81 神出鬼没!ジル出現

「あれ。お前差し押さえ食らって、天泣ごと魔石もなくしたってルーシーから聞いたけど。なんで魔力の波動出てんの? 魔石持ってんの?」

「そこまで知ってて、あのあいさつなのだ……?」


 残雪の鯉口を静かに切る。


「なあんだよ。アッシュちゃん寂しかったんでちゅか? おーよしよし。パパが抱っこしてあげまちゅからね。まったく、いつまで経ってもガキなん――」


 空気のうなる音がして、青刃あおばがひらめく。ジルの額から垂れていた前髪がひと筋、はらりと斬られて落ちた。

 父ののどが「ヒュオッ」と鳴る。


「他に言うことあるだろうがこのクソジジイイイイッ!!」

「やっべ。マル頼む!」


 抜身から突きをくり出そうとした瞬間、マルが飛び出してきた。アッシュは寸前で動きを止める。その隙に、愛ライガは大きな体で押しのけて、子どもたちとハイジの間を突っ切っていった。


「コラ! マル! パパの言うこと聞いちゃダメなのだ!」

「悪いなアッシュ! んじゃまた!」


 よろめいているうちに、ジルまで外に逃げ出した。「店で暴れるんじゃないけ」とうなるルーシーにアルを託し、アッシュはブリーゼブーツを起動させる。


「アッシュ!」


 地面を蹴る間際、エデンが鋭く呼びかける。言いたいことはわかっていた。


「夕飯までには帰るのだ! いってきます!」


 弾いたのれんがはためく音といっしょに、子どもたちの「いってらっしゃい!」という声が、アッシュの背中を押した。

 突然飛び出してきたアッシュに、通行人たちは目を丸めて立ち止まる。その人垣の向こうに、憎たらしい白髪頭を捉えた。


「待つのだコラァッ! ボッコボコにして、骨と皮になるまで働かせてやる!!」

「ひいっ、来た! ムリムリムリ! 俺六十二! もう定年! 働かなくてもいいんですう!」


 ジルもブリーゼブーツを使い、ひと息に坂の中腹まで飛んで平民街に上がった。そのあとにマルも、優れた身体能力でついていく。


「逃がすか」


 民家から配管の壁へ渡された、洗濯ひもに目をつける。ブーツで飛び上がり、アッシュはひもを掴んでぐるりと回転した。そして着地した衝撃で、ひもをギリギリと張りつめさせる。

 ひもの弾みと人工魔石の力で、一気に跳躍した。段差を越え、平民街にトンッと下り立つ。


「きゃあ! サル並みの身体能力! こわーい!」


 婦人みたいな声を出して、ジルとマルが目の前を横切っていった。完全に遊んでいる。刀の稽古をつける時も、父はアッシュをおちょくっては笑っていた。

 怒るアッシュをおもしろがっているのだ。挑発に乗ってはいけない。わかっていても、残雪を握る手に力が入る。


「うっさいのだ! そっちなんかゴリラじゃん! バナナでも食ってろなのだ! この老害ゴリラ!」

「ショック。老害は傷ついた。俺だって好きで老いてるんじゃないのに」

「え、ごめん。言い過ぎたのだ。だいじょうぶ? バナナ食べる?」

「なあんちゃって! お子様アッシュちゃんの幼稚な言葉に傷つくわけないだろ! ウホウホウホ!」


 ほんのちょびっとだけ、育ててもらった恩を考えた自分が間違いだった。ゴリラのドラミングを真似る父を見て、情けは無用とブーツの出力を上げる。

 だが、あと少しというところで身をかわされ、マルに邪魔され、距離をなかなか詰められない。

 ジルは電気駆動車エアライド乗り場に入り、停車していた一台に乗り込もうとする。


「ここまで来てみやがれ! おしりペンペン!」


 ごていねいに尻を振ってから、ジルはマルとエアライドで空へ逃げた。

 一歩遅かった。アッシュはあたりを見回すが、こんな時に限ってエアライドはすべて出払っている。父とマルを乗せた車両は、下界ニースのほうへ遠ざかっていく。


「もう! エアライドはないのだ!? この際個人用でもなんでもいいのだ!」


 上空を行き交う車両をにらみ上げた時だった。アッシュはピンとひらめいて、距離を確保するため少し戻る。ブリーゼブーツに多めの魔力を送り、軽くジャンプして体を温めた。

 心の中で秒読みし、前傾姿勢を取る。


「ゼロッ!」


 自分の声を合図に、強く地面を蹴る。風の人工魔石がヒュルヒュルとうなった。

 あらかじめ狙っていたエアライドが近づいてくる。そのまま、まっすぐ来てよと願いつつ、アッシュは思いきって都市の縁から飛び出した。

 踏みきりは完璧。図っていたかのように、エアライドが真下へ滑り込んでくる。アッシュは両手足を広げ、全身で車体にへばりついた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る