2度目の正直 - 4

「魔族か。」

 そう言った殿下の声は少し震えていた。いつも堂々としているはずの彼の表情は強張り、構えた剣先もカタカタと音を鳴らしていた。

「いかにも。」

 笑ったは、ケタケタと不快な笑い声を上げて殿下の方に首をぐるりと回した。不気味な眼球がぎょろりと殿下の方を見て細められた。


「なぜ魔族が今更この現世に現れた?魔界にいるはずではなかったのか?まさか、また戦争をしにきたとは言うまいな。」

「……お前は現世でも偉い人間だな?安心しろ、まだそのつもりはない。ただ準備をしに来ただけだ。」

 魔族は真っ暗なはずの部屋を見渡すと、壁際で倒れている男子生徒を見つけて傍にゆっくり歩み寄った。

「手駒になる人間が欲しかったのだが、バレてしまっては使いようがない。」

 爪先のとがった指を彼に向けると、鈍く光る魔力を指先に集中させていく。まずい、あの子を殺す気だ。

 貯まりに貯まった膨大な魔力が彼の元へ発射されようとしたその時、キーンという耳の割れそうな金属音と共に魔力の光がはじけ飛んだ。


 魔族はゆっくりと振り向いた。

 殿下は静かに息を吐きながら氷属性を纏った剣を構えている。どうやら、魔族があの子を殺す前に殿下が剣で攻撃魔法を弾き飛ばしたらしい。


「ほう?この子供を守ったのか。哀れな事よ、もうこの子は助からないというのに。」

「さあ、案外人間の治癒魔法は凄いからな。助かるかもしれないぜ。」

「そんな馬鹿な、先の大戦ではせいぜい止血や消毒しかできなかったものを。脳にしがみ付いた寄生型魔獣をどうやって引きはがすというのだね?」

 ガラガラ声で不快な笑い声を上げる魔族に、殿下は眉を顰めている。が、私にはわかった。彼は内心少し笑っていた。


 授業でも習った。魔族は寿命が倍以上人間よりも長い。魔族の発言から察するに、彼らにとって時間の流れとは、人間が感じるよりもずっと遅いものであると認識しているのだろう。

 だって、魔族と人間の大戦なんて、私達人類からしてみれば随分昔の事だ。あのころと比べれば魔道具も治癒魔法も何もかもが進化している。それを彼ら魔族は恐らく知らないのだ。

 知識や認識の差はそれだけで大きなハンデを生み出す。この見るからに強力そうな魔族を相手取るならば、この差が勝敗を分かつかもしれない。


「そうか、そうなんだな。まあいい、ダメ元でもやって見なけりゃ分からないからな。そんなことより、お前、準備をしに来たと言ったな。何の準備だ?」

 殿下の震えは段々収まってきたようで、声もはっきりしている。この短時間で冷静さを取り戻すとは流石だ。

 規則的な呼吸を繰り返しながら、油断せず魔族に剣をしっかり向けている。


「そんなことを聞いて何になる?時間稼ぎのつもりか?どうせお前はここで私に殺されるというのに……それに、ここにいるのはお前とそこで寝ているそいつだけじゃないだろう?」

 魔族がぐるりと背後を向き、私の方を見た。恐怖でひっと漏れ出そうになる声を何とか押し殺したが、身体が硬直したまま動けない。

 視線が私の方をじっと向いたまま離れない。見つかったか?いや、奴は私の方を見たのではなく、私がいる方角を見ただけだ。まだ視線は合ってない。


「チッ、怯えて出てこないか。まあしかし、そこら辺にいるんだろう。ポータルから出る直前までもう1人の気配がしていた。恐らく剣を構えているお前よりも弱い人間だ。隠密魔法を使っていても完全に気配は消せないからな。早く出てこい、早く出てこないと……こいつが死んじまうぞ!」

 刹那、魔族の手から膨大な魔力が押し寄せた。黒い閃光が素早く空中を滑り、殿下の方へと飛んでいく。避けられないと判断したのだろう、殿下は剣で受け止めると軽くいなした――が、その直後に腕を痙攣させてうめき声を上げた。


 何が起こったのかは分からない。分かるのは、あの魔族の魔法は人間の世界にはない魔法であることと、雷属性のように受け止めると体がしびれてしまうという事だけ。

 なんてことは無い、知識の差の優位性があるのはこちらだけではなかったということだ。


 殿下は何とか歯を食いしばって剣を握り直した。まだいけるという意思表示だ。

 魔族は間髪入れずに先ほどと同じ魔法を次々と打ち出している。あれら全てをさっきと同様に受ければ、今度こそ動けなくなってしまう。そう思ったのか、彼は真っ暗な部屋中を駆け回り、次々と攻撃を避けている。

 流石戦術部部長だけあって身のこなしは軽やかだ。痺れている手も回復したのか、難なく動かしている。


 勿論殿下もやられっぱなしではいられない。魔法発動の隙を突き、殿下は魔族に急接近した。そのまま氷の刃を魔族の胸元目掛けて突き出し、貫こうとしている。が、魔族は難なく防御魔法を繰り出し、剣先は敢え無く弾かれてしまった。

 魔族は絞り出すような不気味な笑い声を上げ、一度魔法の手を緩め、楽し気に殿下に話しかけた。


「ほう、人間の癖に強いな。お前、名は何という?」

「人間界ではな、名を聞く前に自分が名乗るのが礼儀だ。野蛮な種族には分からないだろうがな。」

「ほう、それは失礼した。ではご要望通り名乗って進ぜよう。我が名は――マギニバ。魔王軍第2部隊所属、マギニバだ。」

「マギニバ、ねえ。随分とあっさり名乗ってくれるんだな。俺はガス。この国の第一王子だ。」


 再び無数の魔法が殿下に襲い掛かった。先ほどと見た目はほぼ同じだが、波長が違う魔法だ。

 殿下がギリギリのところで避けると、魔法は石の床に激突し、驚くことにまるでボールの様にバウンドして跳ね返った。

 流石に彼もそれは予測していなかったらしい。跳ね返った魔法を住んでのところで避けたが、体勢を崩してしまったらしい。連続して放たれた魔法が殿下に幾つも襲い掛かった。


 危ない、流石に加勢に入らねば。今から防御魔法を張れば間に合う。そう思って彼の方へ寄ろうとした時、殿下が突然叫んだ。

「やめろ、まだ出るな!」

 思わず私はピタッと体の動きを止めてしまった。加速した魔法が殿下に次々と襲い掛かる――が、彼は全て防御魔法で防いでいた。

「おい、お前は俺がいいというまで出てくるな。どうせこの魔族はお前の正確な位置なんて分かっちゃいない。何となく気配がするだけで、視えも聞こえもしちゃいない。それで、いつどこから襲ってくるかわかりゃしないから、常に全方位警戒を怠れない。お前がそうやって隠れているだけで、こいつに不利益を与え続けられるんだ。」

 防御魔法をかなり厚く張っていたが、まだまだ彼の魔力には余裕があるらしい。いつもの様な不敵な笑みを浮かべ、にやりと笑った。

 氷で長く細く伸びた剣を振りかざし、魔族を切り刻もうと鋭い攻撃が何度も繰り出している。と同時に、魔族はそれを軽い動作ですいすいと避け、代わりにいくつもの攻撃魔法を高速で撃ち放っている。


「おい、マギニバ。俺さ、もう少し聞きたいことがあってだな。去年のこの時期にもこの学校に魔獣が潜入したことがあったんだ。あれ、お前の仕業じゃないのか?」

「さあな、何のことやら。」

「とぼけなくたっていいだろう。あの魔獣、このポータルから運んで来たんじゃないか?魔力の波長がお前と似ている気がするんだ。いいじゃないか、教えてくれよ。」

「……煩いな、そうだ、と言えば満足するのか?去年はポータルの修理が不完全で、魔力の高い私はここを通れなかったのだ。代わりに使い魔をここに送り、誰でもいいから1人弱い人間を殺してこっちに持ってこようとした。新鮮な死体は魔界でゾンビになるからな、それで人間界の情報を得ようとした。これで満足か?」

「なるほどな、その当てが外れて使い魔が殺されたから、今度は代わりに外からこの地へポータルを修理させようとした訳か。ありがとうな、素直に教えてくれて。」

「どうせこの情報は漏れたって構わない。ここでお前を殺してこの魔道具を奪って逃げれば、私の目標は達成されるわけだから。」


 攻防は一層激しさを増した。速度は上がり、魔力の消費量も桁違いに増加している。これでは彼がいつまで持つか分からない。

 やはり私も隠れていないで加勢した方が良いのでは?そう思えてきた時、殿下と一瞬だけ目が合った。常に魔族の方を向いていた目線が、その一瞬だけこちらを向いたのだ。

 そして次瞬、その目線は近くにあったポータルへと移動した。私が驚いて瞬きをすると、既に彼の目線は魔族の方へと戻っていた。一切魔族から視線を離さず、魔法を避けながら見事な剣術で魔族と互角に戦っている。


 数字にしてみれば0.1秒もないだろう。ほんの短い時間だ。その短い時間で、彼は私に意思を伝えた。

 ポータルだ。彼は、魔族をポータルに押しやるつもりらしい。

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