第3話
「鉄平、何をぼーっとしている?」
ぼんやりと考え事をしている俺の顔を覗き込み、姉の
「あ……いや、なんでもない」
現実に引き戻された俺は、姉の部屋に居たことを思い出しつつ、「で、結局何だっけ?」と訊いた。
「実はこの間、こんなものを見かけてな――しかも、うちの近くの公園に」
すっと、鞄から取り出したそれを見た俺は、思いっきり顔をこわばらせていたに違いない。
姉の手にあったのは『白浜バレー・ボーイズ!』のあの薄い本だったからだ。
「ど……」
「おまえもこのようなけしからん書物を見つけたら、すぐに報告するように。見逃していては大変なことになる」
「報告? なんで?」
興味がないのなら放っておけばいい。
なのに、何故姉はわざわざ関わろうとするのだろうか。
「決まっているだろう。焚書の刑に処すためだ」
言うが早いか、おもむろに鋼羽は着火に便利な点火棒を取り出すと、持っていた薄い本に火を点けた。
メラメラと燃え上がり、あらかじめ用意してあった中華鍋に落とし、大きく炎上する様子を見守っている。
うすら笑いを浮かべているその表情が、酷くホラーに見えたのは俺の気の所為だろうか。
「ちょ⁉ ……ちょっと待って。なんでそんなことを? 拾い物を勝手にそんなことしていいわけないだろ? 姉貴がその手の本を嫌ってるのは分かるけど、も、持ち主とか描いてる人のことを考えたら、そんな酷いことなんて――」
俺は焼け落ちるまでに炎から救出しよう拾い上げようとしたが、思いのほか火の勢いが強く、「あち」と声を上げて断念することになる。
あっという間に紙は灰へと化していた。
「描いてる人のこと? だったら原作者はどうなる?」
「え……」
鋼羽は険しい表情を作り、このけしからん本とやらの元となった単行本を棚から持ち出してきた。
「原作者の
「え? あの長期休載は取材旅行のため、って話だった気がしたけど……」
原作二二巻の途中、左右で絵のタッチが異なる境目のページを開き、鋼羽が歯噛みした。
右のページは美麗でありつつも力強い少年漫画らしいタッチ、左は劇画を崩したようなちょっとばかり投げやりな描き方をしているように見える。
「それは表向きの話だ。ファンの間では常識だぞ⁉ 貴様、今までいったい何を見てきたのだ?」
といわれても、俺はそんなにその漫画にドハマりしてるわけじゃないし……。
いや、確かに面白いし、掲載誌の中で五本の指に入るほど好きな漫画なのは認めるけど。
「見ろ、この巻から明らかに様子がおかしい」
言いながら、鋼羽は俺に漫画の中身を見せつけるよう、ページを最初に戻し、次へ次へとをめくっていく。
「ここに到達するまでは多種多様なイケメンに、味のあるファニーフェイス、老け顔も幼な顔も……バリエーション豊かなキャラクターが存在した。なによりルックスのいいキャラクターの登場率が高かった。登場人物のほとんどが男前だといっても過言ではない。――が、この先から明らかにイケメンが一切登場しなくなった。それどころか、意図してブサメンばかりが新キャラとして投入されていく――それが何故だか分かるか?」
「え……? 絵のタッチ的に苦手になった……とか?」
それを聞いた鋼羽の眉間に皺が寄った。
「貴様は今までの話の流れを理解していないのか⁉ イケメンキャラは相次いで腐女子共の餌食(えじき)になったからだと言っているんだ。だから……せめて、ブサメンで埋め尽くすことで、あらぬ方向へ妄想されることを回避しようとしたのだ、新上先生は……‼」
くっ、と歯を食いしばり、鋼羽は目に涙をにじませた、
「――あ」
「誠心誠意……愛情を注いで生み出したキャラクターが勝手に改変された挙句、意に染まぬ扱いを受けたとして、貴様は耐えられるか? わたしなら首をくくりかねない」
鋼羽は口惜しそうな表情で拳を握り締めていた。
俺はクリエイターじゃないから、あまり作者の気持ちは想像できない。
だけど、確かに……完全なフリーなキャラならともかく、イイカンジの幼馴染の女の子が居るとか、好きな娘やカノジョが居るようなキャラなのにも関わらず、そんな公式設定などなかったかのように男同士でイチャつきはじめることへの違和感は果てしなかった。
客観的に見て、ターゲットとなったキャラは原作からはかけ離れた性格に改変されているため、その物語のそのキャラクターである必然性はない――とも思う。
「……でも、好きだから……そのキャラクターを気に入ってるから、そういう組み合わせで愛を育ませたいんじゃないの……かな?」
「貴様、腐の伝道師共の肩を持つというのか⁉」
俺は鋼羽に胸倉を掴まれた。
「な、なんでそうなるんだよ……⁉ 彼女らの気持ちを想像してみただけだろ?」
「あんな奴らのことなんぞ、想像する価値もない。ただ単に、何がなんでも……原作の設定を木っ端みじんに破壊した上で、ホモだち関係にこじつけることを生き甲斐にしている連中だ」
それは言い過ぎなんじゃ……と言ったところで、「貴様があくまでその姿勢を貫くというのなら、考えがある……」と、涙を拭った鋼羽がベッドの下から段ボール箱を持ちだしてきた。
「これを見ろ!」
重ねられた薄い本のうちの一冊を取り出し、俺に見せた。
「こ、これは……⁉」
ばっ、と見せられたその表紙には、幼児向けアニメ(絵本)の『れっつごー! コッペパンサン』のコッペパンサンという、紡錘形の頭をした、ヒーローっぽいマントを付けた愛らしいキャラクターであった。
「ま、まさか……」
「その、まさかだ……開いてみろ」
本を差し出す体勢で歯を食いしばって俯いている鋼羽からそっとそれを受け取った俺は、ごくりと生唾を呑み込み、ゆっくりと表紙を開いた。
とりあえず、目次のページが現れたことに安堵する……も、その背景にはコッペパンサンの敵(かたき)役である筈の虫歯菌っぽいキャラクター『ばくてりあん』と長いマフラーを共に巻き付けているイラストが描かれている。
「す、既に仲良しだ……」
俺の額から大量の汗が滴っていた。
もう、嫌な予感しかしない。
だが、俺は怖いもの見たさで身体を震わせながら、ページをめくった。
「―――!」
そこに描かれていたのは、
いや、申し訳ない……LGBTQの観点から言うとこの表現はうまくない。
だが、これはそのアニメの正確なキャラクターでもなければ、実際の設定はまるで異なるもので――なんなら、登場『人物』と表現していいのか分からないような連中同士のアレだ。
とにかくそこで繰り広げられるパンと菌の壮絶な営みに関し――うまく表現できないが『そっち系』に興味のない人間からしてみると、もはや寝耳に水どころか、寝耳に氷柱落としと表現しても生ぬるいかもしれなかった。
とにもかくにも、それほどまでに強烈でショッキングだったのだ。
「嘘だ……そんな、まさか……こ、子ども向けアニメ(絵本)だぞ……? なぜ、そんな妄想が働くんだ……っていうか、こいつらヒトですらないのに――なんで生えてるんだよ⁉」
可愛い絵柄なのにもかかわらず、モザイク処理必須の凶器さながらなモノが付いているというのは、ひどくグロテスクだった。
しかも、善良でまったりした性格の『コッペパンサン』がタチ……いや、攻めで、攻撃的で乱暴な『ばくてりあん』がネコ……もとい、受けときている。
原作の性格を逆転させることが意外性を掻き立てられて、萌え倒せるということだろうか。
「……貴様の着眼点はやや的外れではあるが……話が通じそうになったところで問いたい。貴様はこれを容認できるか?」
俺は無意識にかぶりを振っていた。
「無理……だ。さすがに……」
こんな作品にまで食いつくとは……おそるべし。
どうやら、俺は腐女子を甘く見ていたようだ。
呆然と立ち尽くしていた筈だったが、気づけば俺の目から雫が滴っていた。
泣いてるの? 俺……。
「これが……涙……」
「それは感動の涙ではないな……? 哀しみの……絶望のそれだと解釈して間違いないな?」
本を仕舞いながら、姉が訊いた。
「あ……ああ……物心ついたころに憧れていたヒーローが……俺のあずかり知らぬところでこんな扱いを受けていたなんて……なかなかショッキングだよ」
自分でもここまでの精神ダメージを負うことは意外だった。
俺がフリーであれば「ふ~ん」の一言で退けられた可能性はある。
腐女子と付き合ってさえいなければ、対岸の火事で片付けられる話だ。
立場によって感想が異なることは間違いないが、なかなか受け入れられるものではない。
「そうだろう。子ども向け作品は何もこれだけではない。――こういったものもある」
したり顔で頷いた姉は床に座り込んだ俺に、トドメと言わんばかりに寄越されたそれはまた、激しく心を揺さぶるものだった。
「忍者リボウズ……」
『忍者リボウズは留年中!』とは、和風のファンタジーを舞台とした、忍者養成学校に所属する少年たちのドタバタコメディだ。
こちらは『コッペパンサン』よりは対象年齢が上の、幼児から小学校低学年向けのアニメで、忍者と僧侶の息子(坊主)である主人公にちなんでボウズ、劣等生で何度も留年していることからそういったタイトルが付いている。
『忍者リ』の『ジャリ』に関しては『子ども』という意味のそれを掛けているのだろう。
主人公の
それ絡みの探偵回もところどころで挿入されることで、大人でも楽しめるという旨の評価を得てもいた。
で、問題のこの薄い本は……というと――
「……
表紙では乱菊丸と彼を頼りにしているお奉行様こと珍衛門さんが、ふたり抱き合っていた。
中身は中身で想像に違わない、世にも耽美な薔薇ワールドが広がっていた。
「……『よいではないか、乱菊丸殿』……じゃねえよ‼」
俺は思わず本を床に叩きつけてしまった。
鋼羽がにやりと不敵な笑みを浮かべる。
「忍者リボウズはおまえも知ってのとおり、登場人物が多く、ネタも豊富でな。まだまだ色んな組み合わせがあるが……?」
「いい。――もうたくさんだ!」
そんなものはもう、目にしたくない。
元の作品に特に思い入れがあったわけではないが、のべつ幕なし、なんでもかんでもホモ化させてしまうことに対しては正直、辟易する。
「かといって、奴らは特に現実のゲイに対して理解と造詣深いというわけでもないのが厄介なところでな。あくまで二次元の身目麗しい男子同士が愛し合うということに意義があるらしい」
存外にまともなことを言い、鋼羽はこういった講釈(?)用のサンプルとして保管しているのか、例の本を段ボールに仕舞った。
っていうか、不思議に思ったのが――嫌いなら嫌いで敢えて目に入れない、関わらない方向で生きた方が楽な気がするのに、何故アンチの人間はこうも敵の研究に力を注ぐのだろうか。
「鉄平、今後、このような悪書を近所で目にするようなことがあれば直ちに報告するように」
強烈なアッパーでも食らった気分になった俺は返事をすることができず、フラフラと姉の部屋をあとにした。
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