Fー2
ぽんぽん。
「ん?」
ある時、ちゃぶ台の前で座椅子に居る俺の腰を、コロすけが叩いた。
コロすけは動いている。曰くは曰くでも、もしかしたらこいつは違うものなのかも。だって、こいつ自体は別の所で生まれたんだ。この部屋が発祥じゃない。
「……なあ、お前は」
ちょんちょん。あれあれ。
仰向けの里香さんを指差す。
「そうだよ……なんとかならないかよ」
……。
……。
見ていて、見ている。
人形の黒い目が、何か凄く、俺に伝える事があるんだ、と言ってる気がした。
……、とことこ。
歩く。里香さんの傍に。
そして里香さんに手を乗せた。俺を見た。
訴えかけてる気がした。
……言ってる事を、解りたかった。こんな曰く付きでも、何かを伝えようとする心はある。それが解った。
だからそっちに寄る。
コロすけが俺に手を伸ばして。
俺はその手を掴んだ――。
・ ――
大山貴里香は全てを嘆いていた。
どうして誰も解ってくれない。
どうして主は、これ程の試練をお与えになるのか。
そして、嘆いて嘆いて、絶望に陥った彼女は――。
私が一体何をしたのです。
私達が、一体なんの罪を背負ったというのですか。
信じる事が罪とされるなら、なぜそんな教えを、主はお与えになられたのですか。
信じる者は救われる。
主は、必ず我らを神の国へと導いてくれましょう。
……今全てを失った、これでも信じろとおっしゃるのですか。
それで本当に救われるのですか。
あの子達は救われたと言うのですか。
主の教えに準じた皆は、素晴らしい天国へと導かれたというのでしょうか。
主は絶えざる光を照らして下さったのでしょうか。
皆の苦しみを、慈しみを以て癒す事が出来たのでしょうか。
天国とは、こんな地獄の苦しみを受けてでも行く価値があるというのですか。
この世が試練だとお教えになられるのであれば、なぜそれは平等ではないのですか。
辱めを受け、炎に焼かれ、炭のようになって苦悶の表情をしたままの妹達が、本当に等しく安らぎを得られたのだと、おっしゃるのですか。
主に祈りを捧げる場も失われ、縋るお姿さえも奪われた今、主は私の声を、今ここで聞いて下さるのですか。
私が今まで祈り続けた、その結果がこの仕打ちとおっしゃるのですか。
まだ足りないのだとおっしゃるのですか。
解らない。
私はもう、主を信じる事がとても出来ません。
お許し下さい。もうお許し下さい――。
・
――遠い。
遠い夢だった気がする。
頭がとてもぼやけていた。俺はあんな古めかしい教会に行った事があったか?
目の前に、里香さんとコロすけが居る。里香さんはまだちゃぶ台の上で寝ていて、コロすけが寄り添うように立っていた。
「……今のは」
コロすけが?
答えはない。何も言えない。喋れないもの。
でも解った。今のはコロすけが見せてくれたんだ。それが里香さんの――。
「里香さんは……」
最初からこんな人形姿だった筈がない。その前に、ちゃんと人として生きていた時があった筈。
人間の体で、笑ったり泣いたり、ずっと昔でも、確かに鼓動を持っていた時があった。
そりゃあ観覧車でだって喜ぶだろ。百年前にあんなに高く上れる乗り物があるものか。
その時に里香さんが、かつての自分を思い出していたんだとしたら――。
くいくい。うえうえ。
上を指差してる。
上……。
天井?
ふんっ。とーーう。
ジャンプした。2メートル以上。
すげえ。身長の何倍もジャンプした。天井にまで届く程。とん。と天井に手を付く音がした。
でも、頂点まで行ったら、後は重力に体を引かれて落ちる。物体である以上、それは絶対に。
ひゅるひゅる、ぽてっ。
床に落ちて、大の字になる。
……何をやってるんだろ。
しーん……。
あれ。
しーん……。
動かない。コロすけが、床に寝そべったまま。
しーん……。
「……おい」
しーん……。
「コロすけー」
ぽんぽんと、体を叩いてみる。
しーん……。
「おい……」
嘘だろ。まさか――。
すくっ。
「うわっ」
立った。
「なんだ、びっくりさせるなよ……」
とは言え。内心凄く安堵している。里香さんだけじゃなくて、このコロすけまで――って思うと。
きょろきょろ。見回す。
下。俯いてる……いや、何か見てる?
顔を上げた。ぱっぱっと、服を払って。
……。じーっ。こっちをじーっと見て。
うん。頷いた。
何がしたいんだろう。よく解らない。
でもまあ、
「あんまり心配させるなよ?」
うん。頷く。
今がぎりぎりのライン、と姉ちゃんは言った。
それは、もしここから曰くの側に思い入れをする事があったら、常識や現実、それが根本から揺らいでしまうのだと。非常識だったものを、常識と認めてしまう事だと。視点や思想、それが曰く寄りになってしまうと――それはとてもおかしな事になる。
……情が移った。それは確かにある。
でも曰く付き、その大元の意味を考えると。
里香さんは、少しは幸せに戻ったんだと思いたい。
つらい事は、もう充分癒されたんだと。
それくらいならいい筈だ。
でないと。
癒えた筈だと、俺だけでも思ってないと、とてもつらい――。
……でも、解った気がした。里香さんは、あの時手を離せる事に気付いてしまったんだって。それが多分、里香さんにとって一番いい事なんだろうと、そう思うしかないんだと――。
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