大会準備

「ああ、疲れた。」

 書類を持ってあっちに行ったりこっちに行ったり。先輩たちの小間使いも楽じゃない。


 無事大会予選は終わった。決闘大会の出場参加資格は『高等部所属であること』と、『自身の戦闘技術に自信があること』。

 毎年見てきた大会に憧れた生徒たちが次々と応募してくるものだから、予選で参加者を絞るのは大変だ。本選出場者の人数を考えると倍率は実に5倍程。

 予選は一般生徒には公開されず、ひっそりと行われたそうから私もどんな戦いだったかは知らない。

 知っているのは審判をしていた戦術部高等部の部長、ガルス殿下と付き添いの先生だけだ。


 ところで、決闘大会は戦術部が主催らしい。初耳だ。

 何でも毎年戦術部の生徒達が司会進行や案内などをしており、前々の準備から本番当日まで、出場しない部員で分担して回さなくてはならないそうだ。当然私もそのうちの一人だ。

 昔は実行委員会が存在したそうだが、その生徒が殆ど戦術部だったので、ある年から全て戦術部任せになったそうな。


 最も、戦術部も大会の全てを網羅している訳ではない。

 例えば賭けのチケットはカジノ部が販売・管理しているし、観戦時のサイダーやポップコーンは料理部が小遣い稼ぎに作って販売しているらしい。

 美術部は選手の戦いの様をスケッチして後で売り捌いているし、ダンス部は試合の合間に観客を飽きさせないようにパフォーマンスをするらしい。

 そうやって色々な部がここぞとばかりに行事に乗っかり、大会をより盛り上げるんだとか。


 そんな訳で、私は今大会本番に向けて会場の準備をしている。

 音響機器を設置したり、適切な場にゴミ箱を置いたり。当日の進行予定を皆で把握して役割分担を決めたり、トラブル発生時の対応をシミュレーションしてみたり。

 1週間以上前から準備は行われていた。

 当日の仕事は生徒や選手案内役から魔道具の安全確認、万が一選手が死にかけた場合の救護班等。闘技場内の保護魔法や観客席付近の魔法結界の確認は先生たちの仕事だ。


 勿論事前にトーナメント表を作るのも我々戦術部の仕事だ。

 基本的にはランダムで順番を決めていくらしいが、あまりにも人気の高い出場者達が片方の山に偏った場合はこっそり入れ替えることもあるとか。

 因みに今回は問題ないらしく、このままで発表された。


 そして今、大会を来週に控えた休日。私は座席の掃除をしていた。


「ちょっと座席汚れていない?前回の大会が終わった後以来掃除されていないからなあ、ちょっと拭いといてよ。」

 そんな先輩の言葉で、私の休日の午前がこの作業に費やされることが決定した。

 闘技場には結界があるとはいえ、貼られていない通常時には雨風や砂埃が入ってくる。それで汚れてしまったのだろう。


 座席に着いた土や砂を濡らした雑巾出ひたすら拭いていく。

 最初は手作業でやっていたが、どうも腰が痛くなる。試しに魔法で雑巾を操ってみたら、結構上手く行った。拭く速度は普通に拭いた方が早いが、腰を屈めなくていい上に消費魔力も大したことない。

 魔法と手作業を切り替えながら進めていくことにしよう。


 この学校の闘技場は大昔から存在し、古代人の娯楽に使われていたらしい。世界遺産にでも登録されそうな程歴史的価値の高いこの建物は、生徒全員を収容できるほどに大きい。

 そんな座席を全部拭いて回るのは午前だけじゃ無理だ。汚れたバケツも途中で水を替えに行かなきゃいけないのに。

 因みに魔法で水を出して後に消すにしても、拭いた後の汚れはバケツ内に残ってしまう。水を維持するのも疲れるから、替えに行く方がまだマシだ。


 気が付けばもう太陽は真南に移動しており、さんさんと私の頭上を照らしていた。暑い、汗がだらだらと垂れてくる。

「おーい、昼休憩だ!取り合えず戻ってこい!」

 闘技場中央で点検をしていた先輩が両手を振って呼んでいる。風魔法を使って拡声器のように声を響き渡らせているらしく、遠く離れているのに随分くっきり声が聞こえる。

 生活魔法とは便利だな、是非今後身に着けたいものだ。


 ふわふわと浮遊魔法で中心部へ降り立つと、現場の指揮を執っていた先輩が声を掛けてきた。

「どれくらい進んだ?」

「半分程度ですかね......」

「そうか、それでは午後にもう1人そっちに割こう。ご飯を食べ終えたら帰っておいで。」

「はい、わかりました。」

 とはいえ、今日のお昼ご飯の事を何も考えていなかった。ここに来るまでは、作業は午前中には終わるものだと思っていたから。

 仕方ないから食堂にでも行くか、休日でも学食は開いているはず。


 そう思って校舎側へ向かおうとすると、ぽんと肩に手を置かれた。今回はきちんと魔力探知に引っかかっていた。

「殿下。」


「よ、お疲れ様。今から昼食か?」

「はい、学食に行こうと思っていたところです。」

「そうか、ところでここにサンドイッチのセットがあるんだが。」

 そう言ってガルス殿下はピクニックで使うような籠を軽く揺らしてこちらに見せた。

「おい、お前らも!部長からの差し入れだぞ!」

 私と殿下がサンドイッチを2つずつ取ると、残りが入った籠を寄ってきた他の部員達に渡した。部員たちは一気にはしゃぎ回り、殿下に次々と頭を下げている。

 私は殿下に手招きされ、闘技場を出てすぐ近くのベンチに並んで座った。準備してくれたお手拭きで手を拭き、小さくいただきますと心の中で唱えてからサンドイッチに齧りついた。


「手伝いの方はどうだ?」

「座席をひたすら拭いていました。まだ半分しか進んでないのですが、午後は人が増えるので何とか終わりそうです。」

「そうか、世話を掛けるな。」

 サンドイッチといってもかなり大きい上中身が大量だ。野菜やチーズだけでなく、肉までゴロゴロ入っている。

 殿下が2つ取ったから私も真似たが、これでは1つでかなりお腹いっぱいになってしまいそうだ。

「これ、2つも食べきれるかしら......」

「そうか?まあもし多すぎたら俺が食おう。何ならついさっき昼ごはんを向こうで食べてきたところだが、まだ腹が減っているんだ。」

「ええ、やはり男性の食欲は恐ろしいのですね......」


 少し辛子の効いた具材が美味しい。パンも分厚く、噛み応えがある。ただ、大きいから溢れて零しそうな上、中々口に入らず食べにくい。どう頑張っても口周りが汚れてしまいそうだ。

「美味しいか?購買で新しく売り出すそうだ。」

「はい、美味しいです。ありがとうございます。」

「そうかそうか、それはよかった。」


 殿下は微笑み、長い睫毛を伏せてこちらに目線を向けている。食事のマナーでも間違っているのかと気になって食べにくいじゃないか。

「何でしょうか?」

「いや、人が美味しそうに物を食べる姿は良いと思ってな。平穏の証だ。昔母が俺の食べている姿を微笑みながら見ていた理由がよく分かる。」

「......殿下はお母様に愛されていたのですね。」

「愛?......ああ、そうだな、愛されていた。優しい人だった。自分がどんなに辛い目にあっても、どんなに王妃と国王に冷遇されても、俺だけは愛してくれたんだ。そうなった原因が俺であるにも関わらず。」

 殿下は少し自虐的な笑みを浮かべた。


「そんな悲しい事言わないでください。どんな状況に置かれたとしても、お母様は殿下が誕生なさってくれて嬉しかったはずですよ。」

「そうだな、きっとそうなのだろう。それでもやはり、考えてしまうのだ。自分が生まれなければ母も死ぬことがなかっただろうに、と。」

 何となく彼の気持ちは理解できる。彼もまた、母の事を愛していたのだ。

 愛とは自己犠牲的な感情であり、愛する相手が傷つくことは自分が傷つくよりも辛いものだ。母君がどんな人物かは知らないが、殿下を守ろうとした母君の気持ちだけは痛いほどによく分かる。


「殿下、確かにお母様は殿下を守って亡くなられました。紛れもなく、母の愛です。やはり親とは、子に幸せに生きていて欲しいものなのですよ。殿下がこうやって生きていてくれるのが、お母様にとって何より幸せだったのではないでしょうか?」

「お前、子供の癖に随分と見知った口を利くんだな。まるで自分が母になったことがあるとでも言いたげではないか?」

「私の母が以前私に言ったのですよ。そりゃ私も母の立場になった訳ではないので、完全にこの言葉を理解できているかは分かりませんが。」

 勿論実際に私の母がこう言ったことはない。完全に出まかせだ。


「お前、やっぱり変な奴だな。」

「そうですか?割と常識的な回答をしていると思いますが。」

「大人びすぎている。やっぱお前、中身大人なんじゃねえの?で、魔法で子供に化けてるんじゃねえの?」

 耳が痛い。勘が良過ぎるのか、冗談が過ぎるのか。


「そんな魔法あるんですか?」

「さあな、精神属性の創作魔法ならあり得るんじゃないか?聞いたことは無いけれど。」

「そんな高度なこと、私にはできませんよ。」

 殿下はもう2つ目のサンドイッチを食べ終え、最後のかけらを口に放り込んだ。私はようやく1個目を食べ終わったところなのに。

 私は持っていたサンドイッチを半分に割り、殿下に1つ差し出した。1人じゃ食べきれない。

 殿下は笑いながら受け取ると、欠片に大きな口でかぶりついた。食欲旺盛なことだ。


「案外できるかもな?お前、多分だが精神属性に適正あるぞ。」

「え?でも私、精神魔法なんて使ったことないですよ?」

「そうかもな。ただの勘だ。......前、得意な属性は何かと聞いたことがあるだろう?得意な属性ってのは、その個人の経験によって決まるものだ。お前、妙に大人びているということは、何か精神的に揺さぶられるようなことが過去にあったんじゃないか?勿論やってみなきゃ分からないから確かなことは言えないが、やってみるに越したことはない。」


「でも精神魔法って余り学校で習いませんよね。いい印象もないですし。」

 精神魔法は大体都合の悪い事を忘却させたり、人を惑わせて騙したり、強制的に眠らせたりとほぼ犯罪行為に近い事を可能にする魔法だ。そのせいで普通の人からは忌み嫌われており、『闇魔法』なんて揶揄されることもある。

「高等部に上がれば少しだけ習うさ、精神魔法に対する防衛術と一緒にな。それでも高度な精神魔法はそう中々簡単に防げるものではないし、何より便利だ。冒険者の間でも、精神魔法の使える魔術師は重宝されるぞ。」

「そうなんですね。そういえば、殿下も精神魔法を使っていましたね。」

「そう、俺は氷属性だけでなく精神属性も得意だ。精神属性を得意とする人間はあまりいないからな、希少価値だ。」


 途端にぼんやりとした靄が殿下を包もうとする。あの時と全く同じ、精神魔法だ。慌てて何とか身を守ろうと防御膜を張ってみるが、何の効果もない。

「精神魔法は防御魔法じゃ防げないんだ。」

「防衛方法知らないので。どうすれば防げるんですか、それ。」

「まあまた今度教えてやるさ。......この前といい今日と言い、重い話ばかりですまないな。次会う時は明るい話でもしよう。」


 さて、と殿下が闘技場の方向へと顔を向けた。

 丁度先輩がこちらに歩いてくるのが見えた。昼休憩が終わるのだろう。またあの拭き仕事が始まると思うと憂鬱だ。私は渋々立ち上がり、先輩に大きく手を振って合図をした。

「さあ、頑張って来いよ。......今回の大会では、魔獣が出ないといいな。」

「はい......え?」


 掛けられた声に驚き後ろを振り返るも、殿下の姿はもうなかった。瞬間移動した時の魔力の残り香だけがその場にぼんやりと留まっていた。





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