果実の落ちる頃

海月^2

果実の落ちる頃

 ベッドの上から、窓の外の柿の木を眺める。暑さの落ち着いてきた秋、窓の外の柿の実はもう熟れていてすぐにでも落ちてしまいそうだった。

 少し強い風が吹けば柿の実は不安定に揺れた。ベッドの上で握り込んだ拳の爪が手のひらに刺さる。あの柿の実が落ちたって、きっと私は何も変わらない。毎日このベッドで寝て起きて、学校にも行けずに一人部屋に籠もってはぼうっと外を眺めている。ただそれだけの人生だ。それなのに、あの柿の実が落ちてしまったら何かに絶望する気がした。それは何となくの感覚の話で、それでも私に確信を与えるほど強く訴えかけてくる。

 柿の実の揺れ方は不格好だ。接続部に弱い場所と強い場所があるのか、右側にはよく傾いて、左側にはあまり傾かなかった。もしかしたら左側から来る風が強いだけかもしれないけれど、それよりは接続部に問題がある方が私にとってマシな結論な気がした。

 あの柿に己の身を重ねるのなら、人はどのように重ねるのだろう。おそらく、世間の様々な逆風や苦難を受けながら何とかこの社会のスタンダードにしがみつく自分自身のように見えているのだろう。それは酷く利己的で自己中で醜いと思う。自分自身は柿であり風であると。そして柿が落ちるのは時間の経過の所為であって、けして外を吹く風の所為ではないのだと。だって、世間から守られるようにこの部屋に閉じ籠もる私が、他ならぬ落ちた存在なのだから。この世界のスタンダードにしがみつくことの出来なかった不出来な存在なのだから。

 毎日、同じ時間に起きて、同じ時間にご飯を食べて、同じ時間に勉強をして、同じ時間に寝る。そんな簡単なことすら出来ない私は、社会から距離を置き、距離を置かれてしまった。そして落ちた柿は、もう二度と枝の先に戻ることは出来ない。

 でも、それではいけないと社会は言う。一度部屋から出てみようと、人と関わってみようという。一度断絶された関係を再び結ぶことの如何に難しいかを知っておきながら、私達にその道を歩ませようとする。

 それは正解だ。でも、救いじゃない。本来ならば一度落ちて捨て置かれるはずの者を救おうとする。それは正しいのだろう。倫理的に、道徳的に、誰かを助けることは酷く高貴な行動と置かれている。それでも、一度落ちた人間にとってその救おうとする行為は救いではなかったりもする。

 ずっと柿を眺めていれば、一際大きく風が吹いて窓の外の柿の実が落ちた。それを見る覚悟は私にはなかったけれど、きっと無惨に潰れているのだろう。

 それでも、その後それは鳥に啄まれ、種はどこかへ運ばれるかもしれない。可能性は少ないながら、そこで芽を出すかもしれない。そして、柿の実を、私の部屋の横にある柿の木と同様につけるかもしれない。それは、一度落ちてから再起する姿に他ならない。なんて希望に満ち溢れたストーリーだろう。たいてい現実はそう上手くはいかない。それでも、可能性はこの世の中で大事な要素の一つだった。

 どうせ三日坊主になるのだろう。だから、目安は一年でゆっくり行こう。救いではないけれど、このままではいけないことも分かっている。ちゃんと、皆んな理解している。

 だから次に果実の落ちる頃、このベッドから出て何者かになってみたいと思った。

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