花言葉は『恋の勝利』

妃音

第1話

しずく


時々、あの人は私の知らない名前で私を呼ぶ。


なんで“雫”って、呼ぶんだろう。


でも、不思議だ。

”雫”って呼ばれると、なんだかモヤモヤする。

“僕のお人形さん”とか“君”って呼ばれるときはそんなことないのに。

何か…大切なことを忘れている気がする。


そして、その日は必ず夢を見る。内容は覚えてないけど、多分悲しい夢だ。

だって、朝起きたら、どうしてだか無性に泣きたくなるのだ。


だからきっと、悲しい夢を見ている。











よく晴れた5月のある日。白い雲が沢山浮かんでいて、綺麗な青と並んでいる。


「雫!お出かけするから、準備してー!」


その声ににパッと顔を輝かせる女の子がいた。


「ママ!おでかけ?どこいくの?!」


期待のこもった声に苦笑しながら女の人───女の子の母親だろう───が答えた。


「今日はね、おっきい公園に行きましょう!はい雫、これに着替えて〜」


渡された服をもたつきながら着て、母親に矢継ぎ早に問いかける。


「あそぶところいっぱいある?すべりだいおおきい?」

「沢山あるわ!ブランコとか、アスレチックとかね。他にも沢山!滑り台もとっても大きいのよ!」


楽しみ!と目を輝かせた女の子にくすくすと母親は笑みをこぼす。

家を出た親子を、綺麗に咲いたアガパンサスが見送っていた。






「わぁぁー!いっぱいあるっ!」


公園に着いてはしゃぐ女の子を、母親が微笑ましげに見守っていた。


「あ!ねぇみてママー!」


突然走り出した女の子は、慌てた母親が制止する前に何かにぶつかってしまった。


「わっ?!ご、ごめんね!大丈夫?」


ランニング中だったのだろう。ぶつかったのはスポーツウェアを着た中学生くらいの少年だった。


「雫!大丈夫?!もうっ、急に走ったら危ないでしょう!」


驚いたのか、女の子はぼーっと少年を見上げていたが、駆け寄ってきた母親の声で我に返った。女の子はバツが悪そうにえへへ、と笑って言った。


「ごめんなさい、ママ。おにいさんもごめんなさい。」

「本当にすみません。大丈夫ですか?」


ペコペコと謝る母親に少年は微笑んだ。


「全然大丈夫ですよ。こちらこそすみません。お嬢ちゃん、怪我ないかな?」


途中からしゃがんで、目線を合わせてくれたのが嬉しかったのだろう。

女の子はニコニコしながら答えた。


「だいじょーぶっ!ねぇおにいさん!しずくとあそぼー!」

「ちょっ、雫!お兄さん困るでしょう!すみません、急に。気にしないでください。」

「やだっ!おにいさんとあそぶのー!!」


母親が諌めているが、女の子はぜったいあそぶのっ!と言って泣き出してしまった。


「あの、僕で良ければ一緒に遊びましょうか?」


おずおすと少年が申し出ると、女の子は泣きながら何度も頷いた。母親は申し訳なさそうな顔をしているが、どこかほっとしたようだ。


「すみません、お願いしてもいいですか?」

「全然大丈夫ですよ。僕が見ているのでお母さんは休んでいてください」


少年がそういうと、母親はありがとうございますと、何度も言いながら少し離れたベンチへ向かっていった。


「お嬢ちゃん、僕は東雲しののめ 叶夜きょうやです。君のお名前は?」

「きょーくん!しずくはね、あけそら明空しずくっていうの!」


少年の問いかけに、女の子はさっきまで泣いていたのが嘘のように元気よく返事をした。


「雫ちゃん、何して遊びたい?」

「ブランコ!きょーくんおしてー!」


2人はブランコ、シーソー、ボール遊びや、アスレチックなど、ひとしきり遊び回った後、日陰に座っておしゃべりを始めた。


「きょーくん、いっしょにあそんでくれてありがとう!おそとでね、ママじゃないひととあそんだのはじめてだったから、とってもたのしかった!」


少年はその言葉を聞いて驚いた。女の子のことをずっと小学生だと思っていたのだ。しかし、小学生だったなら友達と遊んだことはあるだろう。その経験が無いというなら、来年くらいに小学校へ上がるのか。幼稚園は行かない人もいるというし。少年はそう結論づけて尋ねた。



「雫ちゃんは来年から小学生なの?」

「んーん、ちがうよ。しずくはいまいちねんせいです!きょーくんは?」

「え、っと…僕は中学1年生だよ」

「そうなの?しずくといっしょだね、いちねんせい!」


少年は戸惑いながらも何とか返事をする。

そんな少年に気づかず、女の子は言葉を続ける。


「でもねーしずく、がっこうあんまりすきじゃない。」

「へ、へぇ。どうして?」

「だってね、がっこうのみんな、しずくのこと『おにんぎょうさん』みたいっていうの」


女の子が口を尖らせて言ったことに、少年は首を傾げた。

『お人形さん』みたい、は褒め言葉ではないのか。


「嫌なの?」

「やだよ!」

「どうして?」


少年はますます首を傾げながら問いかける。


「だって、『おにんぎょうさん』みたいにおとなしくなきゃいけないってことだもん!しずくもそとであそびたいのに、みんな『しずくちゃんはおにんぎょうさんなんだよ。おにんぎょうさんは、そとであそんじゃいけないの』っていうの!」


じわりと涙を滲ませて言う女の子を見て、少年はいつの間にか言葉を放っていた。


「じゃあ僕と沢山遊ぼう!」

「!いいの?」

「もちろん!僕もね、雫ちゃんのこと『お人形さん』みたいに可愛いなって思うけど、外で遊んじゃダメだとは思わないよ。」


少年の言葉を聞いた女の子は嬉しそうに言った。

「きょーくんの『おにんぎょうさん』は、かわいいなの?」

「うん」

「そっかぁ…じゃあねー、とくべつに『きょーくんのおにんぎょうさん』になってあげる!」

「『僕のお人形さん』に?」

「うん!」


とくべつだからひみつだよ!と言う女の子を見て少年は顔をほころばせた。

シーと人差し指を立てて笑いあう2人の近くで、白いスミレが風に吹かれていた。






「やだー!きょーくんともっとあそぶー!」


少年にしがみついて駄々を捏ねる女の子を母親と少年が困ったように見つめる。

夕方になり、辺りはすでに薄暗くなっていた。


「雫ちゃん?ほらお母さん困ってるよ」

「…」


少年の言葉に女の子は無言で首を振る。

それを見た母親は困ったように言った。


「ごめんなさいね、えっと…」

「あ、東雲叶夜です。」

「そう。叶夜くん、良かったら夜ご飯うちで食べない?」

「えっ」


突然の誘いに戸惑う少年を女の子はキラキラとした目で見つめる。


「きょーくん!一緒に食べよー!」

「えっと、じゃあお願いします。」


女の子の視線に耐きれず、少年は申し訳なさそうに返事をした。






女の子の家があるマンションに着くと、少年が驚いたようにきょろきょろしている。


「叶夜くん、どうかした?」

「あ、いえ、僕の家もこのマンションなので…」

「そうなの?偶然ね。」


女の子は、きょーくんのおうち、ちかい!とぴょんぴょん飛び跳ねた。


「きょーくん!いっぱいあそぼうね!」

「そうだね、沢山遊ぼう。」











それから7年たち、少年は大学2年生青年に、女の子は中学2年生少女になった。この7年間、青年が少女に勉強を教えたりして、交流が続いていた。そして、いつでも優しい青年に、少女が恋をするのは自然なことだった。


「ねぇ、雫?今度の日曜に大会があるんだけど…その、僕も出ることになったんだ。」

「そうなの?!きょーくんすごい!」


大学生になってから、青年は弓道を始めた。

そして今回、初めて大会に出られることを知って、少女は大はしゃぎで、絶対応援に行くからね!と約束をした。






プルルルルル プルルルルル


大会当日、少女が家を出てからしばらくして、青年から電話がかかってきた。


「もしもし、きょーくん?」

『雫、もう家出たか?』

「うん!あと10分くらいで着くよ。」

『そうか、じゃあ気をつk』

─────ドンッ─────


激しい衝撃が少女を襲った。周りから悲鳴が上がる。

訳が分からなかった。分からないけれど、体が焼けるように熱い。


『雫?どうした?何かあったのか?!』


電話から青年の心配そうな声が聞こえる。

青年の電話越しに叫ぶ声と周りの救急車を呼ぶ声を聞きながら、少女は目を閉じた。

最後に見えたのは、近くの公園に咲いているポピーの花だった。











ピッ ピッ ピッ ピッ


フッと意識が戻って、規則正しい音が聞こえた。

いつの間に眠っていたのだろう。



「雫…僕のお人形さん、早く起きてよ…今の君は、本物の『お人形さん』みたいだよ…?」


不意に声が聞こえた。

ああ、あの人が来ているのか。


あの人はいつも私の手を握って話しかけてくれる。今日は何があった、みたいな話と、今みたいに早く起きてって言う話のどちらか。今日は後者のようだ。

今日あったことを聞くのは楽しいけど、早く起きてって言われるのは嫌いだ。

だって、私はもうとっくに起きている。目は開かないけれど、誰も気づいてくれないけど、私はもう起きているんだ。なのに早く起きてって言われても困ってしまう。

───あと、嫌いな理由がもうひとつある。

この話をする時、あの人はいつも泣いている。私の手に温かい水が降るんだ。

顔も見た事がない人だけど、あの人が泣いているのは、なんだかとても嫌だ。


「僕のお人形さん…君が目を覚まさなくなってから、もう4年も経ったよ。僕、どうすれば良かったのかな…?あの日、君を大会になんて呼ばなければよかった?それとも、僕が弓道なんて始めなければよかったのかな。そもそも僕と知り合わなければ…こんなとにならなかったのかな…?」


そんなことない、そんなことないよ!何故だかそう叫びたくなった。叫べないことが、もどかしかった。

そんな私に気づかないあの人は話し続ける。


「あの日、大会で皆中できたら君に告白する、なんて考えてたから弓道の神様が怒ったのかなぁ…そんな賭けに弓道を使うなんて!ってさ…


ねぇ雫、大好きだよ。


だからさぁ…お願いだから、目を覚ましてよ…!」


あの人はそう言って私の手にキスをした。

私は起きてるのに…どうして気づいてくれないの?


「あはっ、物語みたいにキスで目覚めたらいいのにな…」


乾いた笑いを漏らす彼を抱きしめたかった。

…でもどうしてそう思うのかわからなかった。






病室の花瓶には、アスターが飾られている。


          花言葉は『恋の勝利』さようなら




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花言葉は『恋の勝利』 妃音 @Yumika0630

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