《四章 公演の始まり》

 扉の先は明るいドーム状の室内で、席が何百と置かれていた。ルーグナーは辺りを確認した後、「こっちだ」と言って移動し、席に座った。私も隣の席に座る。


「もう始まる」


 腕時計を見たルーグナーがそう言うと、照明が消えた。公演が始まるらしい。


「いいか。何かあったらすぐに言え。それと霊を祓うには、死者の魂を呼び起こす必要があるのを忘れるな」


 ルーグナーの忠告を私は心に留めた。


「任せといて」


 実は、今更ながら怖くなってきた。今口では任せといてなんて言えたが、正直帰りたい。


[アナタが私から奪ったの?]


 ────小さく女の声がどこからか聞こえてきた。そして私はすぐに気づく。どうやら霊が現れたらしい。


「ルーグナー、来た」


 私の問いかけにルーグナーはすぐに反応してくれて、私の体を寄せると、「行くぞ」と言って立ち上がらせ、すぐさまその席から距離を取る。まだ照明はついておらず、慣れてきた目を頼りに動く。ルーグナーは時計と辺りを交互に見つめ、一点に留まらないように先行してくれている。


「やばくなったら────」

「灯りを点ける、でしょ」


 ルーグナーが言い終わるよりも早く私は言った。ルーグナーは「それでいい」とだけ言う。


[アナタが私から奪ったの?]


 さっきよりも自分に少し近くの場所から声がした。霊は私のことを追ってきているようだ。


「これはまずいぞ。圧倒的に不利だ」


 時計を見ていたルーグナーは少し焦った様子で言った。


「どうやばいの?」

「アルスには公演が始まって三分経ったらアナウンスと照明をつけるように言ったんだが、それがない」


 さっきから時計を見ていたのはそういうわけか。


「つまりここはもう妖世ってことね」

「ああそうだ。もちろん出口は使えない。そしてこの暗闇、このままだと闇討ちされる」


 前から思ってたけど、もしかしてこいつって案外役に立たない?こういう場合はなんか秘密兵器とか普通持ってるじゃない。てか、具体的に何をすればいいの!?


「ルーグナー!霊を祓う具体的な方法って何!」


 すぐさま私はルーグナーに聞いた。真後ろからはまた、[アナタが私から奪ったの?]と聞いてくる女の声がする。もう逃げてるだけじゃダメそうだ。


「相手の質問にベストな答えを返せ」


 ルーグナーの答えを聞いて私は脳をフル回転させた。この人に何が起こって、何を望んでいるのか。女だけ狙うってことは、女に何かしら執着している。男は殺さない。推測でしかないが、ここは一か八か賭けるしかない。


「私はあなたの探してる”泥棒猫”じゃないわよ!!」


 走りながら大声で言うと、[為らAnaタは度路棒根子を死っtel?]と言葉とギリ認識できるぐらいのざらついた声で何かを聞いてきた。女の横顔が視界の端にかすかに見えるが、血だらけで怖い顔をしていて今すぐ叫びだしそうだ。ルーグナーは私に「叫ぶな」と叫んでいるが、それは自分が一番分かってる。てか、怖すぎて声が出ない。むしろ怖すぎて助かった。


 落ち着け。落ち着いて考えろ。さっきのは当たっていたらしい。どうやらこの霊は自分の男を女に取られたのが原因らしい。ざらついて聞こえた言葉のつながりを状況から推測しろ。


 よし分かった。


「私は”泥棒猫”なんて知らない!!!」


 そう叫ぶと、さっきまで真っ暗だった室内がわずかながら明るくなった。私とルーグナーは足を止めてあたりを見回すが霊はいない。代わりに、周りの壁には見知らぬ男女の絵?が貼ってあった。街で並んで歩く姿や、食卓を共にする姿、指輪を渡されて涙を流す女性の姿。


 女は私の目の前に現れた。姿はさっきまでの化け物と何も変わりはないが、どこか寂しい雰囲気をしている。


「”あの人”は私を裏切ったの?」


 女は絵の方を向いて私に聞いた。だが、この答えは分からない。私にはその人のことなんて一切知らないし、この霊のことだって何も分からない。でも一つだけ確実なことはある。


「分からない。でも、その人はあなたといて幸せじゃなかったときはないと思う」


 どの絵に映る彼らも幸せそうな表情をして笑っている。ここで裏切ってなかったって言うのが正解だった気もするけど、私が彼女に言いたいのはそれではなかった。ただ、自分自身を思い出してほしい。それだけを思って私は彼女に告げた。


 霊の姿は消えた。周りの絵も消え、ドームの中に光が戻ってきた。


 彼女は最後に笑っていた。


「終わってすぐで悪いが、来るぞ」


 ルーグナーはそう言って、目をこすって立っていた私の手を引いて動き出す。彼女が消えた位置に黒い塊があるのが見えた。


「あれは何?」

「悪魔の本体がお出ましだ。こっからが本番だぞ」


 照明に照らされているはずのドームの中にある黒い何かが動き出し、それは人の形を取った。それはすぐにこちらに向けて距離を詰めてきた。


「俺がや────」

「私がやる」


 ルーグナーが迫ってくる悪魔から私を守ろうと前に出ようとしたが、私がそれを制止する。


「彼女の魂を弄んだ借りは返してもらうわよ」


 そう言って私は船の悪魔で持っていなくて使えなかった、禍々しい見た目の”とある物”をコートから二つ取り出して指にはめた。女がつけるようなものじゃないのは分かってるけど、自分自身を守るために大切なものだ。


「なんで今メリケンサックを指に」


 ルーグナーは私のしている行動が理解できないらしい。私も絶対の自信はない。でも、こいつを私は許せない。人の魂を弄んぶような悪魔を、私は見過ごせない。


 だから────


起動アクティベート! 龍手ドラゴン・フィスト


 禍々しい見た目のメリケンサックが腕を覆うほどにまで侵食を始める。それは拡大し、両方とも肩にまで広がった。龍の鱗のような硬い表面をもったこれは、私の父からもらったものだ。父が英雄と呼ばれるようになったのはこれのおかげもあったらしい。それを私に預けたのは何か理由あってのことだろうが、私は知らない。


 でもそんなのはどうだっていい。重要なのはこれがあいつを倒すために使えるかどうかだ。


 父曰く、これは神からの授かりものらしい。”神祝”とかいう特別な代物で、私はわずかな性能しか引き出せないが、それでも十分な強さを誇る。


 そう、神からの代物なのだ。だからこれには────


「────神聖力が宿ってんだよ」


 私の拳は迫ってきていた闇の刃を受け止め、そのまま悪魔本体を殴り飛ばした。そして私はエネルギーを使いすぎたのか意識を失った。


 地面に倒れこむ寸前、誰かに支えられた気がした。


 ***


 またかこいつは、と俺は思った。相変わらず詰めが甘い。悪魔を倒した後のことを考えなかったり、悪魔に一撃入れて意識を失ったり、お荷物なのかそうじゃないのかよく分からないやつだ。


 俺自身、彼女を巻き込んだことをすごく後悔していた。いつも一人で戦っていたから忘れていたが、仕事には命の危険が伴うのだ。そんなこともろくに説明せずに妖世に入ったと気付いたときには、既に彼女は動いていた。


 こいつは何なのだろうか。俺は分からない。だからこそ、知りたいと思う。この感情は何なのだろうか。


「悪いが、こいつは殺らせない」


 俺は一時的に両腕を龍の姿に変えた。悪魔は形を変え複数の影の刃を形成したかと思うと、俺に全てを向けてきた。両手である程度は払いのけたが、一本だけが俺の腹に届き、体に激痛が走ったがすぐさま目の前の悪魔に集中する。


 ルナは直ぐ側の席で寝かしている。向こうにまで被害が及ばないようにすぐさま片付けなければならない。


「『龍の重閃ドラゴン・クロス』」


 両手を下から斜めにクロスさせて振るう。そうすると、鉤爪の部分から風の刃が放たれた。避ける間もなく悪魔は斬られ、その体は黒い煙となってこの世から消えた。


「疲れた」


 ヘロヘロの体をなんとか動かし、俺はルナの隣で仮眠を取った。


 ***

 

 私は目を覚ました。目を開けるが、暗くて何も見えない。あと少し重い。自分の体にかかっている何かを触ってみると結構ザラザラしている。これはジャケットか?


「ん〜っと」


 体を伸ばしながら、辺りを見るとここはどこかの建物の中のようだった。横を見ると男が座っていた。


「起きたか。そいつをよこせ」


 この声はルーグナーか?目を擦ると、少しだけ目が慣れてきた。隣はやはりルーグナーだった。彼は私の方に手を差し出している。よこせって何を……あぁ!このジャケットのことね。


「一応感謝しとく」


 そう言って私はジャケットをルーグナーの手にかける。ルーグナーは何も言わずにそれを羽織った。無口ね、こいつ。


「さっきの悪魔はどうなったの?」


 ふとそれが気になったが、今私達が生きて天象儀の中にいるということは十中八九倒したのだろうが一応聞いた。


「────お前が倒した」


 少しの沈黙の後、ルーグナーは答えた。その時ふとルーグナーが左腹を抑えているのに私は気付いたが、何も意図してなかったら気まずいのでやめた。


「そう。なら良かった」


 私は一言だけ口を開いた。

 

 それにしても、星が綺麗。天井には小さな星が何百何千とあり、星座が並んでいる。幻想的な空間と、幻想的な音楽に私は力が抜ける。全て解決したのもあり、また眠ってしまいそうだ。


 ふと、思い出した。さっき霊が出てきた時こいつに体を引きよせられた?え、なんか今更ながらドキドキしてきた。いや、でも性格はあれだし、顔は……悪くないわね。これは恋?いいやそんなはずはない。だってルーグナーだぞ?命がけの現場に私を連れて行くような男だ。危険な目に遭わされたし。いや、それは分かっていてついてきたはずだったな。


 このドキドキは恋じゃない……そうだ、悪魔と遭遇したからだ。そうに違いない。そうだ。多分、そうだ。


 自分の感情が整理できなくなった私は、静かな幻想の世界に体を預けた。

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