天才魔術師による不器用師匠を愛する方法 番外編

ミヤサトイツキ

幕間

 アキが二十八歳の誕生日を迎えて数日が経ったその夜、いつものようにアキの部屋のドアを叩く者がいた。


「先生。今、ちょっといいですか?」


 ベッドに寝転んで本を読んでいたアキが「ああ」と返事をすると、ユースは弾んだ足取りで部屋に入ってきた。恋愛となると猪突猛進気味なところがある男だが、入室の際は必ず許可を取るなど、基本的には行儀が良い。


 お疲れのアキを癒すという名目で始まったユースによる抱擁は、今やすっかり就寝前の習慣として根付いていた。


 ユースがアキに惚れている事実を知った頃は、自分に恋をしている相手に抱擁を許すことに抵抗や躊躇があったものの、現在では消え失せている。心境の変化が単なる慣れではなく、確かな許容であることは、なんとなく気づいていた。再来週に迫った卒業式の後、ユースに改めて交際を申し込まれたら、どんな返事をするのかも。


 ユースは今夜もベッドに入る前にアキを抱き締めにきたのだろう。そう考えたアキはベッドから下りると、ユースに自ら身を寄せた。


 ユースの身体に軽く抱き着き、顎を彼の肩に乗せる。何度も繰り返すうちにだんだんと収まりのいい体勢みたいなものがわかってきて、今となっては意識せずとも互いの身体がぴったり噛み合う理想的な姿勢を取ることができる。


 これもきっと、気持ちの変化が影響している部分が少なからずあるのだろう。そんなことを考えて若干心臓の鼓動が速くなったアキだが、そこで違和感を覚えた。


 いつもは嬉々としてアキを抱き締めるはずのユースの両腕が、アキの身体に回されていない。

 怪訝に思ったアキがすぐ横にあるユースの顔を見ると、ユースの頬は赤く染まっていた。


「……あの、俺、学院に提出する書類に先生のサインが必要で、それを貰いにきただけで」

「……は?」

「ほら、これです。卒業式の前に送らないといけなくて」


 ユースは手にしていた一枚の紙をアキの顔の前に掲げた。

 やや間を置いてから、アキはユースの目的を勘違いした挙げ句、自ら進んでユースに抱き着いたという非常に恥ずかしい現実に理解が及んだ。


 アキは即座に身を離そうとしたが、すかさずアキを抱え込んだユースの腕に逃亡を阻まれた。体格差があるとこういうときに不利だ。ぎゅっと強く抱き締められたまま、アキはユースの腕の中でもがく。


「おい! サイン要るんだろ! 書いてやるから放せ!」

「そんなの後でいいです……」

「今にしろ! 忘れるぞ!」

「先生はどうしてそんなに可愛いんですか……実習報告じゃなくて先生の可愛さを報告したい……あ、でも俺以外に知られたくない……」


 なにやら不穏なことをぶつぶつ呟く弟子には、もはやアキの声は届いてないようだ。アキはただひたすら、弟子の実習報告書が師の可愛さ報告書にならないことを祈った。優秀な弟子であるのになぜこのような心配をしなければならないのか、はなはだ謎である。


「先生にとって、俺に抱き締められるのはもはや当たり前のことなんですね……」

「……お前のせいだろ。お前がしつこいからだ」


 逃亡を諦めたアキが唇を尖らせれば、ユースは物欲しさを隠そうともしない表情を浮かべ、甘えるように鼻先をアキのそれに寄せた。


「……先生。キスしたい」

「駄目」

「……それ以上のこともしたい」

「もっと駄目」


 アキが手でユースの顔をやんわりと押しのけると、ユースはアキの肩にぐりぐりと額を押し付けた。


「早く卒業して、先生の恋人になりたい……」

「卒業したら応えてやるなんてひとことも言ってねえからな」


 おそらくもう心は決まっているのに、素直になれないのがアキという男だ。同時に、そんな素直になれないアキの心を見抜き、ふわりと笑うのがユースという男だ。


「はは、またそんなこと言って」


 思ったとおり、ユースはアキの目の前で柔らかく微笑んだ。基本的に、誰に対してもにこやかに接する男ではある。だが、ユースがアキに向ける笑顔には、確かに特別な感情が滲んでいることをアキは知っている。


 その事実に胸が弾むのは、優越感としか言いようがないだろう。


 このまま至近距離で見つめ合っていたら自然と唇が重なってしまいそうで、アキはユースの腕から抜け出した。


「ほら。書類、貸せ」

「先生……あと少し」


 名残惜しそうなユースの表情に、不覚にも心を揺さぶられた。少しばかり熱を持った顔を背け、アキは書類を手に机へと歩み寄る。


「……サインしてからな。いい子で待ってろ」


 直後、背後から弾んだ返事が聞こえてきた。ただの抱擁がそれほどまでに嬉しいのかと思えばおかしくなって、アキの口からふっと笑みが混ざった吐息が漏れた。

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