幸せだった
@sora_skyblue
いるだけで。
「お前といて幸せだった。これで満足か?」
無表情で、ただその薄い唇を小さく動かしながらそう言い放つのは、私の彼氏…だった人。
先刻の言葉が本心じゃないのは、誰がどう聞いても明白だろう。ぽたぽたと溢れる涙が、私の手の甲を、自室の床のカーペットを濡らしていく。
「ねぇ、私の何がダメだったの?治すから教えてよ」
「そーゆー重いとこがうぜぇの。結局言ったって直さねぇし。もう顔見るのも嫌だわ。じゃあな」
吐き捨てるように、低い声で言い放つと、最低限の荷物だけ持って彼は出ていってしまった。
「なんで?なんで私がこんな目に遭わなきゃ行けないの?あの人が悪いのに。あの人が浮気したのに。」
近くにあった可愛らしいクマのぬいぐるみを抱きながら、涙が枯れるんじゃないかという程に、泣き続ける。
彼が他の女と寝たのが悪いのよ。私がいるのに。
テーブルの上に転がっている缶ビールの空き缶は、つい先日私と彼が宅飲みした跡。泣き腫らした目を擦りながら、それらを片づける。
「少し、散歩でもしようかな」
部屋の片付けをして、気分転換でもしようと着替えて家の外へと出る。
しばらく街を歩いていると、先程喧嘩した彼が向かい側から歩いてくる。
…この間寝た女と恋人繋ぎをして。
気がついた時には、いつもリスカするために持っているカッターをチキチキと鳴らして刃を出し、勢い任せに走っていた。
何か、柔らかいものを貫く。生暖かい液体が手を伝う。頭上からはおおよそ人間のそれとは思えない、悲鳴のような雄叫びが聞こえて、それに共鳴するかのように、周りが騒然とする。
自身の犯した罪に気づいて我に返った頃には、私は警察に取り押さえられていた。
_______
「それで、君何回も彼にストーカーしてたんだって?」
「ストーカーじゃありません!!私はあの人の彼女です!」
「彼は君のことを、ただの知人としか言っていないし、彼の交際相手は、君が刺した女性らしいけど?」
「でもっ、彼は私といて幸せだって!」
「君が言わせたんでしょ?言わないと殺すって脅しまでしてさ。」
取調室で響き渡る荒らげた私の声と対照的に、冷えきった警察官の声が私の鼓膜を突き刺す。やめて。違う。私は、彼に愛されてるの。知人なんかじゃない、恋人なんだから。まだ彼が告白してないだけで、待ってれば彼からいつか好きって言ってくれるから。
「彼、怖がってたよ?酒嫌いなのに宅飲みしようって強引に家に引っ張ったらしいじゃん?」
「彼は素直じゃないだけなの!!彼のこと知らないくせに勝手なこと言わないで!」
「…もういいよ君。とりあえずこのまま返したら何するかわかんないし、傷害と脅迫の罪もあるから、留置所行きね。」
「いやだ!!まだ彼の声を聞いてないのに!カメラも確認してないのに!」
そんな私の嘆きも届かず、檻の中へと入れられてしまった。
_______
『次のニュースです。昨夜刺された女性ですが、命に別状はなく、今朝、意識を取り戻しました。』
『刺したのは交際相手のストーカーだったらしいじゃないですか。』
『怖いですね。』
『それでは次のニュースに参ります。』
「…私は、あなたを見てるだけで、幸せだったのに。」
幸せだった @sora_skyblue
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