第2章

Aパート 第1校

 ゴールデンウィークが終わりに差しかかり、青空に縦長の雲が立ち込め始める。

 木々の緑がさらに深まる中、俺はおふくろと一緒に市内の中心部に建つ病院へ車に乗って向かっていた。


 いつも通りの道に、いつも通りの活気さ。

 そう思っていると多くの人が商店街の中を歩いていた。

 商店街は迷宮が出現したことで活気を取り戻し始めているみたいで、その証拠に探索者が集まってきてると聞く。


 まあ、迷宮の準備はここでしかできないから必然的に人が集まるんだろう。


 そんなことを思っていると目的地の病院に着いた。

 俺が乗る車は近くの立体駐車場へ入り、まあまあいい場所に停まる。


 車から降りるとおふくろに「これお願い」「これもお願い」と次々荷物を持たされた。

 今回はなかなかに多いな、と感じながら病院へ歩いて向かおうとする。


 立体駐車場と病院の間にある交差点の信号がちょうどよく青へと変わり、いざ歩き出そうとした時におふくろが何かを思い出したかのように「あっ」と大声を出した。


「いっけなーい! お着替えセットを置いてきちゃった!」

「置いてきちゃったって、家に忘れてきたんじゃないよな?」

「車に置いてきちゃったの。取りに行くから、先に瑠璃の病室に行ってて」


 パタパタと忙しなくおふくろが立体駐車場へ戻っていく。

 そんな姿を見送った後、俺は信号が赤へ変わる前に横断歩道を渡った。


 そのまま病院へ入り、妹の瑠璃に会いに来たことを告げる。

 面会証明書をもらい、首から下げて妹が待つ病室へ向かった。


 向かった先の病室は、外から鍵がかけられる扉がついた部屋だ。

 窓には鉄格子がはめられ、ガラスは強化プラスチックでできているそうだ。


 どこか物々しい病室はいつ来ても変わり映えしない。

 それは仕方ないことだが、このせいで嫌なことまでも思い出してしまう。


 まあ、あれはどうしようもなかったから仕方ないんだけどな。

 でも、あんな思いをするのはごめんだ。


 俺はニ年前のことを思い出しつつ、【黒野瑠璃】の名前が表記された個室へ入った。


「えー! 卒業しちゃうのー!」


 病室には顔の左側が青い結晶に覆われた妹の姿がある。伸び放題の栗色の髪に、灰色を基調とした質素な病院着を身にまとっていた。


 俺の妹、黒野瑠璃。本来なら中学校に通っている十五歳の女の子だ。

 今は何やら動画に夢中らしく、スマホに向かって叫んでいる状態だった。


『僕、忘れないから。今まで応援してくれたみんなのことを。一緒に頑張って駆け上ってきたメンバーのことも。だから、普通の男の子に戻っても僕のことを忘れないでください!』

「うん……絶対に忘れないから。だから、だから、うえぇぇっ」

「何泣いてるんだよ」


 俺は動画に夢中になっている瑠璃に声をかけた。

 すると、瑠璃はさっきまで泣いていたのが嘘かと思うほどケロッとした顔になる。


「あ、お兄ちゃん。おひさぁー」

「何がおひさだ。ほら、荷物を持ってきたぞ」

「ありがとー! あれ、お母さんは?」

「着替えを忘れたから取りに行ってる。たぶんそろそろ来るよ。それより何を見てたんだ?」


「五年前の龍輝くんの卒業ライブだよ。暇だから検索してたらたまたま目に入ってさ、見ちゃったんだ」

「よくそんな昔の映像を見て泣けるもんだな」

「いいじゃん、どうせ暇なんだし。涙の一つくらい流してもバチは当たらないでしょ?」

「たくましく思えて俺は安心したよ」


 俺がそう告げると瑠璃はむぅ~っと頬を膨らませた。

 俺はそんな姿を見て、ついつい微笑んでしまう。


「身体は大丈夫か?」

「大丈夫! 心配なんて何一つないから! そういうお兄ちゃんこそ、大丈夫なの?」

「迷宮探索のことか? 大丈夫さ。この前なんてすっごいレア武器を拾ったしな」

「知ってる。あれすごかったね! まさか剣が盾になるなんてびっくりだったよ!」


「だろう! しかもあの武器、まだ世界で二つしか――」


 俺はついつい機巧剣タクティクスを手に入れてからの出来事を話そうとした。


 だが、すぐに話すことをやめる。

 そう、俺は気づいたのだ。


 瑠璃が俺が手に入れたタクティクスのことをなぜか知っているということに。


「なあ、どうして俺がタクティクスを手に入れたってこと知ってるんだ?」

「え? だってツブヤイチャッターに載ってたよ?」


 ツブヤイチャッター。

 それは世間的に浸透しているSNSアプリの名前だ。


 なんでそのツブヤイチャッターに俺のことが載っていたのだろうか?

 そんな疑問を持っていると、瑠璃は自分のスマホを使ってあるものを見せてくれた。


 それは、ツブヤイチャッターに載っている動画つき記事。

 切り抜きされたと思われる動画には迷惑系配信者のデブに追いかけ回され、恐怖で顔がすごいことになっている俺の姿があった。


「えっ!?」


 俺は思わず画面を凝視する。

 そのまま瑠璃からスマホを奪い取り、記事の詳細を確認した。


 その記事はものすごい反響があり、リツイートやいいねの数が普通に百万を超えている。

 それどころかコメントの数もとんでもないことになっており、その内容を見るのが恐ろしい事態になっていた。


「ちょっとー、スマホ返してよぉー」

「待て待て! 今お兄ちゃん調べているから!」

「自分のスマホで調べられるでしょ! 返せぇー!」


 手を伸ばしてくる妹の攻撃を躱しながら俺は恐ろしいコメントを覗いてみた。

 そこには〈これあのデブじゃね?〉〈デブいい気味〉〈こいつの武器は何?〉〈すっごいレア武器じゃん!〉〈デブぶっ飛ばしたこいつ誰だ!〉〈探せ探せ 懸賞金一億!〉と言ったコメントが書き込まれている。


 デブのことが書き記されているけど、それ以上に俺の正体を掴もうとしているコメントがたくさんあった。


「返してって言ってるでしょ!」


 俺が自分自身のことでバズっていることに頭が混乱していると、瑠璃にスマホを奪い返されてしまった。

 しかもかなり怒っているらしく、「お兄ちゃんのバーカ」と言われてしまう。


「な、なんでこんなことになってるんだ?」

「天見アヤメちゃんを助けたからでしょ。よく助けようと思ったね、お兄ちゃん」

「なんでそんなこともバレてんだよ!」

「全部ツブヤイチャッターに書いてるから!」


 恐るべしSNS。

 恐るべしツブヤイチャッター。


 まさか俺のしたことが全部筒抜けになるなんて。

 しかもその記事がとんでもないバズり方しているし。


 だが、幸いなことにまだ俺の正体はバレていない様子だ。

 ならこのままお祭り騒ぎがなくなるまで静かにすごせば変なことにならないはず。


「もぉー、お兄ちゃんが変なことするからコメント投稿しちゃったじゃない」

「は? コメントを投稿した?」

「私のお兄ちゃんでーす、ってコメントしちゃってるよ」


 俺は慌ててツブヤイチャッターを開き、先ほどの記事を見る。

 するとそこには【るり】という名前で〈私のお兄ちゃんだ〉と書き込まれたコメントを発見した。


 途端に瑠璃のスマホへ通知音が鳴り響く。

 それは途切れることなく連続で鳴り続け、ある種のホラー演出かと思えるような光景が広がっていた。


「わー、すごーい。いろんな人から〈お兄ちゃんのこと教えて〉って来たよー」

「絶対に教えるな!」


 なんでこんなことになってるんだよ!

 これ、とんでもなく面倒なことになったよな!


 俺が心の中で嘆いていると、瑠璃が「お兄ちゃん」と呼んだ。

 またからかうのか、と思いつつ顔を向けると真剣な表情をしている妹の姿があった。


「よく助ける気になったね」

「何を?」

「天見アヤメちゃんをだよ。お兄ちゃん、コレクション以外に興味なかったでしょ?」


 瑠璃は不思議そうにしながら問いかけてくる。

 確かに俺はコレクターだ。昔から興味を持ったものならマンガだろうがカードだろうが集めてきた。


 でも、それ以外に興味はない。

 むしろどうでもいいとさえ思っている。

 だから、人を助けることなんてする性格ではない。


 そのことを瑠璃はよく知っているから、聞いてきたんだろう。


「どうして助けたの? お兄ちゃん、面倒臭がりでしょ?」

「ずいぶんと悪く言ってくれるな。まあ、そうだな。お前のことを思い出したからだよ」


 俺は正直に瑠璃が求めている答えを口にする。

 だけど瑠璃は理解できてないのか、頭を右へ傾げていた。


「私とアヤメちゃんは違うよ」

「そんなのわかってるよ。だけど、お前を思い出したんだ」


 俺はそれ以上のことを告げない。

 いや、言葉にしたくなかった。


 だってこれは、最後の最後まで親父に何もしてやれなかった俺を見つめることになるからだ。


「ねぇ、お兄ちゃん。もしかしてお父さんのことを言ってるの?」


 俺は答えない。

 聞こえなかったふりをして、瑠璃の荷物を取り替え始めた。


 そんな俺を見てか、瑠璃はそれ以上のことを追求しない。


 言える訳がないじゃないか。

 病気で死にかけている親父が怖くて、近寄れなかったことを。


 親父は、迷宮管理局に勤めていた。

 現場主義で、いつも探索者達の面倒を見ていたんだ。


 そんな親父が、迷宮でとんでもない病気に感染した。

 名前は結晶病――初めは皮膚が結晶化し、いずれは全身が結晶へ変貌してしまう病気だ。


 まさか恩恵をもたらす迷宮で、そんな厄災が降りかかるとは親父も思ってなかっただろう。

 それでも親父は頑張って治そうとしたが、病気に勝てなかった。


 親父は最後、バケモノになって人を襲ったんだ。


 おふくろの声は届かず、殺そうともした。


 そんな親父に瑠璃は止めようと抱きついたんだ。必死に呼びかけて、親父が元に戻ることを信じて。

 でも俺は、親父を止められなかった。

 俺がやらなきゃならないことを、瑠璃に押しつけてしまったんだ。


 そのせいで瑠璃は親父がかかっていた結晶病に感染した。

 もしあの時、俺がやっていたら、瑠璃はこんなことになってないはずだ。


「瑠璃、元気になったらタクティクスを見せてやるよ」

「え? 本当!?」

「ああ、本当だ。だから、頑張って治せよ」

「うん! 約束だからね、お兄ちゃん!」


 俺にできることは、いつも通りの姿を見せてやること。

 そんでいつも通りに瑠璃と会話をして、元気づけてやることだ。


 親父が死んだ時のように泣く瑠璃の姿なんて見たくない。

 だから俺はいつも通りのバカなお兄ちゃんで居続ける。


 それが、俺が瑠璃にしてやられることだ。


「あ、そうそう。俺、アヤメの配信を手伝うことになったよ」

「えっ! それ本当!?」

「ホントホント。といっても荷物運びするだけなんだけどな」

「いいなぁー。羨ましいー」


「じゃあ元気にならないとな。体力もつけないと手伝いもできないぞ」

「絶対に元気になるー! あ、元気になったら運動、手伝ってねっ」

「ああ、いいよ」


 妹との何気ない会話。

 それはありふれた幸せだ。

 俺はこの当たり前を過ごすために、瑠璃を笑わせる。


 それが俺に課せられた責務だと感じながら、俺はまた瑠璃と笑った。

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