9

 ロイは缶を摘まむようにして持っていた。ペコッと音がして缶が軽く潰れる。


「聞いて怒ったり、研究所に送り返したりはしない。ただ、君のことを知りたいんだ」

 ロイは目を逸らしたり、こっちを見たりを繰り返して、やがて「うん」と納得したように頷いた。

「分かった。何から話したらいい?」

「じゃあ、まず、ロイはいつから研究所にいるんだ?」

 ロイは少し考えるように上を見た。

「ずっとだよ」

「ずっと、って、生まれたときから?」

 ロイは首を傾げた。

「生まれた時のことは分からないけど、小さい頃からいたよ」

「そうか。研究所では何してたんだ?」

「何って?」

「例えば……手術とかしたか?」


 ロイは異能者だ。それはこの数日の間に本人に確認した。

 異能者は固有の異能を持つ。

 ジンの異能は「怪力」。自分より大きな物、重い物でも簡単に持ち上げられる。戦闘員との戦いではかなり手加減した。でなければ周りの家などとっくに瓦礫になっている。


 そしてロイの異能は「鋭敏な感覚」だろう。ロイは音や匂いに敏感で、特に匂いを嗅ぎ分ける能力が高かった。いくつかの布を使ってちょっと試してみたところ、軽く湯気に当てただけのコーヒーの匂いも嗅ぎ分けてみせた。これは異能以外の何物でもない。


 異能者になるには、異形から取り出した異能核を移植するために必ず手術を受ける。ジンも胸から腹にかけて大きな手術の痕があるのだが、ロイは首を横に振った。

「手術はしてない。朝起きて、三食食べて、勉強して、運動して、たまに体の検査をして、夜になったらシャワーを浴びて寝て。毎日同じことをしてた」

 思い返せば、倒れていたロイを拾って濡れた服を着替えさせた時、彼の体にそれらしい痕はなかった。なら手術を受けていないのは本当だろう。


「そうか。異能はいつから使えたんだ」

「気付いたら使えるようになってた」

 異能核を移植する以外で、異能を使えるようにする実験をされていたのだろうか。でもどうやって……一瞬考えかけたが、すぐに分かることではなさそうだったので諦めた。

「分かった。じゃあ、どうして研究所を逃げたんだ?」

 ロイの話や彼の見た目からして、酷い扱いを受けているようには見えない。

 ロイは缶をテーブルに置くと、ソファの上で膝を抱えた。


「あそこには、ぼくと同じような人が何人もいるんだけど、最近その人たちが死んでいくんだ。叫び声が聞こえるし、そういう匂いもする。それがすごく怖いし、ぼくもいつか同じ目に遭うのかなって思ったら、逃げたくなった」

 ロイはそう言って膝の間に顔を埋めた。

 そういう匂いとは、普通の人には感じられない死の匂いなのだろう。死の匂いがどういうものなのかジンにも分からないが、嫌なものであることは間違いない。

 何かおぞましい実験が行われているのだろうか。

「そうだったんだな……ロイは、もう研究所に戻るつもりはないんだな」

「うん。ぼくは、死にたくない」

 ロイは縋るような目をジンに向けてきた。

 ジンはロイを落ち着かせるように微笑んだ。

「大丈夫だ。ここにいたらいい」

「ありがとう!」

 ロイはぱっと顔を明るくさせたが、ふと何か思い立ったような顔をした。


「ねぇ」

「どうした?」

「ジンも異能者、なんでしょ? ジンもどこかの研究所にいたの?」

 ロイの言葉に昔の記憶が蘇って、体の中がジクリと蝕まれるような感覚を覚えた。それはできれば頑丈な箱に閉じ込めて、どこか崖の下に捨てて忘れ去ってしまいたいくらいには忌々しいものだ。

「あぁそうだ。でも逃げ出した。ロイと一緒だな」

「ジンも嫌だったの?」

「あぁ、嫌だった」

 ジンは苦笑いを浮かべたが、ロイは心配するようにジンの顔を覗き込んだ。

 彼の顔が目の前に来て、淡い青色の目とかち合う。こうして見ると綺麗な目をしている。

「どうした?」

「ジンも悲しかったんだね」

 ロイにそう言われるとは、感情が顔に出てしまっていたのだろうか。

「まぁ、な」

 ジンはイスから立ち上がると窓の前に行って開けた。

 晴れた空と見慣れた茶色い街並み。

 風に乗って錆びた臭いが鼻をくすぐった。

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錆に極彩 相堀しゅう @aihori_s

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