第1章 推しを守るのは私だ

02 先手の婚約破棄

東宮あずまのみや様。四葩よひら様がお見えになりました」


 月に一度、四葩は皇族の屋敷内にある庭園を訪れる。花散里はなちるさとの皇太子、東宮こと日向ひゅうがに会うためだ。

 案内してくれた宮仕みやづかえが、静かに下がって四葩に道をゆずる。そのすれ違い様、強い視線を向けられた。

 内心ビクリとする。仕方がないとわかっていても、居心地のいいものではない。この逢瀬のために、庭園に集められた護衛の守人もりびとも世話役の宮仕もみんな、四葩を嫌悪や恐れの目で見ていた。

 彼らの真ん中、敷物に座って待つ日向も同じ目をしているのだろうか。

 怖い。確かめる勇気はない。


「東宮様、先月のお茶会での無礼、大変申し訳ございません。また本日は支度に手間取り、遅れたことを重ねてお詫び申し上げます。どうかお許しください」


 四葩はまずなによりも深く頭を下げた。脇にひかえる中老の守人は意外そうな顔をし、宮仕の女性たちは眉をひそめ、ささやき合う。


「……そうか。謝ってくれるのならいい。さあ、こちらに座りなさい」


 日向は淡々と謝罪を受け入れ、四葩を隣にうながした。その声はまるでマニュアルを読み上げているかのように温度がなかったが、十分に慈悲深い対応だった。

 なにせ四葩はこれまで逢瀬に遅刻すること十八回、すっぽかしたこと三回、飽きたと言って途中退席したことは数えきれないほどくり返している。

 今日なんて男性を同行させるつもりだった。そのことを男性が訪ねてきてから思い出し、追い返すのに時間がかかって遅れたのだ。


(自分のことながら酷い。酷過ぎる。みんなに嫌われるのも当然だよ……)


 けれど日向は家のしきたりと生来のやさしさゆえに、四葩を拒めないでいる。

 四葩は拳を握り、今一度覚悟を決めた。


「いえ、私はこのままで結構です。東宮様、本日は折り入ってお願いしたいことがございます」

「願い? ……聞くだけ聞こう」


 日向の声が硬くなる。また無理難題を押しつけられると思っている。


「あの、私との婚約――」

「東宮様、四葩様。お茶をお持ちしました」


 そこへ宮仕のひとりが会話に割って入った。さらに彼女は、あっと声を上げ、盆を大げさにひっくり返す。

 これは嫌がらせだと四葩が気づいたのは、熱い茶が唐衣からぎぬにかかったあとだった。


「ああなんてこと! 申し訳ございません四葩様! お体にかかっていませんか!? 痛いところがございますか!?」

「い、いえ。着物にかかっただけで――」

「まあっ、腕が痛むのですか!? 申し訳ありません! すぐに冷やさなければ! 東宮様、大変心苦しいですが、本日のお茶会はこれまでにいたしましょう」

「え。や、だいじょうぶですから。ってあの、ちょっと放してください……!」


 宮仕は四葩の腕を掴み、強く引っ張った。そこが火傷箇所だと自分で言っておきながら、力に容赦がない。

 戸惑い抵抗する四葩を、女性たちは袖に隠れてくすくす笑っている。守人も止めない。日向もただ静観している。

 誰もがこの上辺だけの逢瀬が、早く終わればいいと思っていた。


「だからっ、私も終わらせにきたんですってば!」


 それは四葩とて例外ではない。


「え……。あっ、四葩様!」

「四葩様! なにをなさるつもりですか!?」


 相手が呆気にとられた隙をついて、四葩は腕を振り払った。そして日向の前でひざをつき、三指をそろえて懇願する。


「東宮様どうか、この四葩との婚約を解消してください!」


 深く深く、地面に額をつける間際、日向は安堵の表情を浮かべたように見えた。




「あっははは! ほんと傑作! ついにやってくれたわね、あんた」

「うっ。す、すみません、母上。でもそんな笑わなくても……」

「あのねえ。この花散里の女なら誰もが羨む皇太子との婚約蹴られたら、呆れ通り越して笑うしかないでしょ」


 額をこつんとやられて、四葩はますます縮こまった。

 居室の名前から取り奥宮おくのみやと呼ばれる彼女は、里長である皇子みこの妹であり、四葩の母親だ。

 といっても血の繋がりはない。代々皇族は血よりも霊力の高さを重視してきた。そのため次期皇子や皇太子の伴侶となる者は、里中から霊力の高さで選ばれる。

 そうして選出された子どもを養子に取り、皇族に相応しい者に育てることが奥宮の役目だ。

 四葩の霊力は抜きん出て高かった。それゆえ、数々の問題行動も目をつむられてきたということだ。


「それで、理由は話してくれるんでしょうね」

「えっと、それは……」

「まさか数多いる浮気相手と結婚するため、なんて言わないわよね」

「ちち違います! それはない! 絶対ないです! というか数多もいませんよ、浮気してる人……!」

「ふうん。飯殿、足殿って役割分担するくらいにはいたらしいじゃない? まあいいわ。で、理由は?」


 じっとりした目で問われ、四葩は胃のあたりがきゅうと締まった。話したところで信じてもらえるわけがない。


『別に婚約破棄する必要はなかっただろ』


 全部このラスボスのせいです、だなんて。


(あなたが言うな、このラスボス! あなたのせいで私は闇落ちして、ラスダンのラスボスに成り果てるんでしょ!? 日向様を、私の大事な推しを危ない目に遭わせるってわかってたら、離れるしかないじゃん!)


 虚空から聞こえる声に、四葩は全力で噛みついた。

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