06 小さな主の起こし方①

「あの、謝らないでください。私も配慮が足りていませんでした。それに今までたくさん迷惑をかけたことも、深く反省しています。申し訳ございません。これからは同じ宮仕として、気兼ねなく四葩と呼んでください。敬語もいりません」

「え……。本当にあの四葩様……?」


 四葩が苦笑すると、女性はハッと口を押さえ、ひざまずこうとした。慌ててやめさせ、落ち着くように背中をさする。

 女性はしばしぼんやりと四葩を見ていたかと思うと、腰布をいじりながら小声で謝った。


「私も取り乱してしまって……。四葩様は怒っておられなかったのに、ひとりで騒いで恥ずかしいです……。ですが、その、敬語をやめることはできません」

「どうしてですか……?」

「だって四葩様も敬語を使っておられますから」


 思わずきょとんと目を丸める。まったく彼女の言う通りだと思ったらおかしくなってきて、小さく噴き出した。

 長年体に染みついた癖で、袖で口元を隠してひかえめに笑う。


「本当だね。私が敬語使ってたら気にしちゃうよね。この話し方なら、同じ宮仕として認めてくれるかな?」

「み、認めるなんて滅相も……! あ。えと、まだ慣れないけど、よろしくお願い……するわ。四葩殿」

「うれしい。こちらこそよろしくね。じゃあさっそく菫宮様のところに行ってくる」

「あっ、ちょっと待って!」


 引き止められて首をかしげる。宮仕の女性は軽くあたりを見回して、四葩に耳打ちしてきた。


「菫宮様は昨日、手習いごとを休まれて久々に一日ゆっくり過ごされるはずだったの。でも体調を崩されて、結局どこにも行けなかったのよ」

「またそんなことが……。今お加減は?」


 菫宮ことこよりは、生まれつき体が弱く、庭園を散歩しただけで熱を出して寝込むことが度々あった。本人はとても活発な性格で、兄の日向を真似て剣の稽古をしたがるほどだ。それだけに胸が痛む。


「昨日の夕方には元気になられたわ。でもお休みを楽しみにされていたから、きっと今日もひどく落ち込んでおられると思うの。だから、気をつけて」


 女性の気遣いに胸が暖かくなる。なにも知らなければ四葩は、不機嫌な主を前に途方に暮れていたところだ。


「ありがとう。教えてくれてすごく助かる。これからもどんどん指南してくれるとうれしいな」

「私が、四葩殿に……?」


 嫌かな、と尋ねると女性は首を横にぶんぶん振った。腰布をきゅっと握り締め、おずおずと微笑んでくれる。


「私でよければいつでも。では私は、朝餉を取りにいってくるわ」

「うん。お願いね」


 すぐに立ち去るかと思ったが、女性は四葩の顔をじっと見つめてきた。すると急にもじもじして、ほんのり頬を染める。どうしたの、と声をかけてみると勢いよく一礼し、足早に去っていった。

 よくわからない。

 四葩は気持ちを切り換えて、渡り廊下を進んだ。


「菫宮様。本日より新しく宮仕となりました、四葩でございます。朝のお支度に参りました」


 御簾みすの前でひざまずき、奥に向かって声をかける。しかし返事はない。また具合が悪くなったのか、ふてくされて意地悪をしているのか。

 同僚のお陰で四葩は冷静に考え、もう一度呼びかけた。


「うあーい」


 今度はうめき声が返ってくる。これは返事なのか?


「菫宮様、入りますよ? よろしいですね?」

「ううー」


 肯定と受け取り、四葩は御簾をよけて中に入る。そこには惨状が広がっていた。


『すげえ寝相。体痛くしそうだな』


 月読の感想にはうなずける。こよりは畳を重ねた寝台からずり落ちていた。かけ布団代わりの着物が体にぐるぐる巻きついて、どちらが頭かわからない。木枕にいたっては部屋の隅に転がっている。

 どうしてこうなった。


「菫宮様、おはようございます。起きられますか? というか動けます……?」

「やじゃ。おきない。まだねつがあるのじゃ」


 四葩はピンときた。これはかわいい反抗だ。


「それは大変です。すぐに薬師くすしを呼んで参りますね」

「えっ。ダメ! 苦い薬はもう飲みたくないのじゃ!」

「では起きて、元気なお顔を見せてください。そうすれば薬師は呼びません」


 うう、とうなり声が聞こえて、床に完全に落ちているほうの着物がごそごそ動いた。しまった、そっちが頭だったかと、四葩は慌てて回り込む。

 着物の隙間からにょきりと黒髪が覗いた。こよりは白魚のような手で目元をこすって、桃色の瞳を四葩に向ける。

 この少女こそ日向の妹で次代の皇子、こよりだ。花散里では代々、皇族の女性が里を治める習わしとなっている。しかし少女はまだ十三歳。面差しは年齢相応に、可憐であどけなかった。

 見たところ顔色は悪くない。しかしこよりは起き上がろうとしなかった。


「今日は休む。わらわは決めたのじゃ。だって昨日も一日中部屋に閉じ込められていたのじゃ。そんなのいつもと変わらぬ! 全然お休みじゃないのじゃ!」

「菫宮様、それでは手習いの先生方が困ってしまわれます。今日も菫宮様のために、準備をなさってきてくれているのですから」

「わらわは頼んでないのじゃ。勝手に困っておればよい」

『これは骨が折れるな』


 月読がぼやく。四葩は心中でひっそりため息をついた。

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