ぼくらの世界と異世界開発会社

おこばち妙見

第1話 叔父さんはノリで生きている

 ぼくは異世界に行くことになった。事の起こりはこうだ。


「なあ、信也しんや。ワイな、異世界に行こうと思うんだ」


 叔父さんがとんでもないことを言いだしたのは、春の初めのことだった。

 叔父さんはいい歳して厨二病をこじらせているきらいがあるから、いつか言い出すんじゃないかなあ、という気はしていたけど。

 まさか今日、自宅でとはね!

 オーケー、落ち着こう。とりあえず相手の話を聞く、これ大事ね。


「何でまた、藪から棒にそんなことを?」

 

「これだ」

 

 叔父さんが仕事用の鞄からクリアファイルに入ったチラシを取り出す。

 ビキニアーマーを着た女剣士が剣を天高く突き上げるイラストに『あなたの冒険が、いま始まる』というコピーが踊っていた。

 図案作成は異世界開発企業のワールド・ゲート社。監修は経済産業省だ。

 最近は国の広報も馴染みやすいイラストやアニメキャラが使われる事が多くて、この女剣士もぼくが好きなアニメのヒロインだった。

 一年前に一クール一三話で深夜放送をやっていたんだけど、続編の見込みは立っていない。


 「まあ、やっぱりワイだって『男の子』ってやつだからな。一国一城の主に憧れるものなんだ。ファンタジー物語の最後は王様になってハーレム……いや、ハッピーエンド、それが王道だ。お前もそう思うだろ」


「でもそういうの、たいてい未完で終わるよね? 俺たちの戦いはこれからだ、って」


「さもなくばいつまでもダラダラ続くな。ワイが小学生の頃に始まった漫画が未だに終わらん」

 

「そうそう! 連載が始まったとき、ぼくは生まれてもいない。このままだと作者が死んじゃうよ」

 

「大丈夫だ、死んでもアシスタントや弟子が続ける」

 

「そういうの、どうかなあ。本当の結末は作者の頭の中にしかないでしょ」

 

「あのなあ。仮に生きているうちに完結しても、作者が年をとったら何故か続編を描き始めるものなのだ。しかもやたら説教くさい内容の。そして多くの場合、その続編を完結させずに死ぬ」

 

「それじゃあ結局謎が解けないじゃないか。ぼくはどうすりゃいいんだよ」

 

「大人になれ。人生は思うように行かないことのほうが多いのだ」

 

 そもそも、現にその大人が少年漫画の話で盛り上がってるじゃないか。

 叔父さんは仕事に疲れると、寝る前に寝室で「波アッ!」とかやってる。

 隠しているけどぼくは知ってる。

 あれは叔父さんがぼくくらいの歳の頃に流行った漫画で、主人公の必殺技を当時の子供はみんな真似した。

 今でも再放送や新作映画をやってるからぼくも知ってる。息の長いコンテンツだ。

 そもそもここ数年は、昭和末期や平成初期のアニメリメイクがトレンドなんだ。

 クラスのみんなは親子で、いや下手すりゃ三世代で楽しんで……話題を戻さなきゃ。

 

「ええと、何の話だっけ」

 

「漫画の話だろ」

 

「違うよ。その前」

 

 叔父さんは冷蔵庫からコーラを取り出し、蓋を開けて一口飲んだ。

 

「……ワイは異世界に行こうと思う。そこで美少女に囲まれてウハウハ、チートで俺つえー」

 

 本音が出たな。そういう異世界じゃないからな。

 

「ファンタジーならそうかもしれないけど、ぼくらが生きてるのは現実だよ、叔父さん。社会保障費を圧縮するために国ぐるみで底辺層を異世界に放り込んでるって、学校の先生も言ってた」

 

 ぼくがこの台詞を言っている間に、叔父さんは五〇〇ミリリットルのペットボトルを空にしていた。

 だから太るんだぞ。

 

「……ゲフ。まあ、それは確実にあるだろうな。底辺を切り捨てても残った中から新たに底辺が出てくるだけなんだが、偉い人にはそれがわからん」

 

「だいいち、仕事はどうするの? 家は?」

 

 ぼくと叔父さんが住んでいるのは、叔父さんが務める会社の社宅だった。

 マンションの一室で、最寄り駅までは徒歩三十分といったところ。

 いささか古びてはいるけど、スーパーも近くて便利な立地だ。

 異世界に行くとなれば、当然会社を辞めなきゃいけない。

 そうなれば、このマンション――2LDKバス・トイレ別――も出なければいけない。

 

「向こうで農家になろうと思う。開拓用の農地もとんでもない安値で分譲してもらえるし、最初の三年間は政府から生活費が支給されるんだ。特例で税金も五年間は免除だし、当面の間、飢えることはないだろう。貯金も少しはあるしな」

 

「……そっか。ん? 農家? 叔父さん、農業を甘く見ちゃだめだよ。大変なんだよ」

 

「だからそのための支給金だ。三年の間にプロから技術を学ぶ。誰でも最初は素人だ」

 

「でも叔父さんは素人というか、素人童貞じゃないか。あまりに無計画だよ」

 

「やかましい! デモもレボリューションもない! いいか、日本国民は誰でも望む場所で望む仕事をする権利があるのだ。少なくとも、そういう建前だ。勉強のことは気にするな、向こうにも学校はある」

 

「わかったよ、そこまで言うなら」


 明日は三学期の終業式で、来年度からぼくは中学三年になる。

 新年度にはぼくはもう居ないわけだ。

 クラスのみんなに挨拶を――いやいいか。

 ぼくに友達なんか居ないものな。

 それに、叔父さんが行くと決めたのなら否応なしだ。ぼくは生活力の無い中学生なんだから。

 ぼくにとって、肉親は叔父さんだけだ。

 祖父母はいないし、父さんは顔も名前すらも知らない。

 ぼくが三歳の頃に母さんが失踪して、それ以来叔父さんはぼくを養ってくれている。

 だから感謝と同時に後ろめたさも少しあるんだ。

 ぼくがいなければ、叔父さんだって結婚して所帯を持てたかもしれない、ってね。

 叔父さんの部屋に山と積まれたエロゲーとアニメのDVD、エロ漫画はぼくの後ろめたさを和らげてくれるけど、完全に無くなるわけじゃない。

 何にせよ、生活の心配が無いのなら好きにしたらいいさ。

 ぼくもこのコンクリート・ジャングルにはいい加減愛想が尽きている。

 友達もいないし、もちろん彼女もいない。

 叔父さんは転勤族だから、少し馴染んだと思ったらすぐに引っ越し、この繰り返しだものな。

 

「いきなりですまないとは思っている。しかし、人生の転機というものはいつだって不意打ちだ。ワイが言うのもその、なんだが」

 

「いや、いいんだ。農家ならあっちこっち引っ越ししなくたっていいだろ。ぼくもそろそろ落ち着いて、どこかに腰を据えたいと思っていたからね」

 

「生意気なことを言うようになったではないか」

 

「本当さ。叔父さんとは時間の流れが違うんだよ。ぼくにとって一年は人生の十四分の一、七・一四パーセントだからね」

 

 ぼくはさっきまで読んでいた漫画雑誌を拾い、埃を払った。

 叔父さんが帰るなりあんなこと言うもんだから、驚いて落としちゃったんだ。

 この続きを読めないのはちょっと寂しいな。

 ちょうど盛り上がっているところなのに。……ああ、この漫画も異世界ものだ。流行ってるな。

 叔父さんもなんだかんだミーハーだ。

 

「じつはもう一つ話があってな」

 

「まだ何かあるの?」

 

「じつは――」

 

 叔父さんは何かを言いかけたけど、頬をポリポリと掻いただけだった。

 

「いや、何でもない。明日にしよう」


「もったいぶらないでよ」

 

「いいか信也。人間、いっぺんに対処できる問題は一つだけだ。逆に言えば、一つずつであれば大抵の問題はどうにかできる。明日……終業式が終わったらそのまま学校に残ってろ。迎えに行く。手続きもあるしな。なあに、心配はいらん。お前にとっても悪い話じゃない。決して、な」

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