閑話休題

とりたろう

閑話休題


検察官として有るまじき事をしたその日、九瀬幸として外に出られるのは最後だと悟った。

都内からもう何時間も車を走らせ、高速道路を抜ける。コンクリートの道の脇には、カラフルで住みやすそうな軒並みが続く景色が見えてきて、やがてそれが青畳に変化していく頃には、もう目的地付近だった。

車内が揺れる度に朝と小夜から貰った"お守り"が揺れ動き、それが嫌でも視界に入る。フェルト布で作られた赤と青の御守り。俺の為になにかしたいと思ってくれたらしくて、梓と一緒に作ったらしい。不格好な形とは相反して、縫い目は綺麗だ。梓が手を加えていたのだろうとおもうと複雑な気持ちになる。

暫く荒い道を進み、人為的に砂利が敷きつめられた駐車場に車を停める。車から降りて、ひとつ呼吸を置く。外の空気で肺を満たして、春の陽気を感じた。

まさか、一人であの旅館に来る日が来るなんて思わなかった。明らかに大人数の客間しか無さそうな、年季の入った旅館。庭を見やれば、梅の花や桜の花による紅白のコントラストは来る者に癒しを与える。が、それさえも家の事を思い出して吐きそうになった。どちらも、十前やその分家の家紋のひとつとして使われている花だった。

あの裁判で疲弊した心身に鞭打ってでも、この場所にまた訪れたかった。なぜなら、もうこんな風に外を歩き回ることが当分……いや二度と叶わないと理解しているからだ。

後部座席の扉を開ける。必要最低限のものだけを突っ込んでは後ろの席に乱雑に投げ込んだ、少しよれたスポーツバックを取り出して車の鍵を閉じる。1泊2日の予定だが、最悪今夜にでも迎えが来てしまうかもしれないと今後の運命に軽く算段を付けながら、綺麗に敷きつめられた石畳を橋を渡るみたいな心地で歩いていった。



















「どうぞ、こちらです」

「ありがとうございます」

「今の時期なら混雑していませんのに、庭が一望できる部屋にお通しすることも可能ですよ」

「いえ……ここがいいんです」

「それは無粋な真似をしました。では失礼します」

「どうも……」




2階の1番端っこ。東の間。

みんなで泊まった、あの旅館。この部屋を見ると、自然と思い出が溢れてくる。

女将さんが置いていってくれた荷物を部屋の中心に持っていきながら、自分が大好きな人達を思い浮かべる。

もう今はないあの別荘で勉強会をしたあとに、車で気ままに走ってみつけた旅館。俺たちしかしらない穴場だ、なんて騒いでその日たまたま空いていて、お金がギリ足りる一室に泊まった。

なけなしのバイト代をかき集めて美味しい物食べて、今後の話に花を咲かせて……。宝物のような日々だった。

時間を見ようとスマホを見ると、色々な人から電話がかかって来ていた。不在着信25件、メッセージなんてもう99件表記になっていた。数時間見ていないだけでこんなにもなるなんて、もう取り返しがつかない現実に無性に悲しくなって、さっきまでの暖かな思い出が霧散していった。

福には、もう会えないんだろうな。あの家と、全部のお金は福と、あさとさよに渡すように書置きはしている。初めて遺言状の書き方なんて調べて書いた。それほどまでにあの子達の負担を減らしたかった。あさとさよはまだまだ先が長い。だから、少しでもこれならの生活の足しになればいいななんて思う反面、自分が養子に出された理由などを振り返ると、彼らはもしかすると他の分家に渡されてしまうのではとも思う。それはもう、自分の手が届かない所へ行ってしまうという意味でもある。身勝手だったのかもしれない、本当に。今になってあさとさよと向き合おうとしたのがその証拠。梓からDNA鑑定の結果を何度も何度も送られてそれを捨てての繰り返し。でも家を出る前に、腹を括ってそれを見ることにした。


そしたらやっぱり、俺の子で。


その瞬間、向き合わなかった言い訳が沢山出てきた。


透くんにどんな顔して会えばいいのか分からなくなって、ずっと怖かった。

とか。

残酷なことを言うにはまだ早いと思った。

とか。

嘘をつくことをしたくなかった。

とか。

有耶無耶になってお互い苦しまないのが最善だと思った。

とか。


結局、何も変わらなかったのかなとふと思いながら、窓から見える光景を眺める。緩やかな風が草花をさらい、擦れ合ってはさらさらと爽やかな音が部屋に響いていく。

生ぬるい、春の訪れを肌で感じる。自分は生きているんだと言われているようなその感覚に不思議と気分が悪くなった。

輝は死んだ。4年前に。

夢も死んだ。つい数日前に。

福ももう長くない。九重家に酷いことをされたせいで。それを十前家が隠しているせいで、彼はもう無きものにされる。


みんな、居なくなる。

自分が守りたかったもの、ずっといて欲しかったものたちをすくい上げるのを試みるが、指の隙間からこぼれ落ちていく。無力なことに、それを止めることは出来ない。そして、もう二度と拾い上げることは叶わない。お別れを言うことも出来ずに、思いも伝えられずに自分の元から大事な人達は去っていく。


耐えられなかった。もう疲れた。


「親友!」

「………………」


物理的には、聞こえていない。聞こえていないはずなのに、自分の中にだけあいつの声が響く。


「大丈夫ゥ?もー、なーんて顔してんの!ほらあ〜水羊羹あるよッ!食べる?元気だして!」


うん、食べたいよ。お前と食べるものはなんだって美味しいんだから。

ただの水羊羹だって格別なのに、お前と一緒に喋りながら食べる水羊羹は、特別美味しいんだ。お互い、美味しそうに食べて「うまい」って言って、「うまそうにくうな」「おまえもな」って笑いあう、そんなあの日々に戻りたかった。

親友はなんで死なないといけなかったの。返して欲しかった。俺のせい?俺が裁判で負けたから?検察側に用意された証拠は圧倒的に少なかった。なんで?あんなに、あんなに傷だらけの女性、故意に殺されたしか考えられなかったのに。どうやって殺された?何か自然的なものが作用したの?いいや、そんなわけなかった。確実に殺されてたのに。そう繰り返し思う度に吐き気がした。もう何度も何度もやったことだ。何度悔やんでもあの日の事件は謎にされたまま。

輝が死んだ時のことも謎のまま。なんであの刑事が輝の部屋のこと、俺たちの写真のこと、九重家の話を出したのかが謎のまま。

どこから知ったのかも謎のまま。

輝が本当に自殺したのかも謎のまま。

ただあいつの名誉が傷つけられて終わった。

福も夢も俺も、墓参りのひとつもできなかった。俺達が輝のことを一番に考えていたのにそれも伝わらないまま。

なんで、夢が正人さんと義人さんを殺さなきゃいけなかったのかも謎のまま。夢は話さずに死んだ。全てを話したものをどこかに遺したのかもしれないけど、それは見当たらなかった。警察が持っていったから。

唯一自分宛とされる簡単な書置きだけして、俺立ちを置いていった。それでも、きっと夢は追い詰められてる中で、俺たちに忘れないでいて欲しかったんだと思う。忘れないで欲しいという気持ちはよく分かった。忘れられることが何よりも寂しいのは、よくわかるから。

それ以外、事件のことは何も記述がなかった。消されたのかどうかさえも分からない。でも彼の気持ちを考えればわかる気がした。彼は、昔から寂しがり屋だ。だれだって、最期に思うは自分のことだ。俺が今それをしている。

福が、このあとどうなってしまうかも考えたくなかった。

あの子は、生きていけるのだろうか。今の彼とても衰弱しているし、オマケに戸籍を奪われて死んだことにされてる。本来ならあの子は、それを許すはずもない。

でも……でももうあの顔を見て、彼は立ち上がれなくなってしまった気がする。夢のことを話した後、福に話しかけても、反応を示さなくて、公判が終わったあともずっと魂が抜けてるみたいになってて。


拉致監禁されて、激しく暴行を受けた後と酷似したその顔を見て、俺は許されないことを彼に伝えたと思った。

あの子は、七楽さんの治療さえ受ければきっと助かる。それ程の資金は置いてきたつもりだった。でも、彼はそれを受けるのだろうか。彼はもう…………生きていたくないと思っているのではないだろうか。なんでこんなことになったんだろう。俺のせいなのかな。なんで正人さんと義人さんは夢と福だけ?俺も、俺も連れてってしまえばよかったのに。そしたら俺が罪被ったのに。夢と福が幸せならそれで良かったのに。

ありもしないもしも話を考えて虚しくなってくる。


ああ、もういい。疲れた。


何も考えたくない。


畳の上で、四肢を投げ出してスーツのまま寝そべった。そしてそのまま、意識を失うが如く、泥のように眠ってしまった。




















目を開けると、視界には灰色のコンクリートがいっぱいに拡がっていた。おまけに、息苦しいほどに埃っぽい。

ああ、ここはどこだっけ。あ、十前家の地下室だ。え?なんで?迎えが来るには早すぎるよ。


ああ、ちがう。これ、夢だ。夢を見てる。

昔の夢だ。

───いつの夢?


誰かをずっと探して……



「ふく、ふくは」


思い出したかのようにその名前を口にする。そうだ、福が大人たちに酷いことされてるのを夢とロッカーから見てて。砂利と塵と、誰かの血液に塗れた部屋の中でキョロキョロしていると、いつの間にかそばにいた赤い目の男が、


「……そこにいるよ」


と視線を移して静かに応えた。


「ふ……」


視界をスライドさせて、何かを見つけた。

光沢のあるシルクの布がかけられていた何かがそこにある。

その光景を見て、最初は死んでると思った。

その次に「誰だろう」と思った。

俺が知ってる福はいなかった。


半裸になっていた福の身体には、綺麗な白いシーツのようなものがかけられていた。顔は見るに堪えないほどにタンコブだらけで、目元は赤黒く腫れ上がり、そのコブのせいで目がきちんと開けないように見受けられた。小綺麗なシーツから覗く四肢は皮膚の大半が赤く擦れており、すり傷と切り傷、打撲のあとだらけなのがひと目でわかった。皮膚を剥いたといってもいい程赤く熟れたようなその肌は、光を鈍く反射させる。彼の指先と足先は血の気が引いて紫色になっていて、爪もいくつか剥がれていた。そんな暴行の後を際立たせるようにかけられる純白のシーツが印象的だった。俺は、その光景とシーツに酷く嫌悪感を抱いた。

そんなことよりももっと目に付いたのが、彼の髪色だった。

黒い髪は見事に消えうせ、彼の髪はシーツの色と同じ様に、真っ白になっていた。


「ふく……?」


劇的な変化を遂げた彼が、あまりに静かに横たわるから、嫌な予感が過った。

彼の死を、じわじわと感じた。

確かめるのが怖かったが足は彼の方に動いていく。

ゆっくり近づくと、僅かに呼吸をしているのが分かる。胸がちいさく膨らみ、また萎む。それが見えて酷く安心して、思わず彼の身体にとびつき、触れた。

どこに触れてもとても冷たくて、こちらが驚いてしまう程だった。

抱きしめて、温めなきゃ。そう思って引っ付いていると後ろから勢いよく引き剥がされた。


「駄目、そのままにしてて」

「でもっでもっ死んじゃう福死んじゃうっ」

「死なない」

「うそっしんじないっやだやだや──」


ぺちん。


乾いた音と少しの耳鳴り共にじわじわと頬が熱くなり、次第に痛みを伴った。

叩かれたのだ。


「離れなさい」


その語気の強さと、厳しい顔つきに圧倒されて福から離れた。


「いい子」


重心の置き場がないみたいにぐらついていた気持ちは、あの瞬間、何故かピタリと落ち着いた。


「ここであったことは、黙っておくんだよ」

「…………」


ぺちん。


「返事」

「……はい」

「言うことを聞かない子はこうやって叩かれる。理解したなら返事をしなさい」

「……はい」


限りなく大切で温かな何かが、胸の中から雲散していった気がした。

やけに頬がじんじんと傷んだ気がした。

















目が覚めた時、目に入ったのが旅館スタッフの人達だった。

旅館の方が夕飯を出す時間の確認をとるためにここにきてくれていたらしく、倒れたように眠っていたのを見て起こしてくれた。

折角の旅館だからと夕飯を持ってくる前に湯浴みでも如何ですかと言われて、そうしようと思い、少し夕飯を遅めにしてもらった。そして、今見た夢を忘れたくて風呂場へと向かっていった。



















「ずっりーよなぁ、つとむ〜!」

「何が」

「ひとりで旅館いくとか、オレ達の身にもなれよボケが!!ってこと!!!」

「まあ…………いい、よなぁ……」

「なにその歯切れの悪さ!!」

「ん〜……ラジオ流していいか?」

「ヤダ、流したら殺す」

「……あ、そ」



丁度12時を回りそうな時間帯。今日も今日とて身を粉にする思いで定時まで働いたのに、なぜか高速道路を車で走っている。平日深夜。そして明日も仕事がある。

なぜこんな苦行を強いられているか?答えは実に簡単だ。家からの呼び出し。そしてそれを意味するのはあいつらの尻拭い。勘弁して欲しかった。俺ももう35歳だし、身体に鞭打って動くにも限度がある。しかも、いつも夜に動くような内容ばっかだから睡眠不足になる。朝はスッキリ起きたいのに、どうしてこんなことばかりが身に降り掛かるのだろうか。



「はいそこ右折」

「わかってるわかってる」

「は?なんかむかつく」

「どこが」

「わかってるとこ」

「ふは、そこなんだ」

「何笑ってんの?きっしょ!」

「ごめんって」


1人でもこの仕事はこなせたはずなのに、何故か助手席にはいさむがいる。このご時世カーナビやスマホを使って地図を見るのに、トランクに入ってた高速道路のマップを開きながらナビをしてくる。正直ウザったくて邪魔になるがそのままにしておく。いさむが楽しそうなのは、なんだか邪魔したくないから。

それに、昔に戻ったみたいで少し微笑ましいんだ。



「なあ、いさむ」

「なに」

「次の道教えてよ」

「は?自分で考えろボケ」

「はあ!?っかぁ〜〜〜……そーですかそーーですかっ」

「キレすぎ、キッショいわ」



天邪鬼極まりなくて思わず大きな声が出る。いさむと同じくらい大声を出していたことを客観視して、「こういうところが双子だよね」と昔、初に言われたことを思い出す。


今、幸はどんな思いであの旅館に泊まっているんだろう。てっきり、福とふたりでどこかへ逃げてしまうかと思ったけど、案外薄情な奴だったのだろうか。

いや、そんなははずないな。福に協力していたのなら、あいつらは「情に厚い」部類の人間なのだろう。

少なくとも、俺達よりは。


「つとむーおなかすいた」

「知らねーよ。それに今は仕事中だぞ、気を抜かすなよ」

「仕事しててもお腹は減るの」

「まあそんなこともあろうかと後部座席に軽食あるよ」

「ヨッシャ〜用意周到お兄ちゃん」

「うっわ!お兄ちゃんって言うなよ、なんかきしょくてゾワゾワする」

「なんでだよお兄ちゃん」

「ああうわうわキッッショ!!!」

「全部食うぞこの軽食!」

「ちょっ、おれのも残しといてよ」

「どーしよっかなあ〜〜!」


いさむは中くらいのサイズのビニール袋を、いさむ自身の顔の横にもってきてはしゃりしゃりと喧しげに鳴らす。それからコンビニで買っておいた軽食たちをやけに美味しそうに頬張って笑ってるいさむに、つられるように笑いながら、車がほとんど通っていない夜道を車で走らせていった。


















「その方なら、もう既にここを出ていってしまいましたよ。1泊2日だったはずなのに、突然急用ができたとかで日帰りになされて……」

「その、出ていったのはいつ頃でしょうか?」

「つい、1時間くらい前……ですね……」

「嘘はつかないでくださいね。そいつは立派な犯罪者なんですから。隠していたのなら犯人隠匿の罪であなた方も問われることになります」

「え、ええ本当ですっ……!」

「なら、よかった。御協力ありがとうございました」



気迫された女将の様子を見るに、嘘はついていなさそうだった。幸がよく使っていると思われる車のナンバーも確認したが外には停まっていない。

彼は、本当にここらから離れたのだろう。



「うっわ〜、面倒面倒〜」

「旅館で下手に追いかけっこするよりはましだろ」

「ボコりたいからオレは好きだけど」

「ボコったら仁に怒られるかもよ」

「そしたらねえー努のこと盾にするよ」

「やめろほんとに……」

「んは、やだー」


へらへらと笑うにやけづらを尻目に車に戻っていく。夜の田舎道に車を走らせるなんて、限度がある。きっとまた近くの宿泊施設にとびうつったか、高速道路にいったはず。愛に連絡をとって、高速道路のナンバー記録とETCの記録を寄越してもらうように指示を出す。


「ふふ、刑事がすることじゃないね」

「おれだってやりたくてやってるんじゃない」

「……先生に戻りたい?」


愛からの返信を考えていた頭が真っ白になった。なんで今そんなことを聞く?とか、あたりまえ、とか、そういう言葉が浮かんでは消えるを繰り返す。

いさむの顔を見ると、いつもの飄々としたにやけヅラは消えて、昔よく見たあの顔になっていた。

だから、聞いてはダメだと思いながらも口をついてその言葉が出た。


「…………お前は?」

「は?」

「本当は、ずっと子供達といたかったんじゃないの」

「居たかったよ。ずっとね。叶うなら皆新しい家族の元へ渡して、幸せになって欲しかったな。ま、誰かさんがあの孤児院を潰してくれたせいで、みーんな殺したり臓器売って処理する羽目になったけど」

「…………………………………」

「ふは、そんな顔すんなよ。あー、福のこと考えるとなんかイライラしてきたや……はやくいこ」

「そうだな」


痛み分け。お互い、昔「先生」だった姿を聞くことは、相当きてる時。ちょっかい出してお互い傷付けて傷を舐めあって、自分達はふたりでひとつであって、同じ気持ちであることを確かめる。

きっと、いまのはそういう本能。言ってはいけないと思いながらもお互い口に出すのは、縛りあって、お互い遠くに行かないでと不安だったからだと思った。


俺達も、幸と福の兄弟愛とか、仁と愛の二人にも……負けず劣らず、"かなりヤバい"のかもしれない。

そうやって客観的に思いながら、点々とした電灯以外に光が一切ない闇夜を車のライトで照らしながら、幸が逃げた方向へと進んで行った。
















九瀬家の親戚が運営してるビジネスホテルが、こんなに近くにあったのはかなり予想外だった。

検事の家のはずだが、ホテルを運用している人もいるなんて正直知らなかった。遠い親戚のそのまた親戚が九瀬の名前でホテルを出しているらしい。株主として居座る親戚もいて、もうほとんど九瀬のものに等しいようだった。おまけに、何故かこっちの顔だけ覚えられていたため、勝手に部屋を決められて高い所を押し付けられた。それは多分、「十前から寄越された人間」だったからだ。


あの旅館のお風呂でこれからのことにずっと思いを馳せていた。今夜にでも迎えが来てしまうかもと。広くて少し熱いお湯に浸かってグルグルと嫌な事ばかりをずっと考えていた。



思考に思考を重ねた結果、もう死のうと思った。その考えがストンと胸に収まる。

それならば、旅館じゃダメだ。迷惑がかかる。

どこで死んでも、きっと迷惑がかるのは当たり前だ。失踪扱いされる方がまだいい。じゃあ、どこで?


そうやって考えた結果、「十前のだれかが運営してる宿泊施設で死ねたら」と思った。死体として見つかったらきっと評判は落ちるし、かと言ってもみ消されても本望だ。個人的には、評判が落ちて少しでも八つ当たりが出来たらいいなと思った。

そして何の因果か、現在地から一番近いところに九瀬名義のビジネスホテルがあった。


やけにふかふかなシングルベッドに腰を落として、自殺した夢のことを、再び思い出す。

包丁で義人さんを切り刻んだ後、死を受け入れるようにして呆然としていた正人さんをきりかかったらしい。福が話してくれた。叫んで抵抗する義人さんを刺しながら夢はげらげらと笑っていたそうだ。その後2本の包丁の刃だけが彼らに突き刺さって、柄だけが持ち去られてた。どうやら、勢いよく刺したり切ったりしたせいで、柄だけがパキりと折れてしまったようだった。福は冷静だったのかそうじゃなかったのか、夢がこっそりもっていったことに気が付かなかった。

福は泣きながら正人さんと義人さんの遺体に指紋をつけて、髪の毛をわざと落としたりしてから去った。ただで捕まってはいけないと彼も思っていたんだろう。

親友が人を殺さなきゃいけなかった。その事実を闇夜で抱えていた彼は、どれほど辛くてどれほど恐ろしかったろう。

人を殺さなきゃいけないけなかった。夢がそれほどの選択を迫られていたなんて、知らなかったし、彼も心底辛かったろう。どうしてあの子たちはこんなにも辛い目に遭わないといけなかったのだろう。

結局、夢を守ることもできなかった。夢がどうして正人さんと義人さんを殺さなきゃいけなかったかもわからなかった。でも、家に連れてかれるというのは、現場を見ても自明の理だった。

どうせなら、夢の口から聞きたかった。彼は、悪くない。そう思ってしまうが、一緒に罪を償って、まっさらな気持ちで一緒に最後まで過ごしたかった。

罪を償うのは他人だけのためじゃない。自分の為でもあると思う。



気がついたら、正方形の大きな窓の緣に腰をかけていた。いつの間にか開けて遠くを見ていた。

その部屋の高級さを主張するようなその大きな窓は、足を折り畳み、跨ぐように体を外側に傾ければ、簡単に投げ出されてしまうほどに大きかった。

吸い込まれるように下を見る。今はもう夜も遅い。街頭に照らされているものの下に人がいるかもさえ分からない。ここは何階?どれほどの高さ?落ちても死ねる?もう何もわからなかった。分からなくてよかった。


そんな思考を遮るように、突然スマホが鳴った。誰からかの着信があった。

視線だけ画面に向けると、登録していない番号だったらしく、見覚えのない番号が表示されていた。

なんとなく、出てみた。

受話器を持ち上げる絵が描かれた、緑の部分をタップする。


「…………」

「……まさか出るなんて思わなかった……」


声の主は誰だかわからなかった。男性だということと、知り合いでは無さそうということしか理解できなかった。こんなタイミング出かけてくるんだから、どうせ、家の人達だ。


「…………」

「もしもし、生きてるか?」

「……」

「……まあ、いい。そこに居るんだろ?暫く切らずに、僕の話、きいてくれないか?」

「…………だれなの」

「……え」

「放っておいてよ」


無言を貫き通そうとしていたのに、つい喋ってしまった。

もうなにも聞きたくなかった。


「……君達がよくからかってた人間に心当たりは?」

「は?」

「そんな素っ頓狂な声あげんなよ」

「…………」

「ちょっとちょっと、忘れるなんて心外だな。孤児院。君が育った孤児院を浮かべて。ほら、よく僕のことからかってたろ?いじめられてた方ってのは覚えてるもんだぜ?」

「……いじめてたなんて」


思い出した。白髪でぱっつんおかっぱヘアーの子がいた。その子は、なぜかいつも片目に眼帯をつけていた。義人さんに可愛がられて贔屓されていた気がするから、俺たちは坊ちゃんって呼んでたんだ。


「あー傷つく傷つく!坊ちゃんって呼ばれる度に僕怒ってたろ?僕ら同じ孤児だったのに酷いなあってずっと思ってたよ?」


何か、不可解で極まりなかった。どうして今?あの孤児院に関わるもの全てが今や怪しくてたまらない。


「……どうやって俺の番号知ったの?」

「どうって……みんなに会いたくてさ。天使園に問い合わせたら、もう潰れたって聞いてさ……代理の児童養護施設できたの知らない?そこに問い合わせたら教えてくれたんだ。ああもちろん書類とかきちんと提出してね?積もる話もあるだろうから〜って色つけてくれたのはまあ……あるけどさ」


代理の児童養護施設?

何を言っているんだ?

そんな話……そんな話…………














正直限界がある演技だと思う。

自分でも反吐がでそうだった。こんなやつに会いたいわけが無いし、まず合わせる顔はない。オマケに、代理の児童養護施設なんて設立していない。そんなの設立した日にはいさむがどう思うんだ。おれならいさむを思って反対する。


でも幸は、もう疲弊してるし十前の情報をそこまで知りたがらなかったから、当たり前のような素振りで口に出せば戸惑いながらも受け入れると思った。結果的に、訝しげにしながらもどうやら飲み込んでいるようだった。


携帯の無線の逆探知。完全に方向は合致していたし、なんなら予想通りだった。

あいつは死に場所を探してる。実質九瀬のものと言っても過言ではないそのホテルで今、彼は死のうとしていると思われる。させるかっての。やったことのツケは払えよな。おれも待ってるんだから、その日を。お前も待ち続けて、くたびれても、狂いそうになっても、自分が誰かわからなくなっても生きて待つんだ。それが法で裁かれる以外のツケを払うという行いだ。

法の抜け道を通り抜けて、犯人隠避罪、事実隠匿、証拠捏造……その他をやり通したお前達はやり過ぎたんだ。


まあ、おれが言えた義理ないけどな。




「あっちょっとまって電波悪っ。なんか今話した?」

「ん?いいや……」

「そっか、ねえ久しぶりにみんなに会いたいな。元気してるかな?たしか福と夢と仲良しだったよね?」

「……」

「?もしもし」

「……元気にしてるよ」


悲しそうに幸はそう答える。おれは、淡々と会話のキャッチボールをする。まるで人や心がないみたいに。


「そっかー!よかったあ。んー、今みんな何してんのかな……まあ後々話したいな。ねね、今僕仕事帰りでこんな夜遅くにかけちゃったけど、また電話かけてもいい?今日はもう眠たくてさあ」

「…………もうかけてこないで」

「えっ……」

「お願い」


絞り出すように、震えた声が聞こえてくる。胸がザワザワとするのに、やけに頭はクリアだ。人の心を傷つける瞬間というのは、いつ何時もおかしくなる。人を殴ったらもちろん殴られた側は痛い。しかし殴ってる側の拳も痛む。きっとそういうことだとこの状況を嚥下する。


「そ、そっ……かあ……わかった……じゃあ……元気でね」

「うん……ありがとう」


わざとらしくしょぼくれた声を出して、電話を切る。

通話を終えた頃にはもうホテルに着いていて、いさむがすでに中に入っていった。

きっと、彼は死ねずにいさむに捕まるだろう。

明るい声を出して、何も知りませんみたいな人間を演じていたせいか、どっと疲れがやってきた。俳優というものはこんなことを生業としているのかと思って心底理解できないなどと不平を胸にした。


夜空を見上げると北極星がギラギラと輝くのが見えた。北極星を中心に、点々と星々が瞬いている。


きっとこれは、ほんの小休止にすぎない。

まだまだ続いていく。

どんどんと続いて、次が始まる。

何かを成し遂げようと全てを投げ捨ててもがいて、気がつけば周りを荒らし散らしていて、傷つけている。大切なものが何かを見失う。そうやってリングを紡いでいく。歪な思想を受け継いでいく。みんな全てが終わって、逃げられなくなった瞬間に気づくのだ。


自分は、ただの歯車にすぎなかったって。


それに気づくのは青臭い10代のときかもしれない。

それに気づくのは還暦を迎えた時なのかもしれない。

どこで気づいて、何をするかは、そいつら次第だろう。

ただおれは、【おれたち】は、もう受け入れたから。来る日がくるまで穢れを身にまとって生きていく。そうやって荒々しく平地を築いて全てを隠すのだろう。



「つとむー!!あはっ!日が昇る前に帰れそうだよーっ!」



ああ、ほら。

また一人、全てを失った片割れが出てきた。

狂えなかったら、そうなるんだ。

狂った素振りでも見せてくれたら、【おれたち】の気分は楽だったのにさ。




「そうだな。さあ行こう。明日も仕事だし」




日常に戻るための合言葉。仕事。だからおれは仕事が好き。

後部座席に動かなくなった幸を乗せて、行きと同じようなたわいもない会話をしながら、深夜の夜道を車で走った。






 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

閑話休題 とりたろう @tori_tarou_memo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説