第2章 推しのためなら火の中水の中

17 ラスボス退散!

「さあラスボス、今日こそ観念なさい。私に取り憑いたことを後悔させてやる」

『ラスボスじゃないし。またなんか持ち出してきたな?』


 四葩は盆を手にほくそ笑んだ。部屋の四隅に、酒を注いだ小皿を置いていく。この酒は庖丁人ほうちょうにんの柳から分けてもらったものだ。

 穢れは酒や太陽の光で灯した火に弱い。花散里はなちるさとはそれらと注連縄しめなわで結界を張り、月影ノ森からの穢れに耐えていた。

 ならばラスボスにも効くはずだと思い立ち、四葩は簡易結界を張って月読の弱体化を図る。


「これでどうだ。息苦しさとか、力の抜ける感じがするんじゃない?」

『全然。なにも。まったく』

「うそ。柳殿は一番強いお酒だって言ってたのに」

『酒の強さ関係あるのか?』


 四葩は困ったな、と米神を押さえる。


「塩もひなたぼっこもダメで、お酒も効果なし……ラスボス強し。じゃあ次の作戦! あなたは道で五〇〇もん拾いました。それをどうしますか?」

『はあ? なんの話だ』

「坂道で荷物を抱えたおばあさんがいたら、どうすることが正しいですか?」

『陽向。俺になにを言わせるつもりだ』


 少し苛立った声で問われ、四葩は虚空を見上げた。


「封じ込めるのが無理なら、あなたに良い心を教えるのはどうかなって思ったの。悪い心があなたの源なんだから、弱体化に繋がりそうでしょ?」

『かったるい』

「いいから質問に答えて!」


 深いため息をつかれたが、四葩は腕を組んで頑としてゆずらない姿勢を取る。月読の言いなりにならないことは、四葩にとっても訓練だ。

 こうして常に心を強く保っていれば、いざという時に支配から抗える。それに反抗できるうちは、自分はまだ正気だと確かめられた。

 冷戦はしばらくつづいたが、やがて緊張を解いたのは月読だった。


『拾った五〇〇文で駕籠かご呼んで、おばあさんを届けさせる』

「そ……」


 非常に判定に窮する回答だ。おばあさんを助けるのは良しとして、五〇〇文を勝手に使うのはまずい。


「ま、まあ、ラスボスにしては良い線いってるんじゃない。拾ったお金じゃなくて、自分のお金だったら満点だったかな。じゃあ次ね」

『まだつづけるのか』

「はじめたばっかでしょ。それじゃあ、ええと……あ。友だちのお父さんが事故で怪我をしました。友だちはひどく落ち込んでいます。あなたはなんと声をかけてあげますか?」


 質問をしたとたん、せた記憶が蘇る。

 あれは幼稚園生の時、遠足から園へ戻る途中のことだった。幹線道路に救急車と警察車両が集まっていた。道にガラス片が飛び散り、二台の車が潰れて道を塞いでいる。

 そのうちタクシーから運び出されたのは父だった。ぐったりしていた。青白い顔で、すぐそこにいる四葩に気づかずストレッチャーに乗せられていく。

 立ち尽くす四葩に、いっしょに歩いていた友だちは言った。


――ねえ、なんか暗いよ。


 四葩はそこでハッと我に返る。思い出を振り払い慌てて口を開いた。


「今のなし! 別の考えるから待――」

『そばにいる。だいじょうぶだって背中をさする』

「え……」

『なんて声かけていいかあんまりわかんないけど、そいつが落ち着くまでいっしょにいてやると思う』


 月読の言葉がすとんと胸に落ちた。切なくも暖かいぬくもりを感じ、あの時自分が欲しかった言葉はこれかもしれないと気づく。

 無理に笑っていたみじめさも、必死に楽しい話を探した苦しさも、暖められてちょっと軽くなる。


「……ラスボスのくせに、良いこと言うじゃん。あ、心読んだのかもしれないけど」

『お前は本当に、俺がラスボスだと思うか?』


 正直、答えに詰まった。月読が現れてからふた月は経つが、これまで四葩を貶めるような怪しい発言はない。それどころか今のように、真っ当で人間臭い、四葩に近しい未熟さを垣間見せる。


『お前がそう思うなら、そうなのかもしれないな』

「な、なにそれ。私が関係あるの? それってあなたがラスボスとして完成するには、私の闇落ちが必要だからってこと?」


 言い終えてから、四葩の中に嫌な予感が過る。

 もしかしてこの言葉こそ、月読にラスボスとしての自覚を芽生えさせているのではないか。


『それよりいいのか? 出かけるって言ってただろ』


 またはぐらかす! そう思いつつも四葩は慌てて立ち上がり、酒や盆を片づけに走る。

 今日はこよりのためにどうしても、野いちごを手に入れたかった。




「炭焼き小屋はこの先だが……。悪いことは言わない、近づかないほうがいい」


 里人に道を尋ねながら四葩がやって来たのは、縁境えんきょう区の北端だ。そこは神が住まう月影ノ森と隣接する、炭焼きと農業の盛んな地域だった。

 しかし、境の美鈴みすず川を越えていくらも歩かないうちに、結界の注連縄が見えてくる。その向こうには一面の銀世界が広がっていた。


「ゲームで見た穢れと違う……?」


 地面も木も小屋も、等しく銀色に染まっている。里人はこれを〈石化〉と呼んでいた。でも四葩の目には、艶っぽい光沢に覆われた金属に見える。

 おかしい。『天陽の巫女』で穢れは、赤紫色のヘドロのように表現されていたはずだ。

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