天上音楽

暇崎ルア

前編

 前衛的過ぎて理解者が少なかったり、作者のこじれた精神が垣間見えるような変な音楽をいつも引っ張り出してくるのは、中学から腐れ縁の友人、鮎川だ。

「お前の好きなテクノ系の曲なんだけど」という軽い入りでその曲のURLが送られてきた。

 スティーヴィー・ワンダーの名曲と同名の「Higher Ground」というその曲は、「THEDA」というクリエイターが作った曲だった。「THEDA」は「テダ」と読むのか、はたまた「THE・ダ」と読むのかははっきりしない。

『聴いてもらえばわかるんだけど、構成とかも凝っててさ。大分考えられてる曲なんだよ』

 実際に聴いてみたところ、素人の僕でもわかるほど確かによくできた曲ではあった。

 この曲はエフェクトのかかった男性ボイスの「Get High」という掛け声から始まる。ドラムンベースが基本のビートを作ったあと、徐々にアップテンポになるシンセサイザーが全体を彩っていく。「リスナーを飽きさせない」「聴かせ方が上手い」とでもいえばいいのだろうか。三分ほどで終わってしまうのが短く感じられて何度もリピートし、十回目を聴き終わりそうなころには、僕の身体は音楽に合わせてインド映画のごとく踊っている有様だった。

『確かに良い曲だし、気づいたら踊ってたわ』

 五分後「もっとこの電子音の波に身を任せていたい」という自分を必死になだめてヘッドホンを外した僕は、こう鮎川に返すのがやっとだった。

『お前、何踊ったよ?』

 なぜそんなことを気にするのか訳がわからず返信を逡巡していると、向こうから先に困ったような顔の絵文字と共に次の一文が送られてきた。

『これ聴いてるとさあ、身体が踊りだしちまうんだよな』

 そこまで不思議がることではないような気がしたのだが。

『ダンス音痴のお前が踊りたくなるんじゃ、よっぽどダンス向けの曲だな』

 中学の体育で必修だったヒップホップを上手く踊れず、あろうことか講師からも失笑を買った鮎川は「もう二度とオレはダンスなんかしねえ!」と宣言した男だった。

『そういうのじゃないんだよ。なんて言えばいいのかなー』

 鮎川からの返信が絶え、五分後に長文が送られてきた。

『音楽聴いてオレが踊りだしたくなることなんかない。お前も知ってるだろ? 何しろ、オレは運動音痴の極みだからな。ダンスミュージックの電子サウンドが好きなだけで、自分が踊るのは絶対にご免なんだ。でも、この曲はマジで違うんだよ。『踊りたくなる曲』っていうより、『踊らされる曲』っていう方が近いんじゃねーかな。これさ、もしかしたらやばい曲かもしれぬいって思えてきたわ。どうしよう? けど、完成度高い名曲ってことに変わりはない』

 鮎川の直感を全てぶつけたような怪文には異常な緊迫感がこもっていた。最後の誤字は鮎川の恐怖と困惑の現れだったのかもしれない。

『他の曲も聴きたいけど、これ以外ないんだよな』

 再生画面に表示されるのはサムネイルと同じ黒い画像だけの地味なものだし、インスト曲だから歌詞もついていない。そのせいか再生数も三千をちょっと超えているだけで、コメント欄もコメントはゼロ。

 どうやってこんな曲見つけてきたんだ、と問うと『オススメで流れてきたんだよ』とありきたりな答えが返ってくる。

 鮎川の言う通り、THEDAの他の曲も探してみたがこれ以外は見当たらなかった。この曲だけを残して一切合切音楽活動はやめてしまったということなんだろうか。だとしたら、もったいない気もする。


 大学も全休の昼下がり。僕が待ち合わせ場所の公園にたどり着いたときも、鮎川はフルワイヤレスのイヤホンをつけた状態で踊り狂っていた。

「わりーな。つい聴いてたら、これだ」

 好きと何とやらは紙一重なのかもしれないとさえ思った。

「かっこいいとこの途中で申し訳ないんだけどさ」

 周りを見渡す。ベンチでゆっくり昼ご飯を食べたかったであろうサラリーマンも、砂場で泥団子を作っている最中だった幼い少年も、公園にいる人たちは皆口をあんぐり開けて、鮎川のダンスを見ていた。ダンサーを目指している若者のダンスの練習ぐらいにしか思われていないと思うが、こちらまで共感性羞恥に襲われるからそろそろやめてほしい。

「そうなんだよな、オレもやめたいんだわ」

 運動量の激しいロジャー・ラビットやポップコーンを華麗に決めながら、鮎川はひきつった笑顔を見せた。かつてのヒップホップ講師が今の鮎川を見たら、あまりの驚愕でひっくり返るに違いない。

「じゃあ、やめろよ」

「……うえへ、うえへ、たかいところへ」

「はっ?」

 踊りをやめない鮎川は返事もせず、お経でも読むかのようにぶつぶつと喋り続けていた。病んでいるかのような虚ろな目で。

 さすがに何かがおかしい。

 木陰に無造作に置かれていた鮎川の携帯を開き、ロック画面に表示された音楽アプリの再生停止をタップする。

「あれ? なんだ、これ? ――あっ」

 鮎川の目は正気に戻っていた。

「どういうことだよ、これ」

「見当もつかねー……。でも、なんか助けられたっぽいな。ありがと」

 顔から滝のように汗を垂らしながら、鮎川がへなへなとしゃがみこむ。

「お前、もうプロのダンサー目指せよ」

「するわけねーだろ。聴くのやめたらもう何も踊れなくなるんだからな。身体が勝手にああしてたんだよ」

「お前の意思じゃないみたいな言い方だな」

「それだよ!」

 鮎川がパチン! と両手を叩く。

「あのとき、踊ってたのはオレの意思じゃない。あの音楽のせいなんだよな!」

 それはさすがに他責思考が過ぎないか。

 僕だって自力で音楽が止められなくなるぐらい踊り狂ってるようにならないと、その理論は成立しないはずだ。

 僕が反論しても、鮎川は黙っていなかった。

「それは、何度も聴いてないからじゃないかな。お前、今までに何回聴いた?」

「さあ、十回ぐらいじゃないの」

 実を言うと、鮎川に勧められた日以降聴いていない。日々更新される、好きなアーティストの音楽を追うのに忙しいのだ。

「だからだな。オレはここんところ一日五十ぐらいは普通に聴いてるからな」

「それは……」

 聴きすぎかもしれない。

「だから、その分異常が起きるようになっちまったんだよ。絶対そうだ」

 それはさすがに想像力の飛躍だとは思うが。

「お兄さん、かっこよかったっすねえ!」

「すごかったっすよ、今の!」

 校章バッジのついた制服を着た少年たち四人が話しかけてきた。このテンションの高さと話し方から見ると、クラスカースト上位ぐらいだろう、と勝手に想像する。

「おう、ありがと」

「さっき、何の曲で踊ってたんすか? マシュメロとか?」

「いや、そんな有名なのじゃねーよ」

「じゃあ、何て曲すか?」

「何でそんなこと知りたいんだ?」

 思わず僕も口を挟まずにはいられなかった。

「オレら、ダンス部なんですよね。秋に大会があって、そろそろ曲と振付けを決めなきゃなんないんすよ」

「音楽ぐらい自分たちの好きなものにすればいいだろ」

 鮎川が僕も思ったことを代弁してくれる。

「マンネリっていえばいいんすかね? いつものメンバーで決めちゃうと似たような曲ばっかりになっちゃって……」

 と、長い前髪をワックスで固めた男子高生。

「お兄さんたち、音楽詳しそうじゃないっすか。だから、オレらの知らない曲たくさん知ってそうだし」

「お願いしますよ」

 少年たちの異様なぐらいの執着にめんどくさくなった鮎川が「しょうがねえな」と呆れながら携帯を操作し、「Higher Ground」の再生画面を見せた。

「お前、それダウンロードしたのかよ」

 鮎川が再生していたのは、動画サイトではなく携帯内臓の音楽アプリのものだった。

「この間概要欄確認したら、フル音源配信してるURL書いてあったんだよ。しかも、公式っぽいんだよな」

 もう一度確認したら、確かにあった。ただし、最下部にあるので、概要欄を開いて下までスクロールしないと見つからないようになっているのだろう。

「へー、こんな曲あるんだ!」

 鮎川が示した曲に、少年たちはすごい勢いで食らいついた。

「でも、この曲で踊らない方がいいかもしれないぞ」

「何でですか」

「さっきと言ってること違うじゃないですか」

 鮎川は後悔しているような目線を僕に一度投げてから、言った。

「これを聴くのは嫌な予感がする。やめとけ」

 少年たちは顔を見合わせたあと、一斉に噴き出した。

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