餅は餅屋、歴史は専門家
調べ始めてまだ1週間だが、そこそこの収穫があった。
授業で習ったこと以上の事を自分で学ぶというのは、やっぱり楽しい。
シュルト殿下と話した翌日、なんと歴史学の先生から声を掛けられた。
いつも通り鐘の音と共に昼前の授業が終わり、伸びをしていると、
「ちょっと君。」
と手招きをされた。周りをそっと見渡しても、私のすぐそばにいる人は居なかった。
教授はばっちり私と目線が合っている。そんなわけで、授業後に職員室へ呼び出される羽目になった。
正直、何かやらかしたのかとドキドキしていた。
何故なら、歴史の先生は気難しいことで有名だからだ。テストは厳しく、授業中も常に口角が下がっている。
特に身分制度を重んじる上流貴族出身であり、昔からこの学園に仕える彼は、元々平民の入学を快く思っていなかったらしい。
そんな彼に平民である私が呼び出されれば、何か気に食わないことをしてしまったと考えるのが当然である。
「君、魔族侵攻について調べているそうだな?」
だから、こんなことを聞かれた時はかなり困惑した。
「は、はい。」
「そうか、シュルト君から聞いた。毎日のように図書館で熱心に調べものをしている学生がいると。……君、名前は?」
「メーティアです。」
「ふむ、苗字のない家出身か……どれ、今まで調べたことを私に教えてくれ。」
シュルト殿下は私の事をこの教授に話したらしい。いつの間に。
何故教授が私に調べた内容を聞くのかイマイチ理解できなかったが、特に隠すことでもないので言われた通りに報告した。
丁度手元に鞄に古代文の写しとその翻訳を書き記したノートが入っていたので、それを見せながら順番に説明していく。
説明している間、彼は一言も挟まずに顎に手を当てている。段々調べたことが合っているのか不安になり、最後の方には私の声もすっかり小さくなってしまった。
「そうか、思ったよりも本格的な研究をしているんだな。」
「あの、シュルト殿下は私についてなんと仰ったのでしょうか。」
「ああ、図書館で熱心に歴史を勉強する生徒がいるから、是非彼女に歴史を教えてやってくれとお願いされた。実は私は殿下の元家庭教師でな。彼がまだこの学校に入学する前から彼に歴史を教えていたんだ。平民相手に個別で教える気は起らなかったが、その彼にお願いされてはな、断れなかった。」
「それは……その、お気遣いいただき感謝します。」
「いや、いい。君のノートを見て気が変わった。それに君の身分はどうであれ、今はこの学校の一生徒だ。私自身の意見がどうであれ、教師として生徒を導く義務がある。今どこで躓いている?」
教授の名はニコラ・ロシュフォール。
ロシュフォール伯爵家の生まれだが、家督を兄が継いでからはここの教授として働いている。そんなロシュフォール家はこの王国を古くから支える名家。歴史についてよく知っているというよりは、かの家自身が歴史の一つである。
私が文献を読む中で理解が及ばなかった箇所を幾つか説明すると、彼は淡々と説明してみせた。的確に、簡潔な答えを返す手際の良さは、まさに感動的。
私が何時間もかけて頭を捻っても出せなかった答えが、こうもあっけなく解決するのだと唖然としてしまった。
「これだけか?」
「あ、ええと……そうですね、全く分からなかったのはそのくらいです。一応自分なりに調べて理解はしたものの、正しいかどうかわからない点もいくつか……」
「そうか。では、それらの点についてはまた後で時間を取って解説することにしよう。もし今後分からないことがあれば、私を頼りなさい。ああ、それと、今説明したことの参考文献もいくつか教えておこう。……ほら、メモだ。」
「ありがとうございます。」
思いもよらない収穫だった。受け取ったメモをまじまじと見ると、そこには数冊の本のタイトルが記されている。今まで見た事のないタイトルだ。
おかげで、今週1週間費やそうと思っていた調べもの手間が省けた。調べもので一番大変なのは、どの文献にどの情報が載っているかを判別すること故である。
深々と頭を下げてお礼を言うと、ぶっきらぼうで愛想のない教授はそっぽを向いて自分の作業へと戻ってしまった。
短くなった昼休みの時間を確認し、慌てて昼ごはんを胃に入れようとその場を離れた時にふと思い浮かんだ。
そういえば、どうしてシュルト殿下は私の事を教授に話したのだろう。
単にクラスメイトを助けようとしてくれたのだろうか。それにしては、私と殿下の関わりは随分浅い。まだ2回しか話したことがないのに。
まあ、いいや。私は助かったし。
それよりも、早くご飯を食べ終わって午後の授業に備えないと。
---
「最近忙しそうね、メーティア。」
外はもう暗くなり始めた頃、私はのんびり寮のロビーでくつろいでいた。隣には同じくくつろいでいるデリケがいる。
「そうですね、ちょっと調べものがしたくて。」
「勉強熱心なのはいいことだけれどね、イザベルが寂しがってたわ。最近はメグもメーティアも遊んでくれないって。」
「メグも?」
「そう、何でも部活が忙しいんですって。」
貴方達は毎日やることがいっぱいね、とデリケは砂糖を紅茶に入れながら呟いた。
「どうしても調べたくて。でも、中々難しくて図書館に篭りがちになっちゃうんです。」
「何について調べているの?」
「うーん、歴史について、ですかね。主に魔族侵攻について調べているんですよ。」
そういうと、デリケはちょっと驚いたような顔をした。
「歴史?へえ、意外ね。てっきり科学とか魔法とか、そういうことを調べているんだと思ったわ。貴方、歴史は得意科目ではないでしょう?いえ、大抵の人より出来ている方だけれど。」
「そうですね、試験の点で言うと得意って訳でもないです。それでも、面白いですよ。魔法も科学も、歴史の中で発明・発見されたわけですから。」
「確かにね。」
外はもう暗いのに、室内は相変わらず煌びやかな輝きを放っている。魔法で灯された明かりが金色のシャンデリアに乱反射し、明るく輝いている。
「そう、でも元気ならよかったわ。私達ね、てっきり貴方が落ち込んでいると思っていたのよ。」
「落ち込んでいる?何故?」
「ほら、貴方ガルス殿下と仲良かったでしょう?彼、学園を卒業してしまったから。」
ああ、と私は納得した。
確かに、2年の後期はずっとガルス殿下と
「確かに戦い不足ではありますね。強い相手に挑み続けることでしか得られないものがありますから。」
「……戦闘狂みたいなことを言うのね。ガルス殿下に似てきたのかしら。まあ、そうね。あんなに仲いいって噂になっていた位ですもの。」
「噂?」
そんな話は聞いていない。確かに殿下が私の教室前に迎えに来た時ひそひそと周囲で何か囁かれていたが、何を言われていたのだろうか。
それを聞くと、デリケは若干言い辛そうな、微妙な表情になった。
「その、ね。一部の生徒の話だけれどね。……ガルス殿下と貴方、かなり仲が良かったじゃない?彼、学年内でも特定の人としかつるまなかったらしいの。そんな中、貴方とは心底楽しそうに振る舞うものだから、一部の女子生徒が嫉妬しちゃってね。」
「ああ、なるほど。」
ヴァンサンの杞憂が当たった訳だ。
「平民の癖に王子と仲良くするなんて、と身分差に文句を言う人もいれば、2人の関係性を邪推する人もいたわ。大抵の人達は貴方の優秀さと勤勉さを知っているし、ガルス殿下も武の道一筋と有名だったから、変に疑っていたのはごく一部よ。それに、彼が卒業したから、もう過ぎた話ですし。」
「やっぱりそんなことを言われていたんですね。私は別にいいですけれど、殿下にはちょっと申し訳ないです。」
「いえ、殿下もそう言うことを多分気にしないお方だから、貴方が気負う必要はないわ。卒業時に殿下が貴方のことを『弟子』って言ったのは、私達の中でも少し盛り上がっちゃったけれどね。」
「どういうことですか?」
デリケはくすくすと笑っている。何がおかしいのかよく分からないので困ってしまう。
「ごめんなさいね、微笑ましいと言うか、らしい、というか。変な意味じゃないし、馬鹿にしている訳じゃないの。……まあ、ある意味そんなガルス殿下で良かったわね。彼のファンも、どちらかというと真っすぐな人が多いから。これがシュルト殿下相手だったら大変だったわ。あの人のファンは……随分熱狂的な方が多いからね。」
「あはは……」
ついこの間、シュルト殿下とお話して一緒に図書館で勉強しました、なんて言えやしない。
シュルト殿下は華奢で綺麗なお人形さんの様な姿をしている。それに一目惚れして崇める様な、どことなく神格化するような女子生徒が後を絶たない。
1年生の時に、話しただけで睨まれたことを考えても、目を付けられたら相当不味いことになりそうだ。
「そういえば、シュルト殿下とガルス殿下の仲ってどうなんですか?」
「悪くないらしいわ。母君が亡くなる前はそもそも関わりなかったらしいし、王位継承も大体決まっているようなものだから、少なくとも表立って対立したことは無いわ。裏では王妃殿下に色々拭きこまれていそうなものだけれどね。」
「そうなんですね。」
ならば、余計にわからない。シュルト殿下が私に関わる理由が。
やっぱり彼とはできる限り関わらない様にしよう。公の場でも、図書館でも。
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