転生した元社畜、魔王軍の人事総務部長になって働き方改革します!〜効率化と福利厚生で最強軍団に〜
カユウ
第1話 ブラック企業での最期
「
後ろから飛んできた鋭い声が耳に刺さり、私は無意識のうちに体を硬直させた。振り返ると、そこには眉間にしわを寄せた社長の顔があった。
「はい、承知しました。すぐに取り掛かります」
私は、阿井澤
会社の蛍光灯が放つ青白い光の下、モニターに映る人事評価書の文字が踊って見える。今日はもう20時間近く起きている気がする。ガムを噛んでも、コーヒーやエナジードリンクを飲んでも、もはや効果はない。
「阿井澤くん、君にはがっかりだよ。35歳の若さで部長にしてやったんだ。もっとしっかりしてくれないと」
行き掛けの駄賃とばかりに言葉をかけてくる社長に、つい出てしまいそうになるため息をこらえながら頷く。35歳の若さで部長か。笑わせる。
実際のところ、この会社でバックオフィスの人間が出世するのは、誰もがその仕事を避けるからだ。朝も夜も、休日すらもなく飛んでくる社長の無茶な要求に耐えられず、次々と人が辞めていく。こいつはいつ寝ているんだろうかと思うくらい変な時間にも社長から連絡がくるのだ。しかも、こちらがすぐに返信しなければ、何度も繰り返し電話をかけてきて、出れば罵詈雑言を浴びせかけられる。さらには、朝令暮改なんて甘いほど、コロコロと意見が変わる。ひどい時には話の始めと終わりとで全然違う指示になっていることさえある。こんな調子では、社長と関わるような役職者から辞めていくのも仕方ないだろう。気がつけば、残っている中で最年長が私だった。そんなわけで、望んでもいない重責を背負わされることになったのだ。
「それと、明日の朝イチでこの人事評価書が必要だ。何としても仕上げてくれ」
出て行ったと思った社長がいつの間にか戻ってきて、追加の指示を投げてきた。また徹夜か。今週4回目だ。部長になってから、土日祝日に丸一日休めたことはなく、ましてや有給休暇なんて存在自体消え失せたようなもの。経営している会社がこんな状態にも関わらず、世間は社長を時代の寵児として取り扱っているのが驚きだ。
私の勤める会社は、世間では”ホワイト企業”として知られている。確かに、表向きは残業時間の上限を設け、有給休暇の取得を推奨している。しかし、実態は全く違う。あ、いや、ITエンジニア部門や営業部門は残業時間の上限を遵守し、有給休暇はほとんど消化している。バックオフィスだけ、超絶ブラックなのだ。
「稼いでくれているITエンジニア部門や営業部門に感謝しろ。バックオフィスなんて稼げない部門は、ITエンジニアや営業たちのために血反吐吐いても働け。彼らが稼いでくれる金を無駄にするな」
バックオフィスは稼げない。その言葉で、全ての美辞麗句が意味を失う。ITエンジニアや営業が増えれば増えるほど、バックオフィスの業務も増えていく。結局のところ、与えられた仕事をこなすためには、サービス残業をするしかないのだ。
モニターが暗転した際に映った自分の顔が、まるで幽霊のように青ざめている。最後に帰宅したのはいつだったか。プライベートの時間?友人との飲み会?そんな贅沢は、もう遠い過去の話だ。
キーボードを叩く音だけが、静まり返ったオフィスに響く。外は既に暗く、東京の夜景が窓ガラスに映り込んでいる。その美しさとは裏腹に、私の心は徐々に暗い闇に飲み込まれていく。
「これでいい……はず」
朝4時。ようやく人事評価書の修正が終わった。重箱の隅をつつくような細かい指摘も多く、修正箇所を探すだけでも一苦労だった。目の奥が痛い。立ち上がろうとした瞬間、めまいがして前のめりに倒れそうになる。
「あとちょっとやったら、帰ろう」
自分に言い聞かせるように呟く。しかし、体は正直だ。限界を超えている。
効いているとは思えないエナジードリンクを買いに行こうと事務所の入り口に向かう。その途中、壁に掛かった鏡にふと目が留まる。そこに映る自分の姿に、愕然とした。
痩せこけた頬、くぼんだ目、乱れた髪。たった1年でこんなにも変わってしまったのか。人事総務部長就任時の写真と見比べたら、まるで別人だと言われても不思議じゃない。
「……はぁ……」
大学卒業後、希望に胸を膨らませてこの会社に入社した日のことを思い出す。ITエンジニア職での採用。だが、所属学部が電気系でIT専攻ではなかったことや、面接でサークルやバイトでメンバーから相談を受けることが多いという話をしたことから、人手不足の人事総務部に入ってほしいと当時の人事総務部長に懇願された。年上の、しかも部長という職位の人からお願いされたということで、自分が求められていると勘違いした私は、二つ返事で承諾した。その時は、人事の仕事を通じて社員の幸せに貢献したい。そんな夢を抱いていた。
しかし現実は、その夢とはかけ離れていた。
社長は”人”を単なる数字としか見ていない。給与での還元を謳って福利厚生を削り、基本的に顧客先への常駐や在宅勤務としてオフィス代を最低限に抑える。さらには、バックオフィス勤務の社員は残業代がつかないよう、タイムカードが自動で切られるように設定されている。バックオフィスの離職率だけ、競合他社と比べると明らかに高いのだが、それを把握する気すらない。
そんな状況を改善しようと、幾度となく社長に進言した。しかし、返ってくる答えは決まって同じだった。
「阿井澤くん、君は経営が分かっていない。バックオフィスはコスト部門だ。稼いでもいない君たちには、残業代なんてもったいないだろ。働かざるもの食うべからず、だよ」
その度に、心が少しずつ擦り減っていく。
「世間的にはホワイト企業なんだよな。企業の口コミサイトみても、バックオフィス系の恨み節より、ITエンジニアや営業のキラキラコメントが評価されているし」
そう、皮肉なことに、世間での当社の評判は上々だ。広報部が巧みに作り上げた”ホワイト企業”イメージが功を奏し、毎年大勢の新卒が入社してくる。
ITエンジニア職や営業職に配属されたら天国だ。退社よりも高い給与。試用期間が終わり次第付与される有給休暇は、1年目から使い切ることを推奨されている。うまく休めていない新人社員がいれば、先輩たちが休む日を作ってくれるほど。
だが、バックオフィス系に配属された新卒の多くは、1年と持たずに退職していく。その度に、申し訳ない気持ちで一杯になる。人事総務部長として、彼らを守れなかった自分を責める日々。
そんな後ろめたさを抱えながら、せめて部下には人らしい生活をしてほしい。その思いだけで、過重労働に耐え続ける日々。
「これじゃあ、俺が倒れるのも時間の問題か……」
鏡に映る自分に向かって、苦笑いを浮かべる。
まるで自分の将来を予見するかのような言葉だった。
事務所の入り口についた瞬間、激しい胸の痛みが走った。
「うっ……」
床に膝をつく。呼吸が苦しい。視界が徐々にぼやけていく。
(ああ、これが噂の過労死ってやつか……)
皮肉な笑みを浮かべる余裕すらない。意識が遠のいていく中、最後に頭をよぎったのは、
(せめて、もう少しマシな会社で働きたかった……)
という思いだった。
そして、全てが闇に包まれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます