【声劇台本】探偵・九十九龍之介の怪奇手帖 壱『静謐なれど深淵なる狂気』

家楡アオ

『静謐なれど深淵なる狂気』(♂:♀:不問=2:2:0)

【台本名】

 探偵・九十九龍之介の怪奇手帖 『静謐なれど深淵なる狂気』


【作品情報】

 脚本:家楡アオ

 所要時間:55~60分

 人数比率 男性:女性:不問=2:2:0(総勢:4名)

 原案:芥川龍之介 『河童』(1927年)


【登場人物】

 九十九 龍之介(つくも りゅうのすけ)

  性別:男性、年齢:20代後半~30代前半、台本表記:九十九

   本作の主人公で、神田神保町にて探偵事務所をかまえる私立探偵。

   不思議な事件を取り扱う事から『怪奇探偵』と呼ばれており、

   オネエ言葉を喋るイケメン。

   安倍晴明を祖とする土御門家の者であり、戦闘に特化した

   呪術を得意とする。


 千里(ちさと)【※

  性別:男の娘、年齢:100歳以上(見た目は10代後半)、台本表記:千里

   九十九の式神であり、助手であるオス♂の猫又ではあるが、彼の趣味に

   よって女性モノの服を着させられており、華奢で愛らしい容貌から少女

   と勘違いされる。

   性格は自信過剰で好戦的、良くも悪くも裏表のない不良気質の強い人物。


 芥川 龍之介(あくたがわ りゅうのすけ)

  性別:男性、年齢:20代後半~30代前半、台本表記:芥川

   売れっ子の小説家で、彼との出会いにより九十九が事件に関わることになる。

   空虚感が入り混じったような雰囲気を纏うダウナー系青年。

   彼との出会いが、九十九たちが事件に関わるようになる。


 怪異『河童』【※

  性別:??、年齢:??(10代の少女)、台本表記:怪異

   今回の事件の元凶で、『狂気を伝染させる』性質を持つ。

   九十九たちを襲撃した時は黒の瘴気を纏っていたが、

   実際はとある民族衣装を着た少女の姿をしている。

   正体は、■■■に伝わる水棲の霊的存在である『■■■■■』。


 白川 清香(しらかわ きよか)【※

  性別:女性、年齢:20代、台本表記:白川

   白川伯爵家の令嬢で、現在は東京府立松澤病院に入院中。

   元々は貞淑ではあるも活動的な女性であったが、『河童』に

   出会ったことで狂ってしまった。


 斎藤 茂吉(さいとう もきち)【※

  性別:男性、年齢:30代、台本表記:斎藤

   東京府立松澤病院の院長である精神科医で、芥川と白川の主治医。

   神経質な性格をしている。



【台本・配役テンプレート】

 台本名;

  探偵・九十九龍之介の怪奇手帖 『静謐なれど深淵なる狂気』

  URL 

  https://kakuyomu.jp/works/16818093084198450732

 <配役>

  九十九 龍之介:

  千里:

  芥川 龍之介 / 斎藤 茂吉:

  怪異『河童』 / 白川 清香:

  

※配役検索に役立ててください。

☆:九十九

□:千里

△:芥川龍之介、斎藤茂吉、N②

◇:怪異『少女』、白川清香、N①

――――――――――――――――――――――――――――――――――


【0】


△芥川:げに人間の心こそ


△芥川:無明むみょうやみことらね


△芥川:ただ煩悩ぼんのうの火と燃えて


△芥川:消ゆるばかりぞいのちなる。


△芥川:芥川龍之介あくたがわりゅうのすけ、『袈裟けさ盛遠もりとお』より



                (間)



◇N①:東京・浅草のとあるジャズバー。

    そこに奇妙な2人がいた。


□千里:りゅうのすけ~


◇N①:ひとりは少女。

    その姿はまるで洋風人形の様で可愛らしい。


☆九十九:…………。


◇N①:もうひとりは、男性。

    ハイカラな恰好かっこうをしており、端正たんせいな顔立ちをしている。

    少女の呼びかけに反応せずに、グラスに入ったデンキブランを

    一口飲んだ後に、煙管キセルを口にくわえてけむりを吹く。


□千里:なぁ~? きいてんのか~?


☆九十九:…………。


□千里:なぁー! りゅうのすけー!!

    あんぎゃ!!


☆九十九:うっさいわね、こっちは優雅ゆうがに酒をたしなんでいる最中なのよ!


□千里:だからって、ゲンコツするのはどうなんだよ!!


☆九十九:アンタのやかましい声で、折角のジャズが聴こえないのよ。

     雰囲気ふんいきを壊さないでちょうだい。

     それに、アンタが「ジャズバーに行きたい」ってしつこく

     わめくから連れて来たというのに……早々に飽きてどうするのよ。


□千里:だって~

    酒はピリピリしてまずいし、なんか眠たくなるような

    音楽だし……つまんねぇんだもん……


☆九十九:ガキのアンタには、この良さがわからないわよ。

     ほら、黙ってミルクでも飲んでなさい。


□千里:ちぇ……


△芥川:――そこのお二人さん。


◇N①:ひとりの男性が、ふたりに話しかけてきた。

    上等な和装を着ているが、髪の毛はボサボサに乱れていた。

    目の下にはクマがあり、それが病弱びょうじゃくかつ貧相ひんそうな印象を与えた。

    しかし整った彼の顔は、どこか退廃たいはい的な魅了

    を感じさせる雰囲気ふんいきを放っていた。


△芥川:隣、いいかい?


☆九十九:ええっ、どう——


□千里:あっーーー!!


☆九十九:うっさ。


△芥川:どうしたんだい?


□千里:ま、間違いない!

    アンタ、芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけだろ! そうだろ!!


△芥川:おや、僕のことを知っているのかい?

    それは嬉しい事だ。

    お嬢さんのような愛らしい子に知ってもらえるなんてね……

    少しは作家稼業かぎょうをしていて良かったかな?


□千里:俺は、お嬢さんじゃない!

    ねこま——アンギャ!?


☆九十九:ごめんなさいね。

     うちの助手が騒がしくして。


□千里:2度目のゲンコツ!!


☆九十九:あんたがバカだからしょうがないでしょ。


□千里:理不尽りふじんだー!!


△芥川:あはは、元気でいいじゃないか。

    僕も昔は溌剌はつらつとしていたんだが……

    でも、今はこのように……色々とありすぎてくたびれてしまったよ。


☆九十九:それよりも、いつまでたっているつもりかしら?

     隣、空いてるわよ。


△芥川:それじゃあ、失礼するよ。

    ――あぁ、マスター、今日はデンキブランを。

    えっ? 今日も、だったね。


◇N①:バーのマスターは直ぐにボトルを取り出し、

    慣れた手つきでグラスにお酒を注いでいく。

    ほんのりとした琥珀こはく色の酒が、芥川の目の前に置かれた。


△芥川:(勢いよく飲んだ後に)ふぅ……あぁ、いいお酒だ。

    ヒリヒリと五臓六腑ごぞうろっぷわたるなぁ……


☆九十九:最初からそんなに飛ばして大丈夫なのかしら?


△芥川:いいんだ……うん、いいんだよ。

    喇叭らっぱ飲みもなんもその……今日は酒におぼれたいんだ……

    いや、ここ毎日飲んでいるなぁ……いつからだろう?

    あの大震災の後からか? 次男が産まれたときから?

    それとも北京ペキンで〝あのむすめ〟に会ってからか……?

    いかんなぁ、物忘れも出て来たな。


☆九十九:ちょっと、本当に大丈夫なの?


△芥川:大丈夫だよ、意外と酒は強いのでね。

    ――そういえば、旦那だんな

    名前を教えてもらってもいいかな?


☆九十九:あら? これは誘われているのかしら?


△芥川:あはははは! おもしろい事を言うねぇ。

    確かに、アンタは女言葉を使う奇妙な美丈夫びじょうふだ。

    長そうで短い人生……男色だんしょくを経験するのも悪くない。


☆九十九:あらら、それはそれは。


△芥川:――でも、遠慮えんりょしておくよ。

    生憎あいにく、僕は家庭を大切にする男なのでね。

    あっ、でも……帝国大学に通っていた時だったら君と寝ただろうさ。


☆九十九:あら、それは残念。

     高名こうめいな作家先生と一夜を共にするのは悪くなかったけど……

     まあ、冗談じょうだんはさておいて。

     九十九つくも 龍之介りゅうのすけよ、神田神保町で探偵業を営んでいるわ。

     偶々たまたまだけど、先生と同じ名前ね。漢字も一緒。

     で、このウルサイ単細胞が助手の千里ちさと


□千里:おい! 俺のどこが単細胞なんだよ!!


☆九十九:そうやって、すぐ怒るところよ。


□千里:ぐぬぬ……


△芥川:探偵、か……それはまた、面白い事をしているねぇ……


□千里:作家先生様よォ!

    龍之介りゅうのすけは、ただの探偵じゃないんだんぜ?


△芥川:ほう?


☆九十九:ちょっと、千里ちさと――


□千里:人智じんちおよばぬ複雑怪奇ふくざつかいきの事件を華麗かれいに解決し、

    その姿にまさに天魔てんますら逃げるとう!

    人呼んで――怪奇探偵かいきたんてい! 九十九つくも龍之介りゅうのすけ!!


◇N①:千里ちさとの自慢げな口上こうじょうに周囲の注目が集まる。

    一部は九十九つくものことを知っている者がおり、

    ひそひそと何かつぶやいていた。

    そんな状況に彼はうんざりとした表情かおを浮かべる。


☆九十九:はぁ……


△芥川:『怪奇探偵かいきたんてい』、か。


☆九十九:いざ、そう言われると恥ずかしいわね。


△芥川:結構じゃないか、素晴らしいと思うよ。


☆九十九:それはどーも。


△芥川:それにさ。


☆九十九:んっ?


△芥川:僕たちが此処で出会ったのは運命かもしれないね。

    怪奇探偵かいきたんていさん?


☆九十九:……それは一体どういうことかしら?


△芥川:アンタに、とあるなぞを解明して欲しい。

    とびっきりの面白いモノだ。


☆九十九:へぇ……随分ずいぶんと自信があるじゃない。

     聞かせて頂戴ちょうだい


△芥川:その前に。


☆九十九:んっ?


△芥川:提供する代わりと言っちゃなんだが……

    追加のデンキブランの代金をお願い出来ないかな?


□千里:うわっ、たかってきた!


☆九十九:あら、売れっ子作家なんでしょ?

     私の様な弱小探偵なんかより、よっぽどお金を持っているじゃない。


△芥川:実はね……此処ここに来る道すがら、財布を落としちゃってね。


☆九十九:しょうがないわね。

     ただし、しょうもないモノだったら……承知しないわよ?


△芥川:あぁ、それは勿論もちろんさ。

    私は物語に関しては嘘をつかない主義でね


☆九十九:そう……なら、期待しているわ。

     マスター、この人にデンキブランをもう一杯。

     ええ、代金は私が持つわ。


□千里:俺にも同じのを!


☆九十九:あんたはミルクでも飲んでなさい!!


□千里:ぎゃ!!


△芥川:お嬢さん、これを飲むにはもう少し大人になってからのほうがいい。


□千里:だから、俺は……いや、言うのをやめておく。


☆九十九:あら珍しい、少しは成長したじゃない。


□千里:うっせ、バーカ!

    3回もゲンコツくらえば、少しは学ぶわ!


☆九十九:はいはい、わかったわかった。

     それで、芥川あくたがわ先生?

     早く、その〝なそ〟とやらを教えて頂戴ちょうだいな?


△芥川:まあまあ、探偵さん。

    夜は長い、そうあせらずだよ。

    物語はゆっくりと、じっくりと楽しむものだ。

    それじゃあ始めよう。

    ――最近、僕は新作の製作をしているんだが、どうも上手くゆかない。

    そんな自分を見かねて、友人が興味深い話を持って来たんだ。

    『河童かっぱ』に会った者がいる、と——



☆九十九:『探偵たんてい九十九つくも龍之介りゅうのすけ怪奇手帳かいきてちょう


△芥川:『静謐せいひつなれど深淵しんえんなる狂気きょうき



【Ⅰ】


◇N①:九十九つくもおごりで注文したデンキブランを

    芥川あくたがわは一気飲みし、そして語り始めた。


△芥川:『河童かっぱ』に会った者の名は……白川しらかわ 清香きよか……。


☆九十九:白川しらかわって……確か、白川しらかわ伯爵家はくしゃくけの?


△芥川:あぁ、大事な大事な娘さんさ。

    今は松澤まつざわ病院に入院してしまっているけどね。

    ……彼女の人生は大きく変わってしまった、『河童かっぱ』のせいでね。

    幻覚げんかくを毎日見て、突然発狂はっきょうしてしまうことを繰り返す。

    そんな彼女が話す『河童かっぱ』の話は、荒唐無稽こうとうむけい夢想的むそうてきだ。


☆九十九:でも、あなたはそれを「嘘」とは感じなかった。


△芥川:そうだ。


☆九十九:でも、松澤まつざわ病院って精神患者を収容するための病院じゃない。

     ……先生、あなたも狂っているのかしら?


△芥川:アハハ! それはあり得るハナシだ!!

    なにせ、僕は周りから狂人と呼ばれているからね!!


☆九十九:…………。


△芥川:おっと、失礼……感情がたかぶってしまった。

    煙草タバコを吸わせてくれ。

    えっと、燐寸マッチは——んっ?


☆九十九:どうぞ?


△芥川:気が利くね。

    流石、探偵さん。

    失敬するよ、ふぅ……


◇N①:一服した芥川の表情は恍惚こうこつの色に染められる。

    そんな彼の表情から、九十九は〝ある事〟に気付いた。


☆九十九:見ない銘柄めいがらね、ソレ。

     まあ、吸い過ぎに注意しなさいよ。


△芥川:おや、それはアナタだって同じだ。

    今時珍しい煙管キセルを吹かしているじゃありませんか?

    愛煙家じゃなきゃ手を出ささない代物しろものだ。


☆九十九:そうね……でも、アンタが吸っているのは煙草タバコじゃないでしょ?

     北京ペキン? 上海シャンハイ? それとも、満州まんしゅう製?

     ソレは快楽をもたらすけど、ロクな結末しか待っていないわよ。


△芥川:アハハ……お見通しって訳か……かなわないねぇ……


☆九十九:まあ、どうだっていいわ。

     話を続けて。


△芥川:あぁ、すまないね。

    それで友人のツテを頼って、僕は彼女に会う事が出来た。

    収容される前だったのが幸いだった。

    立派な邸宅ていたくの一室にひとり、彼女は居た。

    うつろな目に、柔和にゅうわ微笑ほほえみ。

    それは、まるで夢遊病むゆうびょうの患者の様に。

    そして、彼女は僕を見るとこう言ったんだ——


(※回想シーン:開始)


◇白川:――お待ちしておりました、芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ様。


△芥川:こいつは驚いたね。

    この会談は非公式で、ついさっき決まったのだけど……


◇白川:それは、〝あの子〟が教えてくれましたので。


△芥川N:彼女が指さす方向には誰もいなかった。

     しかし僕は、彼女を肯定こうていすることにした。


△芥川:そうかい、そいつはとんだ悪戯イタズラ好きな子供がいたものだ。

    如何いかにも、私は芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけだ。

    しがない物書きだ。


◇白川:あら?

    貴方あなた様がしがない物書きでしたら、

    多くの作家がどうなってしまうんでしょう?

    私、貴方のファンなんですよ。

    『舞踏会』、とっても大好きです。


△芥川:そいつはありがたいお話だね。

    それじゃあ、白川しらかわ様――


◇白川:白川しらかわ様、なんてお堅い言葉で私を呼ばないで。

    清香きよかでいいわ、先生。


△芥川:……あぁ、わかったよ。

    では、清香きよかさん。

    君がた全てを教えてくれ。


(※回想シーン:終了)


△芥川:とにかく精神患者とは思わせない、気さくで不思議な少女だったよ。

    僕の訪問を幻覚げんかくしゃべったそうだが、そこまで万能なものなのかねぇ。


□千里:誰かが言ったんじゃねぇの?


△芥川:うーん、それはあり得ないだろうね。


□千里:どうしてだ?


△芥川:後から聞いたんだが……

    彼女は幻覚げんかく以外の存在との交流を拒んでいたんだ。

    実の家族ですらね。

    一言でも発しようとすると、自らの耳をふさ仕草しぐさをし始める。

    ちょうど、このようにね。

    でも、その時の彼女は耳をふさ仕草しぐさはせず、

    嬉しそうに語り始めたんだ。

    「自分は『河童かっぱ』に出会い、『河童かっぱ』の国に行き、そこで何を見た」のかと。


☆九十九:『河童かっぱ』って……あの妖怪の『河童かっぱ』のことかしら?


△芥川:あぁ、そうだ。

    3年前の夏に、長野ながの穂高山ほだかやまに集団登山をした際、

    同行していた上女中かみじょちゅうと共に集団とはぐれてしまった。

    それで彷徨さまよっているところで、『河童かっぱ』に出会ったそうだ。

    好奇心ゆえに、彼女は単独でソレを追いかけた。

    そして、追いかけている内に『河童かっぱ』の国にまよい込んだ。


☆九十九:『河童かっぱ』の国……?


△芥川:あぁ、彼女は言ってた。間違いなく、あれは国であったと。

    しかし人間社会のことわりとは全くの真逆であったそうだ。

    メスがオスに優位に立ち、中絶は日常茶飯事の性風紀せいふうきみだらさ、

    優性思想をとする極端な資本主義社会、そして合理性を

    何よりも求められる。

    最近では『職工しょくこう屠殺とさつ法』と呼ばれる悪法が出来て、職を失った

    職工たちをガスで安楽死させて食用の肉に加工して市場に流通している。

    まさに、エログロナンセンスの集合体、此処に在り。

    今の文壇ぶんだんに立つプロレタリアの連中が聞いたら、卒倒そっとうしそうな話ばかりさ。

    どうだい?


☆九十九:どうだい、って……そりゃあ、なんかの三文小説さんもんしょうせつ

     読んでいるみたいだわ。


□千里:てか、共食いとかえげつねぇだろ……


△芥川:予想通りの反応だ。

    まあ、信じろというのが無理な話さ。

    頭がイカれている僕でされ、正直困惑したものだ。

    でも……さっきも言ったが、彼女が「嘘」を言っているとは思えなかった。


☆九十九:へぇ……


△芥川:もちろん、それを裏付ける話もある。

    彼女を含めた登山をした者たちの陰惨いんさんたる末路まつろだ。

    『河童かっぱ』の話を彼らにも話をしたらしい。

    そしたら、登山を企画した元公卿くぎょうの華族は没落し、同行していた者たちは

    原因不明の病気や自殺で亡くなった。

    清香きよかさんは狂い、妄言もうげんき続ける始末しまつ

    そして彼女に付きっていた上女中かみじょちゅうは、長野から白川しらかわてい

    戻ってきた翌日の夜に発狂はっきょうした。

    ――「河童かっぱが! 河童かっぱが!! 私たちを迎えに来る!!」

    ――「今度は私の番だ! 河童かっぱが来た!!」

    ――「たすけて、たすけて、死にたくない」

    そして、彼女は剃刀カミソリで自らの喉笛のどぶえを切り裂いた。


☆九十九:三文小説さんもんしょうせつから怪談かいだんに変わったわね。


□千里:こわっ!?


☆九十九:アンタが怖がってどうするのよ。


△芥川:確かに結末は怪談かいだんみたいだが、それでも多くの

    〝なぞ〟が散りばめられている。

    さて、こんな時間だ……そろそろ、帰らないと。


☆九十九:ちょっともう終わり?


△芥川:僕から話すのは、ね。

    後は、彼女から聞くといい。


☆九十九:なに、この封筒ふうとう


△芥川:これは〝招待状〟みたいなモノだよ。

    封筒ふうとうの宛先の人物に会い、僕の名前を出せば彼女に会えるさ。


☆九十九:ふーん……斎藤さいとう茂吉もきちって、松澤まつざわ病院の院長じゃない。

     知り合いだったり、するのかしら?


△芥川:斎藤さいとう先生は、僕の創作仲間であり、主治医でもあるんだ。

    すばらしい精神科医さ。

    ――言っただろ? 僕はイカれてるって。


☆九十九:私が、狂人の言う事を信じると思う?


△芥川:だったら、探偵さん。

    アンタだって僕に〝何もしない〟ということをしないでしょう?

    それに信じていなかったら、僕がふところに隠している財布から

    二杯目のお駄賃だちん徴収ちょうしゅしているだろうさ。

    更に罰金もとられていたかもしれない。


□千里:えっ!?


☆九十九:先生、あなた、探偵に向いてますよ。


△芥川:いやいや、どちらかと言えば、こざかしい詐欺師さぎしだよ。

    それに僕は、しがない物書きだよ。

    それ以上でも、それ以下でもない。

    それでいいんだよ。


☆九十九:また、会えるかしら?


△芥川:あぁ、もちろんだとも。

    真実を聴かないといけないしね。

    僕は嬉しいよ、久しぶりに心の底から

    「おもしろい」と思える人間に出会えて

    再び相まみえる為に、もう少し長生きしないといけないね。


☆九十九:褒め言葉として受け取っておくわ。


△芥川:さて、このままだと三杯目を恋しくなってしまう。

    妻と子供たちに怒られてしまうからおいとましよう、それじゃあ。


□千里:――行っちまった。


☆九十九:そうね……さて、千里ちさと

     アンタはさっきの話についてどう思う?


□千里:嘘だろ。

    ――その女が見たっていうのは、『河童かっぱ』じゃない。

    病気のせいじゃないし、ソイツ自身が創りあげた妄想もうそうでもない。


☆九十九:答えは、ひとつ。


□千里:あぁ、〝怪異かいい〟だよ。

    それに、とびっきりに厄介やっかいなヤツ。


☆九十九:やっぱりね。

     アンタが厄介やっかいと言うぐらいだから、

     今回の件は一筋縄ひとすじなわにはいけなさそうね。

     まぁ、腕が鳴るけど。


□千里:おいおい、いいのか~?


☆九十九:んっ?


□千里:気をつけろよ~?

    俺はあやかしだから平気だけど、いくら霊力れいりょくがあると言っても、

    人間であるお前は狂っちまう可能性があるからよ。


☆九十九:それじゃあ、その時は是非ぜひとも私をって頂戴ちょうだい

     無様ぶざまな死にざまをさらすのは勘弁してほしいわ。


□千里:へっ?


☆九十九:なに間抜まぶけな顔をしているのよ。

     それに、アンタにとって悪い事じゃないわ。

     失った力を取り戻せる上に、わずらわしい飼い主から解放される。

     一石二鳥じゃない。


□千里:……まあ、そんなことは俺がさせねぇけどな!!

    不本意だけど、今の俺は九十九つくも 龍之介りゅうのすけ式神しきがみだからな!

    それに、ヘマをするほど、俺はバカじゃねぇからよ。


☆九十九:ふっ……ええ、まあ、期待しているわよ。



【Ⅱ】


□千里N:東京府立松澤まつざわ病院。

     600人近くの精神に異常を来たしている患者を

     収容されている場所に九十九つくもたちはいた。


△斎藤:まったく、芥川あくたがわやつめ……

    厄介事やっかいごとを持ち出してくるとはな。


☆九十九:すいませんね、院長先生。

     お忙しいところ、御対応頂きましてありがとうございます。


△斎藤:ふんっ……ここだ。

    この部屋に白川しらかわ清香きよかがいる。


□千里:なんだが、独房どくぼうみてぇだな。


△斎藤:いいか?

    探偵だが何だが知らんが……

    いくら狂っているとは言え、彼女は大事な患者なんだ!

    余計なマネをしたら許さんぞ!!


☆九十九:重々承知しています。


△斎藤:――二十三号くん、君に面会だ。


□千里:(※小声で)二十三号? アイツには名前があるはずだろ?

    これじゃあ、患者というよりは……囚人しゅうじんだ。


☆九十九:(※小声で)まあ、〝配慮はいりょ〟ってやつでしょ、彼らにとっての。


□千里N:無骨ぶこつ鉄製てっせいとびらが開かれる。

     鉄格子てつごうしが備え付けられた窓から外を眺めるひとりの女性。

     彼女――白川しらかわ清香きよかは訪問者の気配に気づいて微笑みを向けてきた。


◇白川:あら、斎藤さいとう先生。ごきげんよう。


△斎藤:あぁ、ご機嫌よう。

    どうだね、体調の方は?


◇白川:うん、今日は体調がいいの。

    でもね、あの子ったら本当に困った子なの。

    何度も、何度も『河童たいちょう』の話を聞かせて言ってくるの。

    毎回教えているのに、忘れてしまうなんて困ってしまうわ。


△斎藤:それは大変だね。


◇白川:でもね、いざお話をすると楽しそうな顔をしてくれるの。

    だから、私、嬉しくなっちゃって……


△斎藤:そうか、そうか。

    ちなみになんだが……その……〝あの子〟と言うのは——


◇白川:いやだわ、先生。

    そこにいるじゃない。


□千里:(※小声で)……何もいねぇよな?


☆九十九:(※小声で)私に聞くんじゃないわよ。

     妖のアンタが見えないモノを、見えるはずがないでしょ。


△斎藤:あ、あぁ……それは申し訳なかったね。

    実はね、君に来客らいきゃくがいてね。

    申し訳ないんだが、『河童かっぱ』の話を——


◇白川:知ってる。


△斎藤:えっ?


◇白川:伺っています。

    でも、私、名前を知らないの。

    あなたたちは、だあれ?


☆九十九:初めまして、白か――いえ、二十三号さん。

     私の名前は、九十九つくも龍之介りゅうのすけ

     どうぞよろしくね。


□千里:で、俺がこいつの有能たる相棒の千里ちさと様だ!


☆九十九:バカ丸出しの自己紹介はやめなさい。


◇白川:あらあら、不思議な方々ね。

    九十九つくもさんはどうして、女言葉をお使いになるの?

    千里ちさとさんはどうして、男みたいな言葉をお使いになるの?

    二人の性別が逆転しているわ?


☆九十九:まあ、そんな些事さじはよろしいじゃありませんか、お嬢さま。

     それよりも教えてくださいな。

     あなたが見た『河童かっぱ』を、私は知りたいの。


◇白川:あらあら、とてもせっかちさんなのね。

    でも、いいわ。

    私は、あなたを待っていたから。


☆九十九:名前すら知らなかった私を?


◇白川:でも、私はえていたのよ?

    いや、せてもらったほうが正しいのかしら?

    ただ、ここに名も知らぬ貴方が来るのは、わかっていた。

    不思議なえにしね。


☆九十九:えにし、ねぇ……まあ、いいわ。

     教えて、あなたが何を見て、何を感じたのか、を。


◇白川:ええ、よろしいですわ。

    あれは3年前の夏、元公卿くぎょう木ノ部このべ親保ちかもり様の御招待で

    長野県にある上高地かみこうちの別荘に訪れた時です。

    御子息の方保かたもり様が登山の御趣味で、

    「綺麗な景色を見せたい」と登山を突然提案されたのです。


☆九十九:とは言っても、それなりの山よ?

     貴女あなたに経験があるとは思わないけど。


◇白川:はい。

    なので、私達は初心者向けの登山道で行くことになりました。

    それならば軽装で済み、私たち以外にも他にいましたので、

    特に心配はありませんでした。

    ですが……不運なことに私は方保かたもり様たちとはぐれてしまったのです。

    一緒に付き添ってくれたばあやがいたのは、唯一の幸いでした。


☆九十九:それでどうしたの?


◇白川:その日は朝霜あさしもが下りていて、いつまでたっても

    晴れる気配がありませんでした。

    当初は宿に戻る予定でしたが、1時間ぐらいでしょうか?

    つゆがひどくなったので、山に登ったほうが安全かもしれない

    と考えました。


□千里:うん、それでそれで?


◇白川:谷から離れないように、熊笹くまさざの中をかき分けて歩き続けました。

    まるで冒険しているかのような気分になり、

    私は不安よりも興奮を覚えていました。

    どれくらい歩いたことでしょう。

    長く歩き続け、疲れてしまった私たちは、たまたま見つけた

    水際みずぎわの岩に腰をかけて休憩することとしました。

    腕時計を覗いてみますと、時刻は午後1時20分。

    すると、時計のガラスに気味の悪い顔がひとつ、

    ちらりと影を見せたのです。


□千里:気味の悪い顔?


◇白川:一瞬のことでしたので、よくわかりませんでしたが。

    そして、次の瞬間、ばあやが悲鳴をあげました。

    私は驚いて振り返ったのです。

    そしたら、そこに——


☆九十九:『河童かっぱ』がいた、と。


◇白川:はい、それが私と『河童かっぱ』の初めての邂逅かいこう

    私も悲鳴をあげると、『河童かっぱ』は一目散に逃げました。

    てっきり、私達を襲うものと考えていましたので、

    逃げてしまったことに拍子抜ひょうしぬけしてしまいました。

    だから……


□千里:ま、まさか……


◇白川:はい、追いかけてしまいました。


□千里:うわぁ……何しているんだよ……


◇白川:ばあやは必死になってやめる様に叫んでいましたが、

    私の好奇心が止まることを許さなかった。

    不思議な存在にかれた私は、ひたすらと走り続けました。

    すると、どうでしょう?

    『河童かっぱ』は体力のない女でも追いついてしまうほど遅かったのです。


☆九十九:…………。


◇白川:ですが、私も長く動き続けたことで疲れが限界でした。

    捕まえることが無理だと思った矢先でした、森に居るはずが無い馬が、

    『河童かっぱ』の前に立ち塞がったのです。

    『河童かっぱ』は悲鳴をあげ、笹の中に飛び込んだのです。

    私は「しめた!」と思い、『河童かっぱ』が飛び込んだ笹の中に飛び込みました。

    すると、そこに大きな穴があったのです。


☆九十九:穴?


◇白川:真っ逆さまに穴へと落ちていくのに、不思議と怖いと感じませんでした。

    まるで夢うつつの気分。

    そしたら、すぐ近くにあの『河童かっぱ』がいたのです!

    やっと、私は『河童かっぱ』の背中に触れることができたのです!

    それは、ヌルっとした滑らかで、うろこが多い魚のような感触かんしょくを感じました。

    不思議なことに、死ぬかもしれないのに、ふと、どうでもいいことに

    気付いたのです。

    別荘近くの温泉宿の側に、『河童橋かっぱばし』という橋があることを。

    そのあと、目の前に稲妻いなずまに似たものを感じて、気を失ってしまいました。


□千里N:話の大元おおもとは、芥川あくたがわから聞いた内容と同じだった。

     それに加えて、清香きよかが出会った『河童かっぱ』たちについての話があった。

     追いかけた『河童かっぱ』は『アンソニー』と言い、漁師をしているそうだ。

     追いかけたことを彼女がびた後、仲が良くなったそうだ。

     医者の『ジャック』はとてつもない名医で、多くの医者がさじを投げた

     彼女の持病を一瞬で治したらしい。

     硝子ガラス会社社長を務める『ゲイル』は、傲慢ごうまんな資本主義者ではあるが、

     人懐っこい面があり、彼女に求婚してきた。

      職を失った労働者の『マック』は食用河童かっぱにされるため、

     憲兵と思われる 『河童かっぱ』に連行されてしまった。

     流石にトラウマに感じたらしい。

     これら以外にも会った多くの『河童かっぱ』について彼女は嬉々うれうれと語る。

     その顔は、どこか恍惚こうこつに近いものだった。

     あまりの突拍子とっぴょうしのない内容に周囲は呆然ぼうぜんとするも、

     一方で、九十九つくもは顔色を変えず黙って聞いていた。


◇白川:――これで『河童かっぱ』の話はおしまいです。

    どうでしたか?


☆九十九:まあ……「すごい」の一言にきるわ。


◇白川:助手さんも、院長先生はビックリしているのに……

    アナタは表情ひょうじょうを変えない。

    いいえ、この話を聞いた皆様は何かしらの反応があったのに。


☆九十九:とは言っても、正直混乱はしているわ。

     突拍子とっぴょうしのない内容で、頭の整理が追い付かないわ。


□千里:てか、河童かっぱの奴らって同族喰いするのかよ……えげつねぇな……


◇白川:あら?

    我が帝国における第四階級の女性たちは売春を

    余儀よぎなくさせられているのだから……

    それについて厭うのは感傷主義センチメンタリズムというものよ。

    自分たちがまともな人間だと思っていらっしゃって?

    それに『河童かっぱ』の国は、とても合理的で……あぁ……!!


☆九十九:二十三号?

     どうしたの、震えて——


◇白川:ひゅー! ひゅー!!


☆九十九:過呼吸?


△斎藤:いかん! 彼女から離れろ!!


☆九十九:えっ?


□千里:龍之介りゅうのすけ、危ない!!


☆九十九:っつ! 一体、何を——


◇白川:ひゅー! ひゅー!!


九十九:あれは……!


△斎藤:どうしてナイフなんか持っているんだ!?


◇白川:出ていけぇ! この悪党あくとうども!!


☆九十九:悪党あくとう


◇白川:お前も、お前もお前も!!

    莫迦ばかで、嫉妬しっとぶかく、猥褻わいせつで、図々ずうずうしい、

    自惚うぬぼれきった、残酷ざんこくな、虫のい動物なんだろ!!

    ここから出ていけ! この悪党あくとうども!!


☆九十九:何が起きているの——―


△斎藤:もしもし、私だ!

    二十三号が、例の発作を起こした!

    至急、抑制帯とハロペリドールを持って来い!!

    それに外の警備をしている憲兵隊も連れて来い!!


□千里N:斎藤さいとうが病室内に備え付けれられていた電話でそう連絡した後、

     ものの数分立たないうちに、看護婦と複数の男たちがやってきた。

     持っていた食用ナイフを振り回し、半狂乱になる女。

     華奢きゃしゃでやせこけた女の力では、

     屈強くっきょうな男たちに勝てるはずもなく、すぐにナイフは奪われた。

     慣れた手つきで男たちは、彼女をベッドにしばり付け、

     看護婦から薬を受け取った斎藤さいとうが女の肩に注射器を打った。

     薬が身体の中に入っていき、すると、さっきの事が

     うそのように女は落ち着き眠り始めた。


△斎藤:大丈夫かね? ケガはないか?


☆九十九:ええっ、どこもケガをしていないわ。


△斎藤:いつもそうなるんだ。

    この話をする度に、最後は必ず発狂し始める。

    それに毎回同じ台詞せりふで。


☆九十九:どういうこと?


△斎藤:詳しい原因についてはわからん

    ……ただ、同じ台詞セリフを繰り返すことは、

    彼女の潜在的な意識を表していると考えられる。

    ここ最近は減薬も出来ていて、安定しているから大丈夫だと思ったんだが。


☆九十九:…………。


△斎藤:とにかく、これで面会はおしまいだ。

    もう満足しただろ、帰ってくれ。


□千里:おい、待てよ!

    俺たちはまだ――ふぐっ!


☆九十九:ええ、そうさせて頂きます。

     これ以上、彼女からは何も聞けませんから。


□千里:んっー! んっー!!(※口を手で塞がれています)


△斎藤:それにわかっていると思うが——


☆九十九:勿論もちろん、ここで起きた事は口外こうがいしませんし、

     ここにはもう来ることはありません。


△斎藤:……それでいい。


☆九十九:お時間をとらせて頂きありがとうございました。

     失礼します。行くわよ、千里ちさと


□千里:ぷはっ!

    ……わーったよ。



【Ⅲ】


□千里:――本当に良かったのかよ。

    まだ聞く事、あったんじゃねえの?


☆九十九:バカね、あんな状況じゃどうやったって上手く行かないでしょ。


□千里:それもそっか。


☆九十九:とは言っても、何も収穫がなかったわけじゃない。

    ――千里ちさと、アンタのに〝彼女〟はどう写った?


□千里:あぁ、あの女の魂の話だろ?

    ――あれはもうダメだ。

    瘴気しょうきなのか何なのかよくわからねえけど、

    どす黒いモノが魂を奥深くむしばんでいる。

    むしろ、よくヒトの形を保って生きていられるなって驚くぐらいだ。


☆九十九:それじゃあ、はらうことは——


□千里:無駄だ。

    あの黒いのと、女の魂が同化をしちまっている。

    元凶げんきょうはらったところでどうしようもないし、

    それは永遠に解かれることは無い。

    死ぬまで狂い続け、やがて怪異かいいへと変貌へんぼうする。

    まあ、その前に死ぬだろうな。

    あの状態だと、長く見積もっても2、3週間程度の命。

    明日、死んでもおかしくねぇ。


☆九十九:そう……それは残念ね。


□千里:まっ、俺らはこれ以上の被害が拡がらない様にやるしかねぇだろ。

    それが俺たちの仕事。

    そうだろ、怪奇探偵かいきたんていさん?


☆九十九:なんか気持ち悪いわね……いったい、どういう風の吹き回しかしら?


□千里:べっつにー?

    俺はただ、ちょっち辛気臭しんきくさいい顔を浮かべている相棒がいたからさ。

    落ち込んでいるのかな~って。

    俺なりの優しさっていうヤツ?


☆九十九:ふっ、アンタに気を遣わせてしまうなんて、焼きでも回ったのかしら?


□千里:おいおい、勘弁してくれよ~

    龍之介りゅうのすけ、アンタのような切れ味抜群なつぐんやいば

    なまくらになっちまったらつまんねぇじゃん。


☆九十九:それは「食べ応えがない」、の間違いじゃないの?


□千里:あはは! 違いねえや。

    さあ、行こうぜ。


☆九十九:ええ、真実を暴きに行くわよ。



【Ⅳ】


□千里N:こうして俺たちは、長野県上高地かみこうちへと向かった。

     上高地かみこうちは、長野県西部・飛騨ひだ山脈南部にある梓川あずさかわ景勝地けいしょうち

     白川しらかわ清香きよかの話にあった『河童橋かっぱばし』は、その梓川あずさかわかる

     カラマツ製の橋で、穂高岳ほだかだけ焼岳やきだけなどの風光明媚ふうこうめいびな山々を

     臨むことができる。

     そして周辺には数多あまたの温泉宿があり、人気の観光地として有名だ。

     だから、少しの期待はしたが——


□千里:――なんで、探索たんさくだけなんだよー!!


☆九十九:うっさいわね。

     さっさと仕事を終わらせて帰るわよ。


□千里:えー!!

    温泉! うまいメシ!!


☆九十九:バカ言うんじゃなわいよ、今月はもうお金がないんだから。


□千里:えー! えー!!


☆九十九:口を動かす暇があるなら、手を動かす! 頭を動かす!!


□千里:ちぇ……わかりましたよーっと。

    てか、大きな穴って言うけどよ。

    本当に見つかるのか……?

    だりぃ……それにしても、さすが神様が降臨した山

    という事もあって豊富な霊脈れいみゃくが流れているな~

    んっ、霊脈れいみゃく? そっか!

    霊脈れいみゃく辿たどれば、簡単に見つけられるじゃん!

    俺、あったまいいー!! よーし!


△N②:千里は地面に自信の手をつけ目を閉じた。


□千里:――霊脈れいみゃく接続せつぞく感応かんのう開始かいし


△N②:千里が行ったのは、山中に流れる『霊脈』に自身の

    意識を取り込む術であり、そうすることで山全体を

    簡単かつ短時間で探索たんさくすることが出来る。

    

□千里M:さて、どこにいるのかなー?

     あそこまでの邪悪じゃあくな力の持ち主なら、すぐに見つかるだろ。

     ――んっ? 川の方に何かいる……?


△N②:千里はある存在を見つけた。

    とにかく黒いモノだった。

    それと同時に彼の中に〝ある感情〟が襲い掛かる。


□千里M:えっ……どうして、俺が恐怖を感じて……まさか!


◇怪異:ミ・ツ・ケ・タ


△N②:一瞬のことだった、黒いモノと目が合ったのと同時に声が聞こえた。


□千里M:やばい! 見つか――


◇怪異:ニ・ガ・サ・ナ・イ!


□千里M:なっ、コイツも霊脈れいみゃく辿たどって……!

     しかも、速い!


△N②:黒いモノは一瞬にして千里ちさとの本体の前へと現れる。

    霊脈れいみゃくの中に意識が入っている以上、千里ちさとはすぐに動くことは出来なかった。


□千里:まずい、このままじゃ俺が取り込まれ――


☆九十九:――邪霊じゃれいを焼きはらえ!急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう


△N②:九十九つくもがそう叫ぶと、彼が投げつけた御札おふだ

    炎へと変わり、怪異に襲い掛かった。


◇怪異:ギャアアアア!! アツイイイ!!


☆九十九:チッ、逃げられたか。

     大丈夫、千里ちさと


□千里:りゅ、龍之介りゅうのすけ……アイツ、やばいよ……


☆九十九:んっ? なによ、そのおびえた顔は。

     アンタらしくない。


□千里:だって、アイツ……ただの怪異かいいじゃない……


☆九十九:ただの怪異かいいじゃない? どういうこと?


□千里:……荒御魂あらみたまだ。


☆九十九:冗談よね?

     それじゃあ、今回は神様の仕業だって言いたいの?


□千里:間違いないんだ!

    アイツ、霊脈れいみゃくを通して瞬時に移動してきた!

    本来、怪異にとって霊脈れいみゃくは毒であり、そんな事も出来やしない……

    でも、アイツは違った! これだけでも十分な証拠になる!!


☆九十九:本当に厄介なことになったわね。


□千里:どうする?


☆九十九:どうするって、やるしかないでしょ。


□千里:相手は荒御魂あらみたまなんだぞ!

    今まで俺たちが相手にしてきた、そこらへんの

    怪異かいい呪霊じゅれいとは違うんだぞ!!

    今回は分が悪すぎる……俺たち、ふたりだけじゃ……


☆九十九:ふん!


□千里:ひぎゃ! いって……なにするんだよ!!


☆九十九:アンタ、自分が言ったことをわすれるんじゃないわよ!


□千里:えっ?


☆九十九:「俺らはこれ以上の被害が広がらないようにやるしかねえだろ。

      それが俺たちの仕事。」


□千里:それは……


☆九十九:珍しくまともなことを言うから関心したってのに、

     土壇場どたんばでくだらないことをごちゃごちゃと……

     いい? 私らみたいなのはね、コレで飯食ってんのよ?

     怪異かいいが派手にやらかして、困って二進にっち三進さっちも行かない連中

     を助けるのがメシのタネなの。

     だから、やるわよ。

     誰かがやってくれるなんて期待はしない。

     こっちは自分の命を懸けてんの。

     それを承知の上で、私の式神しきがみやってんでしょアンタ!

     それともなに?

     百年以上ただしっぽ巻いてキャンキャン無駄吠えして生きてきたっての?


□千里:…………わりぃ


☆九十九:臆病風おくびょうかぜに吹かれるなんて、あなたらしくないわよ。


□千里:うっせ!


☆九十九:まっ、そこまでの元気が戻ったのなら大丈夫そうね。


□千里:へっ、まあな!

    それよりどうする?

    この様子だと、奴は遠くに離れたぞ。


☆九十九:そうね……まずは、怪異かいいを分析しないと対策が立てられない。

     千里ちさと、あなたの霊脈れいみゃく感知かんちで何が見えたの?


□千里:それが良くわからねえんだ。

    黒いモヤのようなものをまとっているせいで、ちゃんとした姿かたちは……

    いや、でも……さっき襲い掛かってきた時に……

    一瞬だったけど、ガキの姿が見えたような気がする。


☆九十九:なるほどね。

     『荒御霊あらみたま』、『河童かっぱ』、『水辺』それに『子供』。

     ……いや、そんなハズはない。

     でも、要素を考えたら〝アレ〟しか思いつかない。

     場所がおかしい上に、神格しんかくもおかしい。

     どういうことなの……?


□千里:っつ! 龍之介りゅうのすけ、あぶねえ!!


☆九十九:いたた……いきなり飛び込むんじゃないわよ……


□千里:わりぃ。

    けど、そんな余裕はなかっからさ。

    あれ、見ろよ。


△N②:千里ちさとの指さす方向に複数本の木が抉られた上に、

    地面に大きな穴が出来ていた。


☆九十九:まるで砲弾ほうだんが飛んできたかのようね。


□千里:水のかたまりがかなりやべえ速さで飛んできやがった。

    きっと、ヤツの力だ。


◇怪異:ウ・フ・フ・フ・フ・フ

    ハ・ズ・シ・タ

    デ・モ・ツ・ギ・ハ・コ・ロ・ス!


□千里:声が……!


☆九十九:…………。


□千里:くっそ、どこにいやがる……!


☆九十九:千里ちさと


□千里:なに?


☆九十九:霊脈接続れいみゃくせつぞくをして、ヤツを此処に引き寄せて頂戴。


□千里:はあ?! 何を言ってるんだよ、龍之介りゅうのすけ

    同じ手は通用しないって!!


☆九十九:いいから、私を信じなさい!


□千里:チッ、わーったよ! ヘマしたら承知しねえからな!!

    ――霊脈接続れいみゃくせつぞく感応開始かんのうかいし


◇怪異:イ・タ・ァ!


□千里M:早速かよ!

     いいぜ、来いよ……エサが待っているぞ、ここに……!


◇怪異:ヒ・ヒ・ヒ・ヒ!


□千里M:今度は霊脈れいみゃくを通して俺を取り込むのか――!


◇怪異:イ・タ・ダ・キ・マ・ス


□千里M:早過ぎる……! 龍之介!!


☆九十九:――見つけた!


◇怪異:……!!

     

☆九十九:そのえにししきモノり。

     我が十字じゅうじつ!


◇怪異:グウッ!!


☆九十九:オン・マカ・キャロニキャ・ソワカ!


◇怪異:ア・ア・ア!!


□千里:ぷはっ! あっぶねえ所だった!!


☆九十九:大丈夫?


□千里:あぁ……それよりも今のは……


☆九十九:『十一面観音真言マントラ』の真言、すなわち悪縁あくえん切りよ。


□千里:そのために接続をさせたのか!


☆九十九:突然の霊脈れいみゃく切断せつだんは流石に予想外だったようね。

     そして、こうも姿を現してくれて嬉しいわ。


◇怪異:グゥ……コ・ロ・シ・テ・ヤ・ル!


☆九十九:続けて、告げる! 吹き飛びなさい!

     ナウマク・サンマンダ・ボダナン・アビラウンケン!!


◇怪異:ギャア!!!


□千里:すげえ……荒御魂あらみたまをぶっ飛ばしやがった……


☆九十九:これでお終いよ――続けて、げる!

     かしこみ、かしこみもうたてまつる。

     不動明王ふどうみょうおう正末しょうまつ本誓願ほんせいがんをもってし、目前もくぜん邪霊じゃれいべてべよ!


◇怪異:サ、サ・セ・ル・カァ!!


☆九十九:オン・ビシビシ・シバリ・ソワカ!


□千里:よし、捕まえた!!


△N②:光の輪によって怪異かいいの動きを縛り付けた。

    しかし、それでも怪異かいいは必死になって抵抗する。


◇怪異:アアアアアア!! コンナモノデ……!!


□千里:こいつ、まだ抵抗を!


☆九十九:無駄よ。

     簡単な術式だけど、不動明王ふどうみょうおう霊縛法れいばくほうよ。

     かつては神霊しんれいであったかもしれないけど、

     怪異かいいへとちたアナタには決して解くことは出来ない。


◇怪異:グゥゥ!!


☆九十九:だから、もう諦めなさい――『ミンツチ』。


◇怪異:!?


☆九十九:それとも、『シリシャマイヌ』のほうがいいかしら?


□千里:『ミンツチ』? 『シリシャマイヌ』?


☆九十九:アイヌに伝わる霊的存在で、『ミンツチ』が正式名称で、

     『シリシャマイヌ』は別名よ。

     「魚やりょうを司る山の神」と言われてはいるけど、

     むしろこっちのほうが有名だわ。

     『ミンツチ』は――『河童かっぱ』に類する妖怪である、と。


□千里:それじゃあ、こいつが今回の……!


☆九十九:ええ、でも怪異かいいちたとは言え、

     こんな場所に居るのが、そもそもおかしい。

     いくら「山の神」の側面があるからって、

     どこの山にもいるわけじゃない。

     まあ……大方予想は出来るけど。


◇怪異:ハナセェ……ハナセェェ!!


☆九十九:段々と普通に話せる様になっているじゃない。

     さて、色々と教えてもらうわよ、あなたの事を。


□千里:龍之介りゅうのすけ……〝アレ〟をやるのか……


☆九十九:まあ、しょうがないでしょ。

     それに、あなたの心配している事は承知しているわ。

     狂気きょうきまれた時、私は狂ってしまうでしょうね。

     まあ、その時はヨロシク。

     狂って死ぬなんて、私には合わないから。


□千里:……わかった。

    その時は、すぐに食い殺してやるから。


☆九十九:結構よ、さて……あなたの中に入り込ませてもらうわよ!

     ――十二天じゅうにてんにおける西南せいなんの守護者たる鬼神きしん羅刹天らせつてん真言しんごんとなり。

     なんじ深淵しんえんたまを! オン・ジリチエイ・ソワカ!!



【Ⅴ】


☆九十九:――うん、上手く中に入り込めたようね。

     周囲は……何もないわね。

     あてもないけど、歩いてみますか。


△N②:何もない空間。

    九十九つくもは当てもなくただ歩き続ける。

    彼の足音以外の音は一切のない、静寂の間。

    そして歩く先は常に暗闇に包まれている。

    やがて……


☆九十九:んっ? これは……原稿用紙……?


△N②:それを拾うとした瞬間だった。

    1枚だけだった原稿用紙が突如として自動的に増え、

    床だけじゃなく、周囲一帯を多数の原稿用紙が貼り付けられていた。


☆九十九:今まで色んな妖の魂に入り込んできたけど、初めてよ、こんなの。

     何が書いてあるのかしら――っつ!


△N②:驚愕した。

    原稿用紙には物語の一節のような文章が書かれている。

    ひとつ、ひとつが違う内容。

    しかし、どれも共通としたテーマがあった。

    『自分が生きている社会への痛烈な批判』。

    憤怒、嫉妬、怨嗟など人間の闇を象徴する感情が

    込められて書かれている。

    読み続けていると、彼らの重い感情で吐き気を

    もよおしそうになった。


☆九十九:うっ……こんなの、呪物じゅぶつそのものじゃない……!

     久しぶりに、キたわね……


△N②:負の感情は狂気きょうきであり、狂気きょうき他者たしゃ伝染でんせんする。

    ――すると、九十九つくもの目に1枚の原稿用紙が入った。


☆九十九:これは……白川しらかわ清香きよかの……


◇怪異:そう、あの女が抱いた「この社会への痛烈つうれつな批判」だよ。


☆九十九:少女……カミサマが随分ずいぶんと可愛らしい姿をしていることに驚きだわ。


◇怪異:それはどうも。

    ――その原稿用紙の女は“ある男”に恋をしたそうだ。

    男は卑しい身分ではなかったが、平凡な庶民。

    華族と庶民、不釣り合いの二人。

    相思相愛であれど、自分たちが生きる世界では許してくれない。

    やがて二人は引き離され、女は怒り狂った。

    貞淑ていしゅく深窓しんそう令嬢れいじょうが、それはもう般若はんにゃのような顔を浮かべたそうだ。


☆九十九:彼女は、身分を――「この国の社会を構成する要素を呪った」わけね。


◇怪異:そう。

    そして愛しいヒトを自身から引き剝がすのを画策をした上女中を、

    強引に婚姻を進めようとした貴族の息子を、

    自分を不幸にした奴らを殺すのを私に願った。

    ――あやつの魂を喰らうことを条件に、な。


☆九十九:…………。


◇怪異:それにしても、お前たち、人間は本当にロクでもないな。

    時代は進み、文明が進化したとしても本質的な部分は退化している。

    他を犠牲にし、そのことで自身の生を謳歌おうかしている。


☆九十九:それについては否定する事は出来ないわね。


◇怪異:我々に対してもそうだ。

    神々への信仰心は薄らいでいき、実利じつりある神のみ選別する始末だ。

    そして、それは自らの欲望を叶える道具とする。

    お前たちは我々がもたらした恩恵を受け、今日まで生きてきたはずだ。

    受けた恩を仇で返すだけではなく、対価を求める神を悪しきモノとし、

    慈悲深い神を欲望のぐちとする。

    人間というけものは、物だけじゃなく神までも浪費するようだ。


☆九十九:……貴方あなたの事を知る者として、貴方あなたの絶望は理解できる。

     自然を平定へいていし、そして人間たちを命懸けで守ってきたからこそ……

     けど、本来の貴方には「他者を狂わす」面は無い筈。


◇怪異:あぁ……あぁ、そうだ! あの女が、忌々いまいましい!!

    私の神格しんかく疱瘡神ほうそうしんき落とした!

    ――『蘆屋あしや』と名乗った妖術師ようじゅつしに!!


☆九十九:あぁ、やはり、彼女が……


◇怪異:疱瘡神ほうそうしんの『疫病えきびょう』という性質と、

    私をむしばんでいた『狂気きょうき』が組み合わせると

    どうなると思う?

    私の存在はじれくるわされ、

    「『狂気きょうき』を『感染』させる」怪異かいいへとちた。

    ハハッ……笑える。

    こんな存在になっても、『山の神』としての性質が残っているんだ……

    くる彷徨さまよい続け、気が付いた時には故郷から遠く離れた山にいる。

    ……もう、戻ることが出来ない。


☆九十九:ミンツチ……


◇怪異:最期は、アイヌラックル様がおわす、北の大地に……

    アハハ……もう、いいや。

    人間、お前と戦い、そしてお前に負けた。


☆九十九:そうね。


◇怪異:どうやら力を使いすぎたようだ……じきに私はもう消える。

    人間、お前の名は?


☆九十九:――陰陽師おんみょうじ九十九つくも龍之介りゅうのすけでございます。


◇怪異:ハッ……最期の最期に礼を尽くしてきたか。

    陰陽師おんみょうじ九十九つくも龍之介りゅうのすけ、覚えておけ。

    人間(おまえたち)が人間(にんげん)である限り、私は再び現れる。


☆九十九:……そうね。

     神様も生まれ変わることが出来るのなら、

     今度はひっそりと過ごすのをオススメするわ。

     今回の様に狂気をばら真似まねをしなければ、

     はらうようなことはしないから。


◇怪異:神に対して不敬であるぞ、と本来は言いたいところではあるが……

    まあ、お前の言う通りだ。

    今度はそうであることを望む。

    それじゃあ、本当にさようならだ。


☆九十九:さようなら、ゆっくりと休みなさい。

     ――皮肉なものね。

     ヒトを守る使命があるからこそ、ヒトの感情に共鳴していた。

     〝ソレ〟をつけ込まれてしまったのね。

     アナタも、私と同じ〝彼女〟によって狂わされた者のひとり。

     ……さて、感傷的になってもしょうがない。

     ここから出ないとね。



                (間)



□千里:おい、龍之介りゅうのすけ龍之介りゅうのすけ!!


☆九十九:うっ……千里ちさと……?


□千里:起きやがったか……この野郎、心配させやがって……


☆九十九:なんとか、戻ってこれたようね。

     怪異かいいは?


□千里:消えたぜ、跡形あとかたもなくな。


☆九十九:そう、終わったのね。


□千里:なあ、あいつは何だったんだ?


☆九十九:そうね――アレも被害者よ。

     そして、いつかは戻ってくるでしょうね。

     いつかなんて分からないけど、ね。

     明日かもしれないし、百年後かもしれないわ。

     でも、確かよ。

     人間わたしたちが、人間にんげんである限り必ず。


□千里:それってどういう――


☆九十九:あー、疲れたわ。

     さて、ひと風呂につかって帰るわよ。


□千里:温泉!


☆九十九:そんな輝かしいを浮かべて悪いけど、メシはないわよ。


□千里:わかってるって!

    やったぜ、ひゃっほー!!


☆九十九:てか、猫又ねこまたとは言え、元猫でしょ。

     平気なの?


□千里:細けえことは気にしなくていいって!

    ほら、早く行こうぜ!!


☆九十九:はいはい。


□千里:温泉、やっほーう!!



【Ⅵ】


◇N①:再び、浅草の某ジャズ・バーにて。


☆九十九:――これが事の顛末てんまつよ。


△芥川:これは、これは。

    まるでひとつの冒険譚ぼうけんたんを聞いたようだ!


☆九十九:残念ながら、『河童かっぱ』と『河童かっぱの国』は無かったけどね。


△芥川:いやいや、それ以上におもしろい話を聞く事が出来た。

    ……うん、実に面白い。

    良い作品が書くことが出来そうだ。


☆九十九:大先生の作品作りにご協力出来たのなら光栄だわ。


△芥川:僕は、そんな大層な人物じゃないよ。

    ……さて、そろそろ行かないと。


☆九十九:あら? もう行くのかしら?


△芥川:妻と子供が待っているからね。

    ――あぁ、そうだ、君にこれを渡しておこう。


◇N①:そう言って、芥川は一枚の紙を差し出した。


☆九十九:――って、これは!


△芥川:創作を手伝ってくれたささやかなお礼だよ。

    受け取ってくれ。


☆九十九:まさか初めてもらった小切手で、こんなに貰えるとはね。


△芥川:喜んでくれて何よりだよ。

    それに、もう僕には無用の長物だからね。

    ……あぁ、実に惜しいな。

    君と出会うのが最期になりそうだ。


☆九十九:そう……それは残念ね。

     素敵な殿方に出会えたのに。


△芥川:不思議な気分だよ、君に褒められるのは正直言って悪くないな。

    ――ところで質問なんだが、君は、男が恋愛対象なのかい?


☆九十九:よくそう言われるわ。

     けど男も女も、両方を愛せる博愛精神の持ち主なのよ?


△芥川:両刀使い、か。

    あはは、こいつは困ったね。

    あんたのような美丈夫びじょうふだと、さぞかし色恋沙汰いろこいさたが多いのだろう。

    でも、気を付けなよ?

    それにはまれば、待ち受けるは地獄ぞ?


☆九十九:それは反面教師からの助言かしら?


△芥川:これは耳が痛いな。

    まあ、そんなところだ。

    それじゃあ、御機嫌よう。


☆九十九:ええ、御機嫌よう……さようなら、文豪・芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ



【Ⅶ】


◇N①:そして数日後――。

    九十九つくもの探偵事務所にて、彼はイスに座って夕焼けの空を見ていた。

    一方で千里ちさとは、来客用のソファに寝転がって新聞のとある記事を

    読んでいた。


□千里:「二年前から決していた死、芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ氏、自殺。」

    ――あの作家先生、自殺したのか。


☆九十九:睡眠薬・バルビタールの大量服用による自殺、ですって。

     斎藤さいとう先生が処方した薬らしいわよ。


□千里:斎藤さいとう先生?


☆九十九:あの精神病院の院長よ。

     ……白川しらかわ清香きよかまで自殺したから、かなり憔悴しょうすいしているそうだけど。


□千里:そっか……なあ、龍之介りゅうのすけ


☆九十九:なに?


□千里:……あいつも、狂ってたのかな?


☆九十九:さて、どうかしらね。

     今回の件、“彼女”が関わっていたけど……

     もしかしたら、今回の事件は、彼が創り上げた

     作品だったのかもしれないわね。


□千里:作品?


☆九十九:さっき届いた差出人不明の封筒を開けてみなさい。


□千里:どれどれ……んっ、本が入ってるのか……?

    『河童』……芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ……これって!


☆九十九:すごい売れているそうよ、それ。

     遺作いさくとしてね。


□千里:なあ、龍之介りゅうのすけ

    さっきの言葉の意味って……


☆九十九:バカね、所詮しょせんは推測のいきでしかないわ。

     死人に口なし、真実は河岸かし彼方かなたよ。



【Ⅷ】


△芥川:2年前からずっと考えていた。


△芥川:袋から一粒ひとつぶ、また一粒ひとつぶ


△芥川:これらは、招待状だ。


△芥川:覚めることはない、永久とわの夢への。


△芥川:――そろそろ、時間だな。


△芥川:最後の、最後で、面白いことを体験できた。


△芥川:「人間万事にんげんばんじ塞翁さいおううま」とは、こういうことだ。


△芥川:舞台は整った。


△芥川:これが、最後の仕上げだ。


△芥川:短冊に一筆。


△芥川:――自嘲じちょう


△芥川:「水洟みずばなや 鼻の先だけ 暮れ残る」

 

△芥川:……では皆さま、御機嫌よう。



(終幕)

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