くねくねと忍者

久佐馬野景

くねくねと忍者

 いつだったか、円了の運転する軽自動車に同乗したことがあった。

 特に目的地があったわけではない。少しドライブと洒落込もうではないか、と円了に誘われて、八雲は言われるがまま助手席に乗り込んだ。

 円了と八雲はこの世の者ではない。かといって幽霊であるわけでもなく、ただ行き場を求めて異界から異界へと彷徨っている。そんな身の上でどうやって自動車など調達したのか。聞いてみてもはぐらかされるだけだろうと思って八雲は聞かなかった。

 ここはどこだろうか。八雲にとっては彼岸も此岸も違いはない。ふたりにとっては訪れる土地はすべて異界であり、記憶からはとうに失せたかつて自分がいた場所に戻ってきたとしても、そこはもはや異界でしかない。

 車が走っているのは青空にまで続くかのように真っ直ぐ伸びたアスファルトの道路であった。その両脇にはひたすらに田んぼが続いており、奥には小さな、裏山とでも呼ぶべき小山が連なっている。

 カーステレオからは玉置浩二の「田園」が流れていた。円了のことだから流すならベートーヴェンの交響曲第六番のほうを流すものだと思ったが、どちらにせよ、今日の目的はおぼろげながらわかってくる。田園風景を眺めるという行為こそが、今回のキモ――トリガーであると。

「車と忍者を並走させたことはあるかい」

「ニンジャ?」

 八雲は思わず聞き返す。

「日本の子どもたちは退屈な長時間のドライブの時、気を紛らわせるために車窓の外の景色に忍者を投影し、車と同じスピードで街並みやガードレールの上を走る姿を夢想するのだ」

「そうなのか」

 八雲にはそのような経験はない。八雲というペルソナのルーツと時代によるものか、いや、それを言うなら円了も大した差はない。

「これはインターネットの発達によって可視化された部分が大きい。子どもたちが『忍者を走らせている』と告白するのは恥ずかしい行為と見做されるだろうからね。インターネットという空間で初めてその行為を吐露し、賛同を集めた者も多いだろう。授業中に頭の中で『聞こえているんだろ?』と声を発し、どこかにいるかもしれないテレパシー能力者とコンタクトを取ろうとする行為や、学校がテロリストに襲撃され自分がそれを撃退するという妄想なども同様だ」

 人間の妄想の幅は、想像以上に狭い。自分だけしか思いつかないと思ったことでも、同様のことを考えつく人間は無数に存在する。もし本当に誰の考えもおよばないことを表現したのなら、誰にも見向きもされずに終わるだけなのだ。ひとつでもいいねがついた時点で、それは理解されたことの証左にほかならない。

「ところで君はくねくねを知っているかな」

 ネットロアならばある程度は八雲も知っている。特にくねくねはその中のトップスタァだ。

 田んぼの中で白いなにかが動いている。その正体を確認しようとした者は、「わからないほうがいい」と言い残して発狂してしまう。

 言ってしまえばそれだけの話だ。もとをたどれば2ちゃんねるの洒落怖より古い、別の怪談投稿サイトのネタに行き着く。だがくねくねはそれ自体がひとつの妖怪として存在を確立し、様々なメディアへと流出していった。

「実を言うと僕はそのくねくねに付け狙われているのだ。こうして車を調達して飛ばしているのも、追ってくるくねくねから逃れるためなのさ」

 くねくねは走るのだろうか。正体不明のくねくねはしかし、その場に固定されているイメージが多いような気もする。だが急に田んぼの中に出てくるのだから、移動はするのだろう。

 うーうーうーうーうーうー うーうーうーうーうーうーううー

 玉置浩二の「田園」が終わる。かと思えばまた同じイントロが流れ始めた。リピート再生が有効になっているということは、この田園風景が続く限り延々と同じ曲を聴き続けるハメになるのか。

「ううむ。追いつかれたかな」

 そう言う円了は慌てた様子もなく、片手でハンドルを持ってアクセルを踏み込むこともしない。

 田んぼの中を白いなにかが疾走している。

 八雲は助手席側の窓からそれを見た。車とほぼ同じ速度で、田んぼの中をくねくねしながら稲をなぎ倒し泥を巻き上げ畦道を破壊して突っ走る白い物体。

 くねくねだとしたら、見ないほうがいいのか。

「きちんと見ておいてくれたまえ。乗り移られたら一大事だ」

 くねくねに憑依する能力はあっただろうか。ヤマノケと混同しているのかとも思ったが、すぐに車に乗り移ってこられると大変だという意味だと理解する。この速度での物理的接触はたしかに大事故になりかねない。

「くねくねの本質は視覚と理解にある。対象がくねくねを視認し、その存在を理解するというプロセスこそが恐怖の源でありくねくねのよりどころだ。では対象が高速で走る車に乗って逃げていった場合どうなるか。対象の視覚が常に流れ続ける中でくねくねがポップアップすることは本来なら困難を極める。だけど見たまえよこの田園風景を。くねくねの原風景が見渡す限り続くのなら、くねくねのほうも欲をかく。くねくねが常に視界に入るように湧き立つことができるはずだと」

 くねくねは走っている。田んぼの中に等間隔に現れるといった方法もあったはずだが、くねくねは自らの足で車と並走することを選んだ。そうなるように、円了が仕向けた。

「つまりまあ、見ての通り高速で移動するくねくねというのは、その時点で己の本質を放棄しているのと同義なのだ。僕を付け狙った結果ボロを出したというわけさ」

 くねくねに恐怖を感じるのは、得体の知れない存在にこちらからアプローチを行った結果、引き起こされる理不尽な末路というストーリーが立っているからであり、対象を追跡してくる存在ではそもそものジャンルが異なる。

 くねくねが依拠するストーリーは、今の時点で大部分が崩れている。

 とはいえ脅威であることに変わりはない。軽自動車と同じ速度で走る正体不明の物体がこちらを狙っているだけでぞっとする話ではある。敵意がある分そこいらの怪異などよりもタチが悪い。

「出来の悪いホンの見極め方を知っているかい。その場面にいきなり忍者が現れ、登場人物を次々殺しだすことよりも面白くないのなら、そのホンは改善すべきだ――というのがサプライズニンジャ理論として知られている」

 車に並走するくねくね。先ほどの忍者の話。なるほどそういうことかと八雲は窓の外の田園風景に、新たな影を投影する。

 風になびく青い稲の上を、軽やかに駆け抜けていく黒い影。名も知らぬ忍者は車とまったく同じスピードで田んぼの中を飛ぶように走る。

 田んぼの中ではくねくねと忍者のデッドヒートが繰り広げられていた。どちらが八雲の視覚を支配するか。退屈な車窓を眺める子どもの中には複数の忍者を走らせて戦わせる者もいるだろう。忍者と敵キャラクターの激闘を夢想する者だっている。ならばくねくねと忍者が戦うのもまるで不思議ではない。

 くねくねの少し後ろを走る忍者が手裏剣を投擲する。くねくねは身体を揺らしてそれをかわし、車のほうへと迫ってくる。忍者が背中の刀を抜き、八雲の視線が空を仰いだことで大きく飛び上がる。

「――秘剣・次元断」

 円了がぽつりとつぶやく。

 くねくねの頭上から忍者が刀を振り下ろす。ぐわん、と時空が歪曲し、くねくねは上部から真っ二つに切られながらその斬撃の間に生じた次元の狭間へと吸い込まれていった。

 かち、かち、かち。ドライブに出てから一度も聞くことのなかったウインカーの音がして、円了が片手でハンドルを切る。田園風景は終わり、ロードサイドにチェーン店が立ち並ぶ国道を車は走っていた。忍者はガードレールの上を走り続けている。

「さて。どこかで昼食にしよう。忍者の消し方は簡単だ。ドライブをやめればいいのさ」

 この忍者は円了が思いついた術を使っていた。八雲の視界に映っていた忍者もくねくねも、円了が生み出した妄想だった。それを八雲に共有させ、八雲によって処理させた。

「円了。君は僕を試したのか」

「そんなつもりは毛頭ないよ。君はくねくねを見ても発狂しなかった。あまつさえくねくねを忍術で退治した。これは僕にはできないことだった」

 たしかに円了は一度もくねくねに目を向けなかった。くねくねは円了の中で発生し、円了を付け狙った。それは現実に脅威として円了を悩ませた。だからこそ円了は、八雲を同乗者として車を走らせた。くねくねが出没する田園風景の中を、八雲の思考と妄想を的確にくねくねと忍者へ誘導させながら。

 円了では直視できなかったくねくねを、八雲の視覚と理解というフィルターを通して田んぼの中を暴走する物体へとおとしめ、そこに忍者を投入する。忍者がいきなり出てきて皆殺しにすることより面白いことはない――と注釈をつけながら。

 オリジナルの妄想は円了によるものだが、実際に見て、演出し、結末を導いたのは八雲だった。

 三回目の「田園」のイントロが流れ始める。よくよく聴いてみれば、微妙にアレンジが異なる。

「カバー曲だったのか」

「そういうことだね。畢竟君の助けが必要だったのは本当さ。お礼にビールの一杯でも奢らせてもらうよ」

 入った和食屋でふたりはくねくねの蒲焼きを食った。このあたりでは新鮮なくねくねがよく獲れるのだと板前の親爺がくねくね揺れながら話してくれた。蒸さずに焼かれた関西風のくねくねの味わいはビールによく合った。

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