斑鳩の柩 - イカルガのクルス -

コード・アリス

第一編 イカロスの翼

第壱話 亡霊

 ヴリトラ。

 古代インド聖典に登場する悪龍の名を与えられし怪物。

 深宇宙から地球へと飛来したヴリトラは地霊を吸い上げ、やがては天体を覆うガス生命体へと成長する。

 この未曾有の脅威に対し、人類は総力を挙げ排除を試みたが……

 いかなる攻撃もヴリトラに通じず、総人口の八割を失い月へと逃亡した。



 × 第一編 イカロスの翼 ×



 三年後、月と地球の中間宙域にて。

『統合司令部より、作戦行動中の全部隊に通達!』

 静謐せいひつたる星の大河を、無数の閃光が切り裂くさなか、

『先行艦隊は壊滅、地球奪還作戦は失敗! 速やかに撤退せよ、繰り返す――』

 直上より粒子ビームを受けた宇宙空母が、竜骨キールから二つに折れ爆沈してゆく。

「母艦が……俺たちの帰る場所が……」

「散開しろ、カモ撃ちにされるぞ!」


 火球となりし母艦。

 残されし戦闘機隊は、復讐心を燃え上がらせるが、


「だめです、捕捉しきれない!」

 自動照準をも振り切った異星体ファントムは、黒いガスに包まれたクラゲ状の姿から球体に、球体から単眼の巨人へと目まぐるしく変化し、

「た、隊長――」

「ライアス? ライアス少尉!?」

 燐光にも似たスラスター光が爆ぜる中、部下たちの悲鳴はノイズへと変わり、

「三年だ……。三年もの間、俺たちは耐え忍んできたんだぞ」

 後方から迫り来る幽鬼の姿に。

「艦隊を再建し、最新鋭機であるこのグリフォンも投入したというのに……」

 雷剣となりし触腕に、宇宙塵デブリの中で大尉は絶望し、

「なのに、まるで通じないなんて……」

 逃れえぬ死を悟った彼は、彼方にある地球を凝視する。


 惑星サイズの怪物にいだかれた……

    奪われし故郷を。


「俺たちの地球ほしを、返せぇェーーッ!」

 怨嗟の叫びは届かずとも、思念は届いたか。

 漆黒の九頭龍は六つの赤眼を輝かせ、命の灯は虚無の海へと消えさり、

「後続部隊からのレーザー通信……途絶しました」

 中破した戦艦ナサーティアの艦橋にオペレーターの報が消失する中、

「離脱できたのは全軍の三割にも満たない、か」

 撤退先の月を見据える壮年のアレックス艦長は声をにじませ、もはや反抗は叶わぬという思いが乗員クルーたちの胸中に影を落とす。


 そんなさなか、


「後部警戒レーダーに感あり!」

 索敵員からの急報に、アレックスは指揮シートから腰を浮かせる。

「ファントムの追撃か!?」

「いえ、識別信号は味方……クルス少尉の機体です!」

 されど正面パネルに映し出された機体に安堵の溜息をつき、

「艦を減速。……少尉を回収してやれ」

「よろしいのですか?」

 敵の攻勢を警戒した女性副長は忠言をおこなうが、

「奴らもこの宙域までは追ってこれんさ。それに……」

 官帽を目深に被りなおした艦長の姿に。

「もう充分に、我々を殺しただろうよ」

 力なく独白された言葉に、しずかに口を閉ざす。


 そして原初はじまりの闇の中――。


「光……」

 ひび割れしヘルメットバイザーに映るは、白亜の船体から伸びるガイドビーコンの灯。

『クルス少尉、第一カタパルトは大破している。第二飛行甲板へとコースを変更されたし』

「了解。――雪坂ゆきさかクルス、着艦コースを変更します」

 孤独の海の中、繊細を形にしたかのような指がコンソールを操作し、

みお……」

 壁面に貼られた幼き妹との写真に、十六歳の少女は涙をこぼす。

「お姉ちゃんは……生きて戻ってこれたよ」

 月の水が枯渇するまで、残り一年――。

 母なる地球ほしを奪われた人類は、いま、滅亡の危機に瀕していた。

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