32.大切な友達

 しばらくそうしていると、やがてまつ毛が震え、ゆっくりと杏輔きょうすけが目を覚ました。

 

「……絢?」

「おはよう、キョウちゃん」

「絢!?」

 

 大慌てで身を起こした彼は、その瞬間に脛をテーブルに打ち付けて呻き声をあげる。心配して絢世あやせが近寄ろうとすると、それを拒絶するように彼はこちらから距離を取った。

 

「な、何をしてた!」

「何って、足大丈夫かなって」

「そこじゃない!」

「……えーと、膝枕? ダメだった?」

「当たり前だ!」

 

 喚き散らす杏輔の顔は真っ赤である。

 

「だって、キョウちゃん寝苦しそうだったし」

「だからなんだ。軽々しく男にそんなことするんじゃない!」

「キョウちゃんだからいいかなって」

「それは……、どういう意味だ」

「え、どういうって?」

 

 急にトーンを落とした杏輔の声に、絢世は首を傾げた。

 

「僕だからいいとはどういう意味だと聞いている。僕だって男だぞ」

「知ってるよ?」

「知っているなら……、いや、もういい」

 

 杏輔は大きなため息をついた。そのまま視線を逸らしてしまう彼に対し、絢世は頭をフル回転させて言葉を探した。このままでは仲直りにならない。

 

「あ、あのねキョウちゃん」

「なんだ」

「あの、あたし、キョウちゃんと仲直りがしたくて来たの。あたしと慧哉けいやさんがお付き合いすることになってから、キョウちゃんずっとそのこと怒ってるでしょ」

「……まあ、多少はな」

「勝手なことしてごめんね」

 

 多少どころではない気もしたが、あえてそこには触れず、絢世は素直に謝罪した。

 程度の差こそあれ、昔から絢世が他の友達と遊んでいると、必ず難癖つけて来た杏輔である。こんなに長引くことはなかったが、今回もそれと同じ類いの焼きもちだろうと絢世は踏んでいた。

 

「別に、今後慧哉さんと恋人になることがあったとしても、キョウちゃんが一番の友達なのは変わらないよ。だから、これからも、今まで通り仲良くしてね」

「……勝手なことを」

 

 面映ゆく感じる部分もあったが、自分の気持ちを素直に伝えたつもりだった。杏輔もきっと同じだろうと、絢世は一片の疑いを抱くこともなく信じ込んでいた。

 不満げな表情のまま、杏輔は手を伸ばして卓上に置きっ放しだった眼鏡をかける。

 

「……お前は、何もわかっていないんだな」

「え?」

「今まで通りになんていられるか」

 

 ため息交じりの言葉に、絢世は目を瞬く。杏輔はまっすぐこちらを見返していた。

 不意に感じた不安を振り払うように、身を引こうとした絢世の手が、一瞬の差で杏輔の右手に捕まる。

 

「……僕はもう、友達じゃ満足できない」

「…………っ」

 

 押さえつけてくる手のひらが熱い。無我夢中で絢世はそれを振り払い、逃げ出すように彼から距離を取った。

 

「絢!」

「嫌だ!」

 

 何を言われたのかわからない。いや、わかってはいる。頭の中の混乱を叩きつけるような拒絶の言葉に、追いすがろうとした杏輔が硬直する。

 

「来ないで! キョウなんか……」

 

 どうして涙が止まらないんだろう。

 その先は続けられず、くるりと背を向けた絢世は、振り返ることもせずに逃げ出した。

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フラスコ 錐谷 @30gimlet

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