12.一騎打ち

 何も言えないまま絢世あやせが俯いてしまうと、頭上から無情な声が降ってきた。

 

「……それだけなら、じゃ、わりぃけど、これで」

「ま、待ってください。少しでいいから」

「いい加減にしてくれよ」

「きゃっ」

 

 すがりつこうとした手が振り払われる。思わず身をすくませた絢世を見て、勇哉ゆうやは苦虫を噛み潰したような顔で舌打ちを漏らした。

 そのまま道場へ去っていこうとする彼。それを、絢世の隣から伸びた手が引き留める。

 翠羽すいはだった。

 

「翠羽君……」

 

 非難するようなまなざしを勇哉に向ける翠羽。こんなに厳しい表情を見せるのは、絢世達と出会って初めてである。

 勇哉もじろりと彼をにらみ返す。

 

「……何だよ」

「****、*****」

 

 流れる険悪な空気。はらはらしながら見守っていると、翠羽は勇哉の手を引いたまま、くるりと方向転換して道場内へ踏み込んだ。

 

「は? ちょっと待て、お前、土足!」

「****!」

 

 うるさい!と聞こえた。かなり怒っているらしい。

 拘束されていない方の手で勇哉は慌ててスニーカーを脱ぎ捨て、それを見た翠羽もブーツから足を抜く。

 ガラス戸を目一杯押し開くと、さすがに全員の注目を浴びることとなった。

 ぽかんとしたまま、流れをただ見守る絢世。

 

「キョウちゃん、どうしよう……」

「どうしようも何も、お前が発端だぞ。こういう面倒が嫌だから僕はやめておけと言ったんだ。わかったか」

「……次から気をつける」

 

 ため息をついた杏輔きょうすけは、絢世の後ろに陣取って道場を覗くことにしたようだ。


「……三条さんじょうさん、どうしたんすか」

「俺が知るかよ……」

「……芳川よしかわ?」

「え、ここで俺?」

 

 部長らしき人物に芳川が弁明をする横で、やっと勇哉を解放した翠羽は並べてあった竹刀を手に取った。それから、同じく床に転がっていた30センチ物差しを拾い上げる。

 

「芳川君、あれ」

「……師範が頭叩く時に使うやつ」

 

 そして、打って変わったにこやかな笑顔で、左手の竹刀を勇哉に差し出した。

 

「……何だよ。つき合ってられねぇっての」

 

 自分に向けられた竹刀の柄を乱暴にはたき落とす勇哉。

 と、次の瞬間。

 

「……っ!」

 

 からん、と竹刀の落ちる音。

 翠羽が身を屈めて彼の首を狙ったらしい。絢世の目には、勇哉の手にした竹刀袋と物差しが、ちょうどその位置で交差している場面しか映っていなかったが。

 道場内がしんと静まりかえった。

 とん、とん、と翠羽は軽快な足取りで相手を見据えたまま距離をとる。動いたせいで、隠していた三つ編みが服からはみ出てしまっていた。

 

「……意外とケンカ慣れしてんのな。どう見たって剣道の動きじゃねぇが」

 

 感心したような口振りの勇哉。自前の竹刀を袋から取り出し、構えることなくそのまま静止する。

 対する翠羽も、自然体のまま動かない。それだけなのに、二人の間の緊張が外にまで伝わってくるようだった。

 無言のまま、にらみ合う二人。

 じり、とじれたように翠羽が軸足をずらした。その一瞬で、一気に距離を詰めた勇哉が竹刀を振りかぶる。

 しかし、その一撃は空を切った。

 

「……っな……!」

 

 ぱぁん、と竹刀が床を打つ。翠羽はさらに踏み込んで、勇哉の身体のほとんど真下からその首筋に物差しを添えていた。

 その顔が、誇らしげに笑う。

 

「……***!」

 

 息を潜めて見守っていた部員たちから、割れんばかりの拍手と歓声が起こった。

 

「すっげぇ! 勇哉さんに勝っちまうなんて」

 

 芳川まで目を白黒させている。

 勇哉はというと、軽くため息をついて、降参の意を示すように竹刀を手放した。物差しを引いた翠羽が再びにっこりと左手を差し出すと、今度は彼も苦笑気味で握手に応じるのだった。

 

「へきじゅ、***!」

「あ? そりゃなんだ、俺のことか?」

「たぶん、そうだと思います」

 

 確かに、三条慧哉が知り合いだという以上、その弟である勇哉も同じである可能性は高かった。おそらく、碧珠という字を当てて、朱玉と対になる名前なのだろう。

 何はともあれ、仲直りになったようで良かった。ほっと胸をなで下ろす絢世に視線を寄越し、勇哉はばつの悪そうな表情を浮かべた。

 

「……あー、芳川。俺今日帰るわ。師範には何か適当に言っといて」

「あ、了解っす」

「部活、いいんですか?」

「部活じゃねぇよ、勝手に来てるだけ」

 

 戻ってくる二人に絢世が問いかけると、スニーカーに足を突っ込んだ勇哉がぶっきらぼうに応えた。

 

「……萩野はぎのっつったっけ。さっきは悪かった。随分きつい言い方しちまったな」

「え? いえ、そんな。こっちこそ、変なこと言ってごめんなさい」

 

 翠羽のことを説明しようとした時のことだ。だが、勇哉が警戒するのも当然の話だし、普段から芸能人の兄を目当てに彼と接触しようとする人間も多いのだろう。そう考えれば冷たい態度をとられたのも仕方がないといえる。

 

「あの説明で納得できた訳じゃねぇけどよ、今日ならいるぜ、慧哉。どうする?」

「はっ、さっきとは随分言っていることが違うじゃないか」

「もう、キョウちゃん! せっかくいいって言ってくれてるのに」

 

 神経を逆なでするような杏輔の物言いにも、勇哉は眉尻を僅かに吊り上げただけで動じなかった。

 

「まあ、俺にできる詫びなんてこれくらいだからな。俺も大人げない言い方しちまったし。こいつが怒ったのも、たぶん俺が萩野にひでぇこと言ったと思ったんだろ。その上負けちまったんだから仕方ない」

 

 ちらり、と横目で伺う先を見れば、翠羽はまだブーツの紐と格闘していた。

 ぽつりと真剣な声で呟く勇哉。

 

「……まさか物差しに負けるとは思わなかった」

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