錆に極彩

相堀しゅう

エピソード1 脱走犬

1

 建物のあちこちから大きなサイレンの音が鳴っていた。

 耳の中でわんわん響いて、どこか音の聞こえない部屋に逃げたくなったけれど、両手で耳を塞いでグッと我慢した。


 ぼくは天井も壁も床も白い廊下を走っていた。すれ違う人たちはみんなぼくを見ると慌てて横に退いた。

 後ろを見る。

 黒い服を着て、ヘルメットやプロテクターを付けて、銃を持った人たちが追いかけてきた。

 ぼくは走る速度を上げた。


 廊下を何回も曲がると、正面に大きなガラス窓が見えた。今は廊下の灯りや走っているぼくの姿が映っていて外が見えないけれど、ガラス窓の向こうは大きな木が植えてある中庭だ。晴れた日にはそこに出て日光浴をする。

 ぼくはガラス窓に向かって走り、ガラスの破片が顔に当たらないように腕で顔を守ると、ジャンプして足の裏で思いっきりガラス窓を蹴った。

 ガラス窓は割れ、飛び散る破片と一緒にぼくは外へ転がり出た。

 外は夜で、ザーザーと音を立てて雨が降っていた。

 裸足で傘も持っていないけれど、ぼくはすぐに立ち上がって走った。あっと言う間に全身が濡れた。


 中庭を抜けるとまた建物があった。ぼくは跳んで建物の平たい屋根の上に上った。

 屋根の上を走り、また地面に下りる。

 芝生の生えた広場を進んでいるとエンジンの音がして、車が二台追いかけてきた。ライトの眩しい光がたくさんの雨粒とぼくを照らす。

 広場の先には金網のフェンスがあった。フェンスは右にも左にもずっと見えないところまで続いていて、高さはぼくの倍以上ある。ぼくはさっき屋根の上に跳んだみたいに右足に力を入れて地面を蹴った。


 フェンスのてっぺんが見える。そこを掴んで体を向こう側へやって、アスファルトの地面に足をつく。

 フェンスの向こうでは車が止まって中から人が出てきた。

 ぼくが走り出した瞬間、右肩の後ろにチクッと注射を刺されたような感覚があって、触ると何か刺さっていた。ぼくは走りながらそれを抜いて、見ないで地面に捨てた。

 振り返ると誰も追ってきていなかった。でも追いつかれないよう、ぼくは走り続けた。


 道は森の中を通っていたけれどすぐに抜けた。目の前には緩やかな坂があって、その下には街が広がっていた。

 星空と地面がひっくり返ったみたいに、ううん、それ以上に街は眩しかった。ずっと見ていたら目がおかしくなりそうだ。

 ぼくは坂を下ってその街へ入った。


 自分の姿を見られたらあそこに知らされて、黒い服を着た人たちが捕まえにくる。それは分かっているから、ぼくはできるだけ他の人に見られないよう家の屋根に上って、その上をずーっと進んだ。

 途中でやけに下がうるさかったから、ちょっとだけ顔を覗かせて見てみた。そこは道の両側にたくさんの店が並んでいて、夜なのに大勢の人がいた。色んな色や形の傘がたくさん行き交っていて、そのおかげで上を見てぼくに気付く人はいなかった。

 でも店も店の入り口の上にある看板もビカビカ光っていて目が痛いし、大きな話し声や笑い声はうるさいし、雨や食べ物や他にも色んな臭いが混ざっていて頭が痛くなった。

 ぼくはそこから離れるように進んだ。


 それからすぐに周りは静かになった。

 どこに行こうかなんて考えていなかった。

 ただ、あそこじゃない遠くへ行きたかった。それならどこでもよかった。

 走ったり、歩いたり、時々誰かが追いかけてこないか確認したり、そうしていると何だか眠くなってきた。


 こんなところで寝てはダメだ。

 ほっぺたをつねったり叩いたりしたけれど、どんどん眠くなって、我慢できなくなって、とうとうぼくはその場に寝転んだ。

 ひどい臭いがしていたことを覚えている――


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る