第2話

  同じゼミの彼女――矢追やおいくさりは特別美人というわけではないけれど、俺にとっては自分にないものをたくさん持っている、魅力的な娘だった。

 一見するとボブショートに眼鏡という――単に大人しくて真面目そうな女子、なのだがよく観察してみると誰よりもうまく周囲に溶け込み、うまく立ち回っているように見えた。

 要するに、要領のいい娘だと思ったのである。

 無難には生きているつもりだが、それでも多少の衝突を起こし、いじめのターゲットになったこともある俺からしてみれば、彼女が輝いて見えたのだ。

 誰とでもうまくやり、誰の悪口も言わず、不平不満を漏らすこともない。

 基本的に嫌なところがないから、嫌われることもないのだろう。

 誰とでも『無難な距離感』を保てるために、一時期は八方美人などと陰口をたたかれたことはあるようだが、それも持ち前の要領の良さでピンチを潜り抜けた、というような話を同じ高校のヤツから聞いたことがある。



 そんなある日の三時限目終わり、四時限以降は空白という終業を迎えたタイミング。

 偶然ひとり歩く彼女の姿を見つけ、思わず尾行してしまった。

 いや、これだけ聞くと完全なストーカー行為で、このときのことは誰かに話すべきではないことも分かる。

 特に何か下心があったわけではないが、彼女の家の方角がどっちでどう帰っているのか気になったのだ。

 学校最寄りの駅の改札を通る彼女から数メートル離れる形で、俺もそこを通過した。

 電車通学ではないため、定期はない。

 ICカードの残金が二百二十円と心許なかったが、チャージしていては彼女の姿を見失ってしまうと思い、ヒヤヒヤしながらここでも乗車位置から離れたところで彼女を観察していた。

 午後一四時半の駅はさほど混雑しておらず、停車位置に待つ人の姿もまばらだった。

 少し周囲を見回すような仕草をすると、彼女はおもむろに鞄からカバーの掛かった文庫本を取り出し、それを読み始めた。

 読書好きな女子っていいな、などと好感度を上げながらも、何を読んでいるのかが気になった。

 やはり、ここは女の子らしく恋愛小説の類だろうか?

 それとも少し大人っぽく推理小説?

 もしくは……実はオタクっぽい系統のライトノベル……とか?

 そうだったら、少し話が合うかもしれない……そうだったら、話をするきっかけにもなるし、もしも同じアニメが好きだったら、親しくなれるチャンスじゃないか、と胸が高鳴った。

『三番線に電車が参ります。黄色い線の内側までお下がりください――』

 とのアナウンスが流れたところで、俺は乗車の列に並んだ。

 そう……ラッシュの時間帯ではないため、ほとんど降りる客などいないだろうと、ぼんやりしていたのかもしれない。

 電車が停まり、ドアが開いたところで勢いよく飛び出してきた男に突き飛ばされるよう、彼女は尻もちをついていた。

「矢追さん!」

 隠れて彼女を見ていたことなんて頭の中から吹っ飛び、俺は彼女の名を呼びつつ駆け寄った。

「大沼くん……?」

 俺がここに居ることに心底驚いたようで、座り込んだまま唖然としていた。

「乱暴な奴が居たもんだよな。トイレでも我慢してたのかな、あのオッサン」

 俺が手を差し伸べると、それに掴まって彼女は立ち上がった。

「急がないと、乗り遅れるよ?」

「あ……」

 地面を見ると、吹っ飛ばされ、カバーが外れた彼女の本が落ちていた。

「だ、だめっ……」

 俺は彼女の役に立ちたいと、いち早く本を拾い上げた。

 何の本だろうと見てみると――

「―――⁉」

 美形の男が服のはだけた美少年の顎を持ち上げ、向かい合っている――超絶意味深なモノだった。

「矢追さん……?」

 見ると彼女は気まずそうに俯いていた。

 こ、これはアレか、BLというジャンルの……男同士がくんずほぐれずいんぐりもんぐり、な内容、で間違いないんだよな。

 え……? 矢追さんってそういう……?

 呆然と立ち尽くしているうちに、電車が発車してしまっていた。

 そして……電車に乗り遅れ、かああ、と顔を赤らめて困惑している彼女の姿を見て思った。

 可愛い……可愛すぎる、と……。


      ★


「お、大沼くん。このことは絶対に、黙っていて……!」

 口止め料のつもりなのか、俺は学校から一駅先のハンバーガーショップで矢追さんからポテトとコーラをゴチになっていた。

「いいけど、別に大したことじゃないじゃん。俺だって結構アニメとかゲーム好きなオタクだし」

 俺はアクスタやらフィギュアが並ぶ部屋で暮らしていて、自分がオタクだということを特に隠していないし、恥ずかしいとも思ってないのでそう言って苦笑した。

「ううん。大沼くんはオタクといってもクリーンっていうか、ノーマルタイプのオタクでしょう? 大沼くんの見た目も悪目立ちするようなことはないし。多分、それが元で迫害されるようなことはないと思うの」

「オタクにクリーンとか薄汚れてるとかあるの?」

 ポテトを口に放り込みながら、俺は首を傾げた。

「わ、わたしはちょっと……ディープだから……」

「でもさ、別に世の中に横行してるっていうか、よく見かけるし……び、BL? 人気のジャンルなのは間違いないんじゃないの? 愛好家は大勢いるっていうか。まあ俺は興味ないし、姉は居るけどそっち系は敬遠している感じだから、よく分かんないけど」

 矢追さんはぎこちなくも笑顔を浮かべた。

「ありがとう。大沼くんにそう言って貰えてちょっと安心した。だから……その……別に「へえ、そうなんだ」って流してもらえるなら、それでいいいの。理解を求めてるわけじゃないから。だけど、世の中にはアンチの人が居て……」

 俺はちょっとわざとらしく眉根を寄せた。

 彼女に寄り添ってる風を装いたかったのだ。

「アンチ……? わざわざどうして対立するようなことするんだろう。別に何が好きでも個人の自由じゃん? それに嫌いなら放っておきゃいいって話で……」

「多分、BLもオリジナルなら……そこまで他人を苛立たせることはないと思うんだけど、大きな問題は二次創作の方で」

 矢追さんは鞄から薄い本を取り出した。

「……え? ああ、同人誌ね」

 一応、オタクの端くれとして同人誌も当然ゲットしていて、何冊もうちにある。

 ただし――それもエロ限定なのが、女の子の前では語りづらかったりするのだが。

 矢追さんは手に持ったソレを躊躇いがちに見せてくれた。

「っ……⁉ こ、これ、『白浜バレー・ボーイズ!』だよな⁉ アニメ化もしたし、少年漫画だから俺も知ってるけど」

 それは人気の高校生のビーチバレーを題材にした漫画だった。

 実は俺以上に姉が大ハマりしている――熱い展開と人情で泣かせに来る、名作と評価の高い作品だ。

 そして、肝心のこの本だが――

 主人公の向日葵ひまわり楓雅ふうがとライバルの影蔵かげくら成道なりみちが顔を赤らめ寄り添っている感じの表紙を見れば、どんな内容なのか想像はできる。

 が、それが本編の様子からは全く結び付かない様子に、俺は困惑していた。

「ど、どうしてこんなことに……? ええ? こいつらまったく思わせぶりな雰囲気にもなってないし、ゲイを匂わせる描写なんて一ミリもないのに……‼ いや、たまに叱咤激励しったげきれいしたり、ふたりで語り合ったりするシーンはあるけど……普通に友情モノって感じだろ……」

 パラパラと中をめくると、抜き差しならない――いや、実際は抜き差ししまくってる状況なのだが、想像を絶する「ぴぎゃーーーっ」な内容にどうコメントしていいのか分からなくなっていた。

 っていうか、これを描いているのが女性なら、かなりどぎついというか、下手な男向けのエロ漫画よりも過激な気がして仕方ない。

「でも、なんで男なのにこんなあえいでるんだ……? それもどうも不自然っていうか……」

「そ、それはそういうもの、としか言いようがないっていうか……」

 そう言いながら、矢追さんは恥ずかしがる様子で、ひったくるように俺から本を取り返した。

「ええと、大沼くんは……どう思った?」

 矢追さんは上目遣いに訊いてきた。

 こういう表情されると、弱いよな……。

 し、質問の内容はともかく。

「えっと……いや、ちょっとビックリしたけど……別に偏見を持ったりはしないよ」

 俺にしてたって、組み合わせに意外性はないだけで、男女のキャラクターの絡みのあるエロ同人誌はたくさん持ってる――いや、実は女の子同士のも少し……。

 だからきっと、彼女もそういう昇華しょうかの仕方をしているんだろう。

 所詮しょせん幻想ファンタジーの世界だ。

 どういう妄想をしようが、個人の自由じゃないか。

 そう考えると、別に……おかしなことはなにもない……うん、ない。

 それによって彼女の魅力が損なわれるわけでもないわけで……むしろ、彼女の秘密を共有できたことで、胸が高鳴るような気さえした。

「その……恥ずかしがる気持ちは分かるけど、大丈夫だよ。誰にだってあるから、そういうの」

 ベッドの下だとすぐに見つかるために、鍵付きの引き出しに封印してあるそれらを思い出しながら、俺は言った。

「ありがとう。あの……まさかそんな風に言ってもらえるなんて。あの……大沼くんのこと、味方だと思ってもいいよね?」

「も、もちろん」

 俺は頷いた。

 別に『腐女子』の味方じゃないけど、彼女の味方なのは間違いない。

「良かった……引かれちゃうのが怖くて誰にも話せなかったの。本当に内緒にしてね?」

 そうやって顔を覗き込まれると、どきりとする。

 やっぱり可愛い。

 そして、彼女のことを『守りたい』と思った。

 それが『何』から『守りたい』のかは分からない。

 だけど、どことなく、必死な彼女から危機に瀕しているような気がしたのだ。

「役に立てるかどうか分からないけど、俺、矢追さんの力になりたい」

「大沼くん――」

 満更でもなさそうに見えた彼女とは幾度かの逢瀬を重ね、俺たちは親しくなっていった。

 ということで、『腐女子』にとって、二次元の世界と現実とはまた別らしい、ということも同時に知った。

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