。そこにいたんだ…」


そこまで広くない寮の部屋に入るなり、東条の姿を認めた小鳥遊は笑顔を浮かべる。


東条は部屋の隅の壁に背を預けるようにして座り込み、ぼんやりと目の前の虚空を見つめていた。


小鳥遊はトレーを持って東条に近づいていく。


東条は小鳥遊が近づいても、顔を上げることさえしなかった。


まるで魂が抜けてしまったかのように、目の前の何もない空間を見つめながら少しも動こうとしない。


「食事、ここに置いておくね」


小鳥遊は食事の乗ったトレーを机の上に置くと、東条の下にしゃがみ込んだ。


「大丈夫かな、東条くん」


「…」


「みんな、心配してるよ」


「…」


「どうして、部屋から出てこなくなっちゃったの?」


「…」


「何か、悩みでもあるのかな?」


「…」


「私でよければ相談に乗るけど…」


「…」


「話してくれないかな?」


「…」


東条は小鳥遊がどんなに話しかけても口を開こうとしなかった。


小鳥遊は部屋を立ち去り、そうっとしておくことも考えたが、久しぶりに見た東条の顔が、どこか悲しげに、そして寂しげに見えたので、そばに寄り添うことにした。


東条の隣に腰を下ろし、東条と同じ姿勢で前を向く。


「また、助けられちゃったね、私。東条くんに」


「…」


「一度目は、怪人オロチに襲われた時。あの時に今度は私が東条くんを助けようって。命を救ってもらった恩返しをしようって決めたはずなのに…怪人たちに負けて人質になって、結局東条くんに助けてもらっちゃいました。私、東条くんに迷惑かけてばっかりですね」


「…」


「会長たちと怪人たちに捕まった時、私はもうダメだって思いました。それぐらい、魔法少女育成学校を襲撃した怪人たちは強かったです。私たち、東条くんが車で持ち堪えようって、頑張ったんですけど…葉も立たずに負けてしまって…それで人質として攫われちゃいました。怪人たちは私たちをすぐには殺そうとしなかった。東条くんを誘き寄せるために餌にするって…」


「…」


「私はその時に死を覚悟した。流石に、東条くんも今度ばかりは私たちを見捨てるだろうって。いつも助けられてばっかりの役立たずの私たちを助けるために、東条くんが命を落とすことはないって、そう思いました。死にたくはなかったけど、でも東条くんに死んでほしくなかったから、こないでって心の中で願ってた。私たちのことは見捨てて、東条くんは生きてって」


「…」


「でも、東条くんは助けにきた。東条くんならきっと来るって心のどこかではわかってた。死を覚悟したのに、東条くんがきてくれた時、やっぱりすごく嬉しかった」


「…」


「でも、嬉しかったと同時にすごく悲しかった。申し訳なかった。私たちのせいで東条くんが死んじゃうんだって。東条くんを殺したのは私たちなんだって、そう思ったから」


「…」


「でも東条くんは死ななかった。怪人を全部倒して、私たち全員を救い出した。私も会長も千代ちゃんも、二度もあなたに命を救われてしまった」


「…」


「私はそのことにすっごく感謝してる。私だけじゃない。他の魔法少女たちも、千代ちゃんも美柑ちゃんも会長も、東条くんにすっごく感謝してる。お礼を言いたいって思ってる。東条くん、私たちの命を救ってくれて、本当にありがとう」


「…」


「だから、今度は私たちが東条くんの力になりたい。何か思い悩んでいることがあるのなら話してほしい。私、東条くんのためならなんだってするよ?ねぇ、東条くん。お願い、話してほしい。悩みがあるなら、私たちに打ち明けてほしい。少しでも東条くんの気持ちが楽になる手伝いがしたい。東条くんの力になりた

い」


「…」


「お願い、東条くん。あなたに少しでも元気になってほしいの」


小鳥遊は登場の耳元で、偽らざる本音を語りかける。


彼女の気持ちの一部が伝わったのか、東条の表情が僅かに動いたように感じられた。


「俺の、せいだ…」


「え…」


東条が初めて言葉を発した。


掠れた声で、自らを苛むように何かを口にした。


「俺の、せいなんだ…俺が悪いんだ…」


「何が…?なんのこと…?東条くんは何も悪くないよ?みんなが生きてるのは東条くんのおかげだよ…?」


「違うんだ、小鳥遊。全て俺が悪いんだ」


「どういうこと?話してくれない?」


「…っ」


東条が顔を上げて、小鳥遊を見た。


その顔は今にも壊れてしまいそうなほどに悲痛に歪んでいた。


「思い出したんだ、全部」


「思い出した?何を?」


「自分の過去を。本当の記憶を…。自分が何をしたのかを」


「どういうこと…?」


「四年前の大災害、街を破壊したのは俺だ」


「え…」


東条はなきそうな表情でポツポツといった。


「全部思い出した。四年前のあの日、街を破壊したのは俺だ。両親もきっと俺が殺したんだ。妹も俺が…他の人たちも俺が…」


「どうして、そう言い切れるの?」


「お前も見ただろ、小鳥遊。俺の本当の姿を」


「…」


小鳥遊の脳裏に、一ヶ月前の記憶が蘇る。


廃校で怪人ハデス率いる怪人の軍団と戦った東条。


たった一人で最強の怪人たちと戦い、殺されそうになってしまった東条。


だが東条が殺されそうになった寸前で、東条の体に変化が起きた。


突如として東条の体が黒い闇に纏われ、体が肥大化した。


東条は姿を変えた。


まるで怪人のような見た目に。


その時のことを小鳥遊ははっきりと覚えていた。


「思い出したんだ。妹は俺に助けを求めていたんじゃない。妹は俺から逃げようとしていたんだ。俺が怪人だから…俺が街を壊したから…」


「そんなことない…東条くんがそんなことするはず…」


「いや、俺は怪人なんだ。ずっと記憶に蓋をしてきたけど…あの時死にそうになってようやく思い出したんだ…俺は怪人なんだ。四年前、街を襲った大災害の原因…怪人エックスは俺なんだ…」


「違う、そんなことあるはず…」


小鳥遊は東条の言葉を否定しようとするが、東条が一ヶ月前に見せた圧倒的な強さを思い出し、口をつぐんだ。


確かにあの時の東条の強さは常軌を逸していた。


怪人ディアボロスを一瞬で倒し、黒幕である怪人ハデスも瞬時に葬り去った。


あの時、小鳥遊が東条から感じた圧倒的な強さは、これより強い生物などこの世界に存在するはずがないと彼女に思わせるほどだった。


『なぜ逃げる…?なぜ怖がる…?俺は、お前たちをタスケタイダケナノニ…』


『ひぃ!?』


東条に手を差し伸べられた時に西園寺が浮かべた恐怖の表情が思い浮かぶ。


味方だとわかっても恐怖してしまうほどの存在感があの時の東条にはあったのだ。


もしかしたらあの時の東条なら、四年前の大災害を引き起こせたかもしれないと、一瞬小鳥遊もそんなふうに考えてしまう。


だがすぐにそれはあり得ないと首を振った。


東条は優しい人間だ。


とてもそんなことをできる性格ではない。


自分や他の生徒会のメンバーがなん度も助けられているのがいい証拠だ。


仮に東条が四年前の大災害を引き起こしたとしても、それには何か原因があるはずだ。


小鳥遊はそう考えて、東条をまっすぐに見る。


「聞いて東条くん。私には東条くんがそんなことをする人間には見えない」


「たか、なし…?」


「私たちは何度も東条くんに助けられた。東条くんは罠だと知って、命の危険を冒して、それでも人質の私たちを救うために私たちのもとに来てくれた。そんな東条くんに、大災害が引き起こせたとはとても思えない」


「違う…俺だ…あれは俺がやったんだ…」


「違うよ。東条くんは絶対にやってない。私を信じて」


「…お前に、何がわかる。俺の何が」


「わかるよ。東条くんがすごく優しくて、誰よりも他人思いな性格なことは私が一番わかってるから」


「俺は、怪人なんだ。魔法の力だって…元を正せば怪人の力があるからだ…俺は怪人だから、魔法少女じゃないのに魔法を使えるんだ。俺が怪人だから、みんな俺を怖がって、逃げていくんだ…」


「仮にそうだとしても…それでも私は東条くんの味方だよ?」


「え…?」


東条が驚いたような表情で小鳥遊を見た。


小鳥遊は呆気にとられた様子の東条に安心させるようににっこりを微笑んだ。


「仮に東条くんが怪人でも、四年前の大災害の原因でも、みんなに恨まれてる怪人エックスだったとしても…私は東条くんの味方だよ。ずっと東条くんのそばにいる」


「どう、して…?なんで?俺が怖くないのか?」


「怖くないよ」


「嘘だ。俺が怖いはずだ。俺は怪人なんだ。みんなと一緒にいちゃいけない存在なんだ」


「違うんだってば。ああもう……えいっ」


「…!?」


柔らかい感触が東条の唇に重ねられる。


東条は驚きに目を見開く。


自らの唇で東条の口を塞いだ小鳥遊は、そのまま東条を優しく包み込む。


東条の表情から険しさが徐々に失われていく。



「ぷはっ」


「…」


やがて、小鳥遊は東条から口を離した。


「これ、結構苦しいね」


照れ臭さを誤魔化すようにそんなことを言ってから、呆気にとられている東条に笑いかけた。


「ここまでさせたんだから…ちょっとは信用してくれた?」


「…ああ」


「そっか。ならよかった」


「小鳥遊…」


「なぁに?」


「…ありがとな」


東条のお礼を聞いて、小鳥遊は朗らかに笑った。


「うん。少しは元気になってくれたみたいで、本当に良かった」



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