第2話 非日常②

塾の入り口から真っ暗になった空を眺めると今日も一日が終わったんだな、と実感する。


辺りを見回しても自分の他に人の姿は見えず、塾の校舎を眺めると、上から段々と電気が消えていくのが見えた。


「帰るか……」


真っ暗な空に、シャッターの閉まった商店街。


スーツ姿のサラリーマンとチャリンコで走る警察。


コンクリートの道から顔を上げても、いつも同じ景色で、僕の見てる世界は一つの絵なんじゃないかと思えてくる。


大学受検まで約500日。


今はこの生活が正しいと思っている。


高校生は勉強が全てだし、学歴が人間の価値に直結する。


なにより、両親が言っているんだ。


これが最適解。


きっといい大学に行ければ親も認めてくれるし、大学生になった時には正解だって思えるはずだ。



……そういえば中学生の時も同じような事を思っていたな。



高校生になれば。


そんな期待を抱えてなった高校生は、中学生と何も変わることはなかった。


正しいはず。


神様教えてくれよ。


本当に今の僕は正しいのか?


未来の僕、出てきてくれ。


大学では幸せなのか?




独りでに溢れる涙が世界をしわくちゃにする。


「くそっ!」


本当は、こんな生活はもう続けたくない。


クラスメイトみたいに、放課後は遊びたい。


休日は遊園地に行ったり、カラオケに行ったり、友達とご飯を食べたり。


そんな青春が僕にも欲しい。


誰か、誰か助けてくれ。


空を仰ぎ、真っ白な月に手をかざす。


「助けてくれ……!」


湿気のない風が、僕の声を暗闇へと誘ってしまう。


景色は変わらず、モノクロの世界が広がっている。


「何で生まれてきたんだろ……」


ため息をついた次の瞬間だった。




「――て」




どこからか声が聞こえた。


それは小さく、ため息と被っていれば確実に聞き逃していただろうほどの音量。


何の音かは全く分からない。



そのはずなのに、このときの僕は何故か確信していた。


その人が僕を待っていると。


視線を上げると少し行った突き当りの奥に公園が見えた。


塗装のはがれた黄色の柵と緑の木々に囲われている、あの公園からだ。


謎の焦燥感に駆られながら公園へ向かっていくとまた声が聞こえてきた。



今度ははっきりとその声が聞こえた。


……て、か。


入り口の入りにくい柵を超えて、園内を見渡す。


長方形の中に滑り台、トイレ、ジャングルジム、ブランコが順に設置されている。


壊れている電灯が明滅していて見にくいが、ブランコのほうに若干人影が見える。


あそこだ。


思わず唾液を飲み込んだ。


期待と高揚感が口角を歪ませるのを抑えながら、砂で出来た地面が音を鳴らさない様にゆっくりとそれに近づいてい

く。


電灯の点滅が終わり、暗闇が続いた。


次第に目が慣れてきて、その中にシルエットが見える。


……思っていたより小さい。


どんな人間だろうか。


緊張が絶頂に達し、ついにそれをみた。






しかし期待の末、そこに見たのは僕が想像していたのとは全く異なる人物だった。


真冬だというのに布切れのような薄い一枚の服。


露出した手足にまかれる包帯や前髪の隙間から覗いているガーゼや傷口の数々。




――虐待。


その言葉が真っ先に浮かんだ。


俯いているので表情は見えないが、なんとなく想像出来る。


その余りにも予想とは違う様相に後ずさり、右足が左足に絡まってしまった。


地面の砂利が靴と擦れあって足を滑らす。


「わっ!」


派手に尻餅をつき、しまった、と思ったときには既に少女が顔を上げていた。


真っ暗な世界から一転、電灯が光り、少女と目があう。


「あっ」


絶対的な確信を感じた。





――運命だ。


ゾクッとする感覚に飲み込まれ、心臓が激しく鼓動する。


大きく見開いた目は彼女にくぎ付けになり、呼吸するのも忘れてしまった。


星空を移したような瑠璃色の瞳、水分の含んだ桜色の唇。


無造作に伸ばされた黒髪は、前髪だけ綺麗に整えられている。


初めて誰かを可愛いと、思った。




まるで天使が地上に降りてきたんじゃないかと錯覚してしまうほどだった。


そんな優太に反し、少女は驚きと警戒心を半々にした目で優太を見つめていた。


「君……」


見た目通りの鈴を転がすような声を出し、彼女は少し間を開けてから言葉を続けた。


「助けてくれない?」


はっと我に返ったように惚けていた頭が一気に冷静になった。


そうだ、彼女は虐待を受けているんだ。


少女は窺うようにじっとこちらを見つめる。


上目遣いに意識を失いそうになったが、なんとか踏ん張り、安心させるように即答する。


「もちろん」


すると彼女はほっとするような表情をみせ、立ちあがった。


「ついてきて」


余りにもあっさりしたその様子に少しの違和感はあったが、些細な事。


そのまま彼女の後ろをついていった。

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