リーブズ・アラート

今際たしあ

第1話 終末の日

「ねえ圭介。今年こそは桜を見に行かない?」

 黒髪のポニーテールがふぁさっと揺れた。愛らしい笑顔に圭介が逸らすように視線を落とすと、厚い冬の制服と雪柄のマフラーが次々と視界に映る。その更に下、ローファーからは黒タイツが太ももまで伸びており、スカートの短さを暗に示している。そんな幼なじみ――姫園美依の隣を歩き、頬を赤らめながらそっぽを向く男、焔日圭介。

「咲いたらなー。最近異常気象ばっかで、去年は紅葉すら無かったじゃん」

 カレンダーは1月24日を指す。前年の秋に葉は色付かず、緑のまま散りゆき冬を迎えた。同様に桜も蕾のまま花開かず、人々は四季の楽しみを年々失ってきている。

 数年前から続く異常気象のせいだろうか。

「きっと咲くわよ。次こそは絶対に桜を見に行くんだから」

「去年も言ってなかったか?」

 美依と圭介は、小学生時代に家族ぐるみで関わりを持っていた。毎年春には桜を見に行ったり、遠出したりと様々だったが、美依は中学で別の街に引越してしまった。

「ぜったいに、またあえるよ」そんな彼女の言葉が、ずっと記憶に残っていた。

「き、去年は絶対なんて言ってないわよ。だから咲かなかったの!」

「そんなの屁理屈じゃねーか。でも、美依の絶対は本当だもんな」

 3年越しに再会できたことを喜び、美依はまたあの頃のように二人で桜を見に行きたいのだという。圭介自身も、二人で見に行きたいと言えばそうなのだが……。

 これってデートじゃねえか!? 死ぬほど行きてえ……けど、緊張して何も喋れなかったらどうする!?

 ――などと、思春期真っ只中の男子である。

「ぜったいの、約束だからね!」

「仕方ねーなあ」

 圭介は面倒くさそうに答えるが、心は高揚していた。

 校舎に入り、二人は三階まで登った所でそれぞれの教室へと別れる。

「じゃ。また帰りね」

「おう。あとでな!」

 圭介は、席に着くと一人、退屈そうに空を見上げた。

「おはよう、焔日くん」

「おう」

 隣の席の小太りで内気な少年、寄辺颯太に声を掛けられ、圭介は笑顔で手をひらひらと揺らす。この学校は中高一貫のため、編入してきた異例の美依以外はほとんどみんな顔見知りである。

 どうでもいいような、下らない会話をした後、圭介は席についてだらっと空を見上げる。

 最近、日常に飽きを覚えていた。しかし、そんな時に舞い降りてきた、美依と桜を見に行くという予定。今日はきっと、これまでの人生で一番最高の日に違いない。

 そんなことをぼーっと考えていると、始業の鐘がなった。

 欠伸混じりに見る空は普段と変わりなく、ただ青に転々と白い雲が飾られているのみ。小太り眼鏡の教師の授業は圭介には程度が低く、子守唄にもならない。

 世界がひっくり返るような、面白いことでも起きないだろうか。

 ――そう考えていた時だった。

「綿毛……?」

 空から白くて丸い物体がいくつも流されるように降ってきている。雪か、霰か? いや、太陽は出ている。狐の嫁入りという言葉が存在するが、雨ならばもっと素早く地面に落下するだろう。

 ふわふわと風に乗る様はまるでたんぽぽの綿毛。しかし、遠くても肉眼ではっきりと見えるくらいには大きく数が多すぎる。不気味とも取れるその光景に、圭介は自然と声を漏らしていた。

「なんなんだ一体……?」

「あ? なんだ焔日、独り言が大きいぞ」

「……ああいや、すんません!」

 先生はため息混じりに言った。

「点数さえ取れれば真面目に受けんでもええが、授業妨害だけは許さんからな」

「ホントすんませんでした」

 ぴと。精一杯の作り笑顔で首を竦めると、綿毛のような物体が窓に一つ付着するところが視界の隅に映った。

「え。何これチョーデカい――」

 目の前のギャルが目を丸くして口を零す。それも仕方がないことだろう、大きさが自身の頭部とほぼ差異がない。

 ぴと。ぴとぴとぴと。謎の物体が窓を覆い尽くそうという頃、圭介は隙間から空が急速に黒済んでいく様相を目にした。それは颯太も同じようで、彼は口をあんぐりと開けて一言零した。

「あ、あれはもしかして……サンダーバード!?」

 ドドドン!!!!!!!! という音が轟いたかと思えば、窓ガラスが全てひび割れて床に飛び散った。蛍光灯の灯りも消え、辺りは暗闇状態。咄嗟に後ろに倒れた圭介は背中を強打したものの、それ以上の被害はない。

 教室のあちこちで悲鳴が上がる。「うああああっ!?」「痛い、痛ぁぁぁい!」「なんだ、何が起きた!?」「いやああ、誰か助けてよおぉお!」

  その場にいた誰もが何が起きたか理解する間もなく、教室内はあっという間に怒号やらうめき声やらで埋め尽くされた。

 もう一度空が光ったかと思えば、先程よりも大きな音と共に何かの焼け焦げる匂いが辺りを包み始めた。

「嘘だろ…………」

 一瞬教室が照らされたことで、圭介の目には映ってしまった。ガラスが刺さって出血する生徒や、煙を上げて真っ黒に染まる教師の姿。

「きゃああああ! 先生がぁあ!」

 黒焦げの肉体は崩れるように倒れ込み、前方で腰を抜かしていた生徒は甲高い声で叫んだ。一歩、また一歩と後ずさりする彼女の手に、綿毛のような物体がふさっと軽く触れる。

「きゃっ!? 何こレェェェェえ」

 白い綿毛のような物体は女子生徒に触れた途端に赤く色づき始め、逆に女子生徒はみるみるうちに、艶のある肌からまるで身体中の水分が抜け落ちたかのような、ミイラのような姿になっていった。

「……あ……だれ……カァ……」

 これをきっかけに、教室中の生徒が綿毛のような物体の被害にあっていく。

「たっ助けっァァァァ!」「死にたくナァァォァ!」

 圭介が唖然とその光景を見ていると、綿毛のような物体と目が合ったような、意識がこちらに向いたような感覚がした。じりじりと、ふわふわとにじり寄ってくる綿毛のような物体。圭介は窓下に設置されている手すりを掴んでよろよろと立ち上がると、自らの机を綿毛のような物体に向けて蹴り出す。

 そして。鬼気迫る顔で叫んだ。

「みんな! さっさと教室を出よう! 怪我してるヤツは這ってでも動け! とにかくここを離れるんだ!」

 既に何名かは教室を後にしていたようで、前後の引き戸は倒れており、廊下側の窓ガラスも残らず割れていた。

 圭介の叫びに感化されるように、頭を抱えていただけの少年や足にガラス片の突き刺さった少女などはもたつきながらも廊下に飛び出した。

 とりあえず外に出ようと圭介ら6人は階段を目指すも、下の階へと続く南側の階段は既に崩れていた。

「くそっ、まさかさっきの雷でか!?」

 寄辺は現在の状況に怯えながらも、圭介の言葉に対して疑問を抱いていた。

「ま、待って。それにしては廊下だけ綺麗なんて変だよ」

「確かに……」

 圭介は顎に手を当て、考える素振りを見せる。

 廊下はガラス片が飛び散っている他には損害がなく、比較的綺麗だ。階段はまるで意図的に壊されたかのように、地面を抉られたような後が残っている。

 怪我した足を引き摺る女子生徒は叫んだ。

「そんなんどうでもいいし! 下が無理なら上! 立ち止まっててもあの変なのに殺されるだけだし!」

 これには黙っていた他の生徒も同調する。「そうだな、早く行こう!」「私、まだ死にたくないよお!」

 殺される……死ぬ……か。夢のような話だ。これは夢なんじゃないか、いつの間にか眠ってしまったのではないか、と圭介は先程まで自身たちがいた教室にぼーっと目を向ける。

「う、上は屋上だよ!? サンダー……いや、雷の事とかもあるし、外に出るのは……!」

「だったら南側の階段! 焔日も馬鹿面晒してないでさっさと動けしぃ!」

 二人の会話が右から左へと抜けたかのように圭介は立ち尽くす。真っ赤に染る教室、中をふわふわと密封するように転がる綿毛のような物体。そして、脳裏に浮かぶは体からバチバチと電気を放っていた鳥のような存在の鋭い眼差し。あまりにも非現実で、超常現象すぎて、頭が――――

 ――とん。他の3人が別の階段を目指して走り始める中、寄辺は圭介の背を軽く叩いた。

「い、生きるための考えを止めちゃダメだ。これが例え夢でも、僕は死にたくない」

 その言葉にはっと我に返り、圭介は寄辺に向き直った。

「……悪い。俺もこんな死に方だけは御免だ」


 長い廊下を抜けて一度曲がった先の突き当たり、北側の階段を目指す一行だったが、前から女子生徒が率いる別の生徒たちがこちらに走ってくるのが見えた。

「おいお前ら戻れ! こっちは無理だ、階段が崩れている! ……って、お前は――――美依!?」

 密かに案じていた美依の安否。彼女に限って死ぬことはないと思っていたが、生きていて本当によかったと圭介は内心安堵する。

 すると、美依からも声が返ってきた。

「え、圭介!? ……じゃなくて、こっちも無理! 階段が壊れてる!」

 互いが生き延びていたことを喜ぶ暇もなく、両者らは合わさり一つの集団になった。

「美依、生きてて良かった」

「それよりも! とりあえずここに隠れるわよ!」

 南側と北側、両階段の中間に位置する空き教室。ここだけ不自然に窓ガラスが割れていない。そして、中から鍵がかかっているのか、寄辺が手をかけてもガシャガシャと音を立てるだけで開く気配がない。

「や、やっぱり鍵が無いと開かないよ!」

「どいてくれ、俺が蹴破る!」

「待って圭介、そんなことしたら隠れられないじゃない!」

 そんな問答を繰り返していると、中からカチャカチャと音がすると共に扉が横に開いた。

 中からひょっこり顔を出した、バンダナを巻いた小柄な少女――夜鳥光は圭介らに向けて微笑んでみせた。

「さ、どうぞ。みなさん入ってくださいな」

 腕を組み、空き教室へなだれ込んだ一行を侮蔑するかのように睨みつける眼鏡の男――白夜紳太郎。

「夜鳥。さっさと扉を閉めて鍵をかけろ」

「はーい、ですよ」

 白夜に促され、夜鳥は足に怪我を負った最後の女子生徒が入るのを確認し扉に鍵をした。

「はあ、はあ……とりあえずは助かったみたいだな……」

「そうね……。本当に死ぬかと思ったわ……」

 背を寄せ合い、互いの無事にほっと胸を撫で下ろす圭介と美依。

 何かを察したのか、夜鳥は二人を穏やかな表情で眺めていた。

「ふふっ。生き残りが増えて、嬉しいです」

 ここの教室はカーテンが閉められており、机も窓側に積み重ねて置かれている。おそらく、白夜の指示による物だろう。

 白夜は聞こえるように舌打ちをし、不機嫌そうに吐き捨てる。

「チッ。これで危険度が増した。もしもここが襲われたらお前のせいだからな、夜鳥!」

 寝転がっていた圭介だが、白夜を睨みつけて起き上がる。

「おいお前。そんな言い方は無いだろ」

 白夜も負けじと圭介に歩み寄り、高い身長で見下す。「助けてもらった分際で、ボクに口答えするのか?」

「助けてくれたのはバンダナの子だ。お前じゃない!」

 白夜は更に眉を吊り上げた。

「最終的な決断を下したのはボクだ。貴様らにこれ以上入口で騒がれるとアイツらが寄りかねんからな。だが判断を読み違えたようだ」

「はっ、学年一の秀才の癖して判断ミスかよ」

「二人とも言い争いはやめて」

 美依が間に割って入り、両者の額を押し剥がす。

「今は生き残り同士、どうするかを考えないと」

 ふと周りを見れば、二人のやり取りを怪訝そうに見つめる少年や恐怖から一度解放されて泣き出す少女、患部を抑えて歯を食いしばる女子。そしてあわあわと忙しなく手を動かす夜鳥に、何やら深く考え込んだ様子の寄辺など様々であった。

「フン。姫園の言う通りだな」

 白夜はわざと足音を立てて離れると、圭介を嘲るように振り返った。

「全く羨ましいよ。運があればバカでも生き残れるんだもんな」

 圭介は拳を強く握ったが、美依がふるふると首を横に振ったためしぶしぶ引き下がる。

「我が身可愛さに他人を切り捨てるような腰抜けに言われたくはねーよ」

「白夜くん。圭介。私、やめてって言ったわよね」

 美依の滲み出る怒りのオーラに、白夜は一瞬たじろぎ、トレードマークである眼鏡を軽く上げた。

「……フン」

 圭介も引きつった笑みを浮かべて見せた。

「はは、悪かったよ……」

「みなさん、心身共に疲れているんですよ。焦る気持ちは分かりますが、一度休息が必要です」

 夜鳥に促され、各自体を寄せ合うでも無く、壁を背もたれにしてバラバラに座りあった。

 白夜と圭介は向き合う形で離れて座り、夜鳥は白夜の隣に。美依や寄辺は圭介を挟むような形で座っている。聞けば、美依も圭介らと同じように、突然の雷と綿毛のような物体の襲来で教室内は地獄絵図と化したらしい。

「A組は俺と寄辺……そしてあそこにいる4人」

「C組は私含めて4人だけ。B組はおそらく白夜くんと夜鳥さんだけよね……」

「そ、それじゃあ二年生で生き残っているのって……ぼ、僕たち12人しかいないってこと!?」

「……信じたくは無いけどな」

 そう、信じたくはないんだ。教室での記憶がフラッシュバックし、最悪の事態が起こっていることを理解せざるを得ない。

「くそっ、何なんだよアレは!」

 振り返っても仕方がないが、やはり恨まざるを得ないのは――――

「未確認生物」

 寄辺はそう呟いた。

「き、きっと雷を降らせたのはサンダーバードで、あの綿毛はケサランパサランだと思う」

 突然の言葉に、圭介と美依は顔を見合わせた。

「サンダーバード……雷の鳥かしら?」

「ケサ……なんだって?」

 寄辺は大きく深呼吸をすると、話し始めた。

「ぼ……僕はオカルトが好きで、そういう類の本ばかり読んでいるんだ。雷を降らす神鳥、サンダーバード。雷を呼ぶ綿毛のような存在、ケサランパサラン。僕たちを襲ったのは多分、その二体」

 遠くで聞き耳を立てていたのか、白夜は深くため息をついた。

「未確認生物だって? 全くバカバカしい。オカルトなどボクは信じない」

 圭介は白夜を睨んで言った。

「だったら現状をどう説明するんだよ。アイツらは的確に俺たちを狙ってきていただろ」

「偶然だ」

「そんな偶然あるわけ――」

「ちょっと待って」

 美依は圭介の言葉を遮るように言った。

「もしも偶然じゃないとしたら、ここも危ないんじゃない?」

「で、でも雷はあれきりだし、ケサランパサランは階段から離れる時にどこかへ消えていったよ」

「よく見てるわね寄辺くん。でも、まだあと一体いる」

 寄辺と圭介は考えるような素振りを見せ、今度はこの二人が顔を見合わせた。

「そうか、階段の。……悪夢は続くってことか」

「一体何の話をしている」

 白夜は訝しむような表情を見せる。そんな白夜に対し、圭介が答える。

「俺や美依は南階段と北階段に別れて逃げようとしたんだが、既にどっちも崩れてやがった。それも、大きな爪に抉られたみたいにな」

「ということはですよ」

 夜鳥は不安そうに小さな声で呟いた。

「助けが来るまでここで立てこもるってことですか」

「いいえ。その必要は無いわ」

 美依は立ち上がり、その場にいた全員の顔を見回した。

「みんな聞いて。今から、学校を抜け出すわよ」

 美依の言葉に生徒らは多種多様な表情を見せたが、一瞬希望に満ちたような表情をした点に置いては同じであった。しかしただ一人、白夜だけは怪訝そうな顔を見せる。

「そこの非常用スロープで外に出るつもりだろう。だったら賛同はできない。安全だという確証がない」

「かと言って、ここで助けなんて待っている時間はないの。こうしている間に階段を壊した何者かが襲ってくるかもしれないし、助けなんて来ないかもしれない」

「貴様らの言う化け物が日本中……いや世界中に溢れているかもしれないと? だとすれば、どこに隠れていても同じだろう?」

「そうかもしれないわね。それでも私は、自分の命が尽きるその瞬間まで諦めたくない」

 美依の言葉に、圭介は終始圧倒されていた。普通の神経ならば今この状況を悲観し、憂い、現実逃避する。しかし美依は違う。

 白夜も反論ができず、舌打ちから先の言葉を返すことは無かった。

 突然に、死と隣り合わせの日常が訪れて。どうして美依は冷静に、かつ気高く居られるのか。

 死にたくない気持ちは同じ。だからといって、待っているだけでは何も変わらない。

 圭介はそんな彼女に感化されるように、気づけば行動を起こしていた。

「美依の言う通りだ。みんなここから逃げるぞ! 動ける奴は机退かすの手伝ってくれ!」

「待て焔日! また変な綿毛が入ってきたらどうする!」

「そ、それは大丈夫だと思うよ。ケサランパサランは飛んでいる姿を二回見られると消えるらしいんだ」

「だってよ、白夜」

 俺も私もと、続々と立ち上がりバリケードをどかす手助けをする生徒たち。白夜は苛立ちを隠せない様子で、タンタンと足音を鳴らしている。

「どいつもこいつも憶測ばかり……! だからバカは嫌いなんだよ!」


 粗方バリケードを剥がし終わり、圭介は恐る恐るカーテンをほんの少し開いてみる。

 外は快晴だ。ケサランパサランの姿はなく、サンダーバードが飛んでいる様子もない。

 圭介はカーテンと窓を勢いよく開け、スロープを力いっぱい外へと投げた。

「よし、これで脱出できるぞ――――」

 瞬間、黒い影のような物が現れたかと思うと、圭介の隣に立っていた屈強な男子生徒はぐらりとその巨体を揺らした。

『一歩遅かったみたいだなぁ』

 圭介に向けて、赤色の液体が飛び散る。視線を落とせば男子生徒は胸に大穴を開けて事切れており、目の前には身長2メートル程度あるだろう、頭の先から足の先まで黒一色に染まった不気味な人型の何かが立っている。あまりの恐怖に、圭介は腰の力が抜けてしまいその場に尻もちをついた。

『"月"の継承者。その命、もらいに来たんだなぁ』

 顔のパーツもわからないほど黒で塗り固められた人型の何かから放たれる殺気。そして、既に圭介らの命は手中にあるんだという、絶対的な支配。人型の何かは教室をぐるりと見回した後に圭介らを見つめ、氷柱のように鋭く並んだ真っ白い歯をニヤリと覗かせた。

 その姿に一同は畏怖よりもどうしようもない絶望感を覚え、その場に竦む。美依は目を見開いたまま全身をかたかたと震わせ、白夜は酷く怯えた顔で柱によりかかっている。寄辺は腰を抜かしてガチガチと歯を鳴らし、夜鳥は白夜の足にしがみついている。

 サンダーバードやケサランパサランの時とは違う。無差別ではなく、一人一人に殺すという意識が向けられている。圭介は息をする事すら忘れており、はあはあと大きく肺を揺らした。

 その場にいた誰もが死を確信した。

『あれ、この学び舎じゃなかったかぁ。"月"の反応があった気がしたんだがなぁ。悪いなぁ、間違えて皆殺しにしちゃったなぁ』


 月。謎の単語を連呼し、わざとらしくニヤニヤと笑みを浮かべる怪物に対し、圭介はふつふつと怒りの感情を抱いていた。しかし、他の誰もが頭を必死に回転させて逃げる方法を考えている。すぐに鍵を開けて階段まで走れば――いや、鍵を開けている隙に後ろからなんとでもされてしまうだろう。じゃあ窓から飛び降りるか? そもそも窓から飛び降りる前に死んでしまう。

 つまり、待っているのは――――

「死……」

 美依は一言零した。対して怪物は申し訳なさそうに頷く。

『そうだなぁ。もしかしたら月の継承者は既に死んじまったかもしれないしなぁ。残念だが、今回も前と同じく滅んでもらうしかないなぁ。この調子だと、七つの警告セブンス・アラートも全部は復活しなさそうだしなぁ。あーあー、期待ハズレが過ぎるよなぁ』

 そう言うと、怪物は足元で震えていた女子生徒の頭を踏み潰した。辺りには鮮血が飛び散り、再び圭介の顔に付着した。血液が頬を伝うと同時に、体から温度が抜けていく感覚がした。

 寄辺は自分の意思に反して無意識に呟く。

「ふ、フライング……ヒューマノイドぉぉ……」

『お? オレサマの正体がバレてんのかぁ? ま、どうでもいいけどなぁ』

 そう言うとフライングヒューマノイドはぺたぺたと音を立てて歩き、フライングヒューマノイドを見ないように頭を抱えて震えていた男子生徒を片手で掴みあげ、不敵な笑みを浮かべた後に頭部を鋭利な歯でボリボリと噛み砕いた。

 このままでは、全員殺されてしまう。散々強い口を叩いていた白夜や、希望を抱いていた美依ですらお手上げ状態だ。

 

 思考を止めちゃだめ。少しでも、体を動かすの。逃げられないなら、せめて立ち向かえ――――美依はぐっと体に力を入れるも、震えて思うように動いてくれない。

 

 圭介はそんな美依に反して、空っぽのように何も考えられなくなっていた。怒り、恐怖、絶望。感情だけが彼の脳を支配する。

『悪いなぁ。ホントに俺は申し訳ないと思っているんだよなぁ』

「きゃあーあぁぁ! だっ誰か助けろし! あーしは怪我して動けないんだからぁぁぁぁぁあ」

 抵抗虚しく、女子生徒は頭から丸呑みされた。一人、また一人と命を奪われ、気がつけば生存者は夜鳥、白夜、寄辺、美依、圭介の5人しか残っていなかった。

「ひいっ」

 フライングヒューマノイドが白夜の方を向き、白夜は彼らしくない小さな悲鳴で後ずさる。夜鳥はよろよろとフライングヒューマノイドの前に立ち塞がろうとするが、立っているのもままならない状態だ。絶体絶命の状況を前に、美依は足を振り上げていた。

「やああああああっ!」

 繰り出されたハイキックはフライングヒューマノイドの後頭部に命中したが、全く効いていない様子であった。

『効かねえんだなぁ』

 今度は逆に美依が足を捕まれ、床に叩きつけられる。

 狙いが美依に向いたことで、圭介ははっとした。

 このままじゃ美依が殺されてしまう。それだけはダメだ、守らないと。でもどうすればいい、諦めちゃダメだ、考えろ、考えろ――――。恐怖心よりも美依を助けたい一心が勝り、圭介は何度も教室を見回した。何か戦えるような物はないか。共倒れになってしまうかもしれないが、美依の言う通り、自分の命が尽きる瞬間まで諦めたくない。

 だから、何か、何か、何か――――――。

 圭介は手元に転がっていた椅子を手にし、怪物へ殴りかかった。

「うおおおおおおお! 死ね! この、クソ野郎!」

 恐怖は拭えない。しかし、それよりも怒りと美依を助けたい一心が勝っていた。

『弱っちぃなぁ。オマエはなぁ』

「ぐっ、がはっ!」

 フライングヒューマノイドが腕を振るうと、圭介は腹に強い衝撃を受け、背後の崩れた椅子たちの元へ飛ばされた。

「圭介っ!」

 幼なじみが傷つく姿を見て、美依は悲痛な叫びを上げる。安全圏にいるはずの寄辺は、勇敢に立ち向かう圭介を見て、自分もと頭ごなしにぶつかっていく。

「こ、これ以上みんなを殺させないから!」

『無駄だと言ってるんだがなぁ』

 寄辺が何度突進しても、フライングヒューマノイドはビクともしない。フライングヒューマノイドはくるりと振り返ると、口元から鋭利な歯をにたりと覗かせる。寄辺は腰を抜かして倒れ込み、あわあわと後ずさっていった。

 

 ――どいつもこいつも馬鹿か本当に。無駄に抵抗しないのが得策なんだよ! 無駄に刺激するようなことをするな!

 

 白夜は唇をぐっと噛み締め、寄辺や美依、圭介から目を逸らす。そんな白夜を見て、夜鳥は立ち上がろうとした足を諌めた。

『ああ、オマエらは本当に惨めだなぁ。はは、仕方ないかぁ。大事な女だもんなぁ。 可哀想だしなぁ、今すぐに殺してやるとするかなぁ』

 フライングヒューマノイドは美依の首元を掴んでいる手にぐっと力を込めた。

 美依の苦しそうな声が教室に響き、圭介は再び立ち上がろうと足や腕に力を込めるも、胸部に激痛を覚えてその場に蹲った。

「焔日……やめておけ。肋骨が折れているはずだ」

「……こんくらい平気だッ……! 美依は殺させない……絶対に!」

「無謀だと言っている! 下手に死に急ぐな馬鹿が!」

「アンタうは、美依が殺されるのをここで黙って見てろって言うのかよ!」

「そうだ。今までだってそうしてきただろう」

「ッ……!」

 圭介は唇を噛み締め、白夜から目をそらす。

 反論はできない。だって、美依以外は別に――――。

 何を思ってか、寄辺も目を泳がせている。

『仲間割れかぁ? はは、お前らは自分の命が脅かされると、いつも言い争っていたよなぁ。薄っぺらい薄っぺらい』

 フライングヒューマノイドが高らかに笑うと、圭介らは耳を押さえた。空気が振動しているのだ。両手が塞がっている美依は気絶しかけたが、何とか意識を保とうと、彼女の首元を掴んでいるフライングヒューマノイドの手を更に強く握る。

『情熱とか希望とか、今どき寒いぜぇ。どれどけ足掻こうが、無理なもんは無理だぁ。死ぬ前に学べて良かったなぁ。次はもっと頑張れよなぁ』

「それでも、俺は……!」

『ゲームオーバーだぁ。馬鹿共』

「ゲームオーバーはお前だ」

 フライングヒューマノイドが美依を手にかけようとした瞬間、何かが目にも止まらぬ速さで窓から侵入してきた。

「ッ――――!?」

 その場にいた誰もが反応する間もなく、フライングヒューマノイドの体は上下に分断され、その場に崩れ落ちた。

『なぁ!? 誰だぁ!?』

「僕は対DFC特殊部隊――通称リーブズ"月光"隊長の月霜瑛人。"月"のアラートを探すに、君を討伐しに来た」

 フライングヒューマノイドを両断したのは、小柄で細身の少年――――月霜瑛人。前髪の一部分だけ白く染まっており、両手にはダガーナイフを持っている。

 フライングヒューマノイドは初めて怒りのような表情を見せ、床から月霜を睨んだ。

『ヒーロー気取りの雑魚が調子に乗るんじゃねえよなぁ』

「随分と安い挑発だね。まだ軽いジャブのつもりだったんだけど、そんなに痛かった?」

『はは、油断大敵だぜぇ』

 フライングヒューマノイドの下半身だけが起き上がり、月霜に強烈な蹴りを浴びせる。

「チッ、小細工を」

 月霜は咄嗟に両手のダガーでガードし、何とか振り払う。しかしフライングヒューマノイドの下半身は黒い粒子となって溶け落ち、代わりに上半身だけの姿で寝ていたはずのフライングヒューマノイドは下半身を生やし、美依の首を掴んだまま圭介の真横――割れた窓の前に立っていた。

『手土産にコイツは連れていくぜぇ。ツキシモぉ、次会うときは全力で相手してやるからなあ』

「逃がさない」

『来させない』

 黒い粒子が体に巻き付き、月霜は身動きが取れない。必死に振り払うも、何度もしつこくまとわりついてくる。

 圭介は、その場を去ろうと踏み込むフライングヒューマノイドの足首を何度も殴った。

「くそ、くそっ、くそ! 美依を離せクソ野郎!」

 やはりビクともしない。圭介の力では、一矢報いることすらできない。

『やっぱり弱いって愚かだよなぁ』

 フライングヒューマノイドは圭介を見下ろし、ニヤニヤと笑う。

 退屈であれど、嫌いではなかった日常。何年も同じ学び舎の元で育った仲間。それらを奪い、今度は昔から隣を歩んできた大切な人をも奪おうとするクソ野郎に。

 ――――なんっにも、できないなんて。

「圭介」

 涙を流しながら拳を振るい続ける圭介に向け、美依は必死に声を絞り出した。

「ぜったいに、桜を見に行こうね」

『じゃあなぁ。弱者共』

 フライングヒューマノイドは圭介を振りほどくと、美依を連れて空の彼方へと姿を消した。

「美依いいいいいいいいい!」

 圭介は手を伸ばし、力の限り哭き叫んだ。――いや、叫ぶことしかできなかった。

「チッ……馬鹿にしやがって」

 月霜はダガーを腰ある鞘にしまうと、こめかみに手を当てぶつぶつと呟く。誰かとの連絡だろう。

「……こちら"月光"隊長、月霜。フライングヒューマノイドらしきDFCを取り逃しました。…………現時点では四名です。……はい、はい――――」

 緊張が溶けたのか、白夜はその場にへたりこみ、壁に背を預ける。夜鳥も白夜に習い、そっと肩を寄せる。

「一体どうなるんだ、ボクたちは」

「……わかりません。でも、一緒に頑張りましょう」

 寄辺は泣き崩れる圭介に這いより、声を掛けた。

「だ、大丈夫? 焔日くん……」

 大丈夫な訳がない。しかし圭介には、もう反発する元気すら残っていなかった。

 恐怖、怒り、悲しみ、痛み。様々な感情に押しつぶされそうになり、圭介はその場に倒れ込む。

 ――アイツが来なければ、こんなことにはならなかった。いや、俺が弱かったからか? 俺が強ければ、美依が連れ去られることも無かったのか?

 考えても仕方がないことばかり、ぐるぐると脳を巡る。

 今までの無力な自分はいらない。簡単な事だ、強くなればいい。もう大切な人を失わなくて済むように、こんな事態を引き起こしたクソ野郎たちを全部全部殺してやれるように。

 きっと今日は、人生で一番最悪の日だ。

「はは。美依、俺はお前を絶対に救ってみせるさ」

 圭介は高らかに笑い、気絶するように意識を手放した。

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