26.どこへでも
その後は新作のドラマについてや、ドッキリ企画におけるマネージャーの大根役者ぶりなど取り留めのない会話をし、おまけに美味しい茶そばと天ぷらをご馳走になった。
駅前の多目的広場で落ち合った
「……うちの馬鹿兄貴がすまん」
絢世が車椅子を預かり、バス停へ向かう途中で、生真面目に謝る勇哉。
「いえ、こっちこそ、すっかりお任せしてしまって。勇哉さんたちは、お昼どうしたんですか?」
「ああ、橙珂が、ハンバーガーが食べてみたいとか言いだしてそうなった。出費少なくて助かったけどな」
彼が珍しく、兄に似たいたずらっぽい笑みを見せる。
「食い方知らなかったみたいでさ。周りの見よう見まねで食ってたけど、へったくそだったな。口元ケチャップだらけになってた」
お嬢様のそんな様子は想像するだに微笑ましいが、それでも絢世はあえて厳しい顔を作ると、自分よりもだいぶ上背のある相手に忠告する。
「だから、そういうとこ笑っちゃ駄目ですってば。そのせいでもう一回下着屋さん巡りになったんでしょう?」
抜け出した時よりも明らかに増えているファンシーな紙袋を指摘すると、途端に勇哉が渋い顔になる。図星のようだ。絢世がいなかったのでは、彼が車椅子を押して店内まで入らざるを得なかったに違いない。
「……あんま慧哉に付き合うなよ、うつるから」
ため息交じりの声に、今度こそ笑ってしまった。
車椅子の振動で起きたのか、橙珂が身じろぎをした。まだぼんやりしているらしく、口元を隠して小さく
「おはようございます、橙珂さん」
「……、おはよ」
状況が掴めていない様子の彼女。そのまま、また寝入ってしまうように思えたが、
「止まって!」
急に出された大声に、絢世はもちろん、隣の勇哉まで驚いた。思わず従ってしまった二人をよそに、彼女の視線は右側のショーウィンドウへと吸い寄せられている。
そこはちょうど靴屋の前で、きらきらと飾られた台には華やかな色のパンプスがいくつも並んでいた。中でも、一番高い位置に輝くシャンパンゴールドの華奢なヒールに、お嬢様の目は釘付けだった。
そういえば、服やアクセサリーは山ほど買い込んだ割に、履物の類を彼女が手に取った様子は無かった。歩けないことに関わっていると察して、絢世は何も言わなかったのだが。
「……おい、バス来ちまうぞ」
「うん……」
上の空な返事。
舌打ちをして、勇哉は容赦なく歩みを再開する。仕方なく絢世も続くと、彼女は限界まで首を回してヒールを目で追っていた。無念そうな表情に心が痛む。
勇哉はバス停まで来ると、おもむろにベンチへ荷物を下ろした。怪訝に思う絢世へ「ちょっと頼む」とだけ告げて踵を返す。
しばらくして戻って来た彼の手には、高そうなブランド店の紙袋があった。
「ほら、さっき見てた靴」
「……買って来たの?」
「盗んで来るわけねぇだろ」
目を丸くする橙珂の膝へ、無造作に袋を乗せる彼。橙珂の細い手が恐る恐るそれを開くと、現れたのは紛れもなく、あの金色のピンヒールだった。
「すごい、勇哉さん格好いい!」
「いや、正直、あんなにするとは思ってなくて……。サイズは適当にあるやつ選んじまったから、合わなかったらあの
絢世の賛辞に、勇哉は斜め下の方へ目を逸らす。愚痴っぽい物言いは、どうやら照れ隠しのようだ。
「……いらない」
ぽつりと橙珂が呟いた。
「は? だってお前」
「いらないったらいらない! 馬鹿、考え無し! 歩けないのにどこへ履いてけっていうの。こんな物買ってこないでよ、馬鹿!」
「なんだよ、それくらい。どこでも運んでやるけど?」
「馬鹿……」
ひとしきりかんしゃくを起こした挙句、彼女はつんとそっぽを向いてしまう。耳までが赤く染まっているのは、騒ぎ散らしただけが原因ではないように思えた。
三回も馬鹿呼ばわりされた勇哉は、そのことには何も文句を言わず、困ったように襟足を掻く。
「そんなにいらねぇんなら返して来るか?」
「駄目」
「ほんとはやっぱ欲しいんだろ?」
「…………」
「……はいはい、どうか貰って下さい」
「そこまで言うなら貰ってあげるわ」
「はあ……」
深いため息。今日を共に過ごして、彼はこのお嬢様の扱いをやや心得たようだった。
そして。
「可愛いー!」
「***!」
自然公園にようやく戻って来た絢世たちが居残り組と合流し、肝心の
車椅子に座る彼女に手招かれるまま寄って行った翠羽は、そのまま容赦なく抱き締められて、悲鳴をあげる羽目となった。
「可愛い! 何この子、本当に男の子? あ、でも確かに肩とか結構しっかりしてるのね。手ぇ大きいー。でも可愛いー」
と、何の
「……懲りるだろう、これで」
「そうだねぇ……」
遠い目で淡々と言う
「で、何だったかしら。この子と友達になればいいの?」
「いえ、翠羽君からすると、橙珂さんとも元々お友達らしいんですけど。あ、橙珂さんには覚えはないと思うんですが」
「要するに仲良くすればいいのよね? 大歓迎だわ。翠羽、いつでもうち来ていいわよ」
「****、***!」
彼の声はまだ悲鳴である。当分解放されそうにない翠羽にとって、お嬢様の友好が幸なのか不幸なのか、もはや誰にもわからなかった。
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