第二章 背徳

第9話 快楽の海

 私は父親の顔を知らない――


 私は普通の家庭に生まれた、らしい。

 最初の一年弱くらいの間だけだったみたいだけどね。

 私を『亜希子』と名付けた父親は、私の一歳の誕生日を待たずして、離婚届だけを残して蒸発。長らく浮気をしていたらしく、その相手の女と逃げたらしい。

 十代でシングルマザーとなった母親の沙織。当時はパッと見、茶髪ロングで目つきがキツく、田舎のヤンキーっぽい雰囲気だったが、娘の私から見ても美人だと思う。でも私の知る限り、私が家を出るまで特定の彼がいたことはない。母はひとりで必死に働きながら、私を育ててくれた。それにはとても感謝している。


 でも、あんな風になりたくなかった――


 友だちのお母さんはみんな綺麗なのに、母は化粧もしないし、いつも仕事をしているから作業着姿。夏場は汗臭いし、そんな格好で買い物に行ったりもする。一緒にスーパーへ行くこともあったが、私は内心恥ずかしくて、友だちと会わないように祈っていた。

 それに、ウチは貧乏だった。私が幼い頃に祖父母が立て続けに亡くなり、当時住んでいたアパートから祖父母が住んでいた母の実家に転居したのだが、残してくれた家は、はっきり言ってしまえば雨風をしのぐのがやっとのボロ家だった。お金を遺していってくれれば良かったのに、そっちの方はあまり残してくれなかったのかもしれない。そんな状況なので、必死にお金を稼いできてくれる母に文句は無い。でも、欲しいものを買ってもらえない状況に満足もしていなかった。私の着ていた服も自然と安っぽいものばかりに。可愛いプリントもされていないし、フリフリもヒラヒラもない。


 だから、自然と地味な女の子になっていった――


 小学生の時はそんな自分に自信がなくて、内気……というよりも陰気な感じの地味な女の子だった。私にだって好きな男の子はいた。でも、遠くから見ているだけだった。私はとにかく早く中学生になりたかった。中学生になると、みんな学生服になる。男子は学ラン、女子はセーラー服。着ている服で差がつくことはなくなる。だから、きっと私の地味さもなくなる……って思っていたけど、陰キャな私はどこまでいっても結局地味だった。甘酸っぱい青春。そんなものは欠片かけらもなかった。

 高校へ進学。もう何の期待もしていない。周りのみんなは男子も女子もキラキラしていた。うらやましかった。でも、どうしようもなかった。私の高校時代は、ひたすら勉強に明け暮れて過ぎ去っていった。


 そして、私の人生にとって最初のターニングポイントが訪れる――


 高校時代、勉強ばかりしていたこともあり、地元の大学に合格。母も進学のためのお金を貯めていてくれていたので、進学させてもらえることになった。そして、この機会に実家を出ることに。バイトをしながらひとり暮らしをこなして、大学でもしっかり勉強して、いい会社に入ろう。そう思っていた。でも――


 大学では日本の民俗・風俗を研究するサークルに入った。その数日後に開催された新歓コンパ。あまり気乗りはしなかったが、一応出席した。

 そのコンパの場で知ったのだが、真面目に研究しているひとはほとんどいないようだ。たまに集まって遊びに行き、たまに集まって飲みに行く。そんな単なる仲良しサークル。騙されたと思い、私は帰ろうと思ったのだが、隣に座っていた男性の先輩に引き止められ、色々と話をすることに。


「亜希子ちゃんって、俺のタイプなんだよね」――


 おしゃべりが弾んできた頃に先輩から言われた一言。男性に耐性の無かった私は、その一言で簡単に恋に落ちた。

 コンパがお開きになり、居酒屋から出たらそのままお持ち帰りされて、その日のうちに私はすべてを先輩に捧げた。

 その日から毎日のように先輩と身体を重ね、時には大学をさぼって一日中セックスにふけっていた。色々なことを覚え込まされ、それをしてあげると先輩はとても喜んでくれた。それが嬉しかった。


 あぁ、私は男性に必要とされている――


 これまでの反動だろうか。私の性が弾けたのだ。


 そんな先輩と疎遠になり始めたある日のこと、先輩以外のひとから言い寄られた。先輩から私のことを聞いたって。実は素敵な女の子だと思っていたって。どうしてもそんな私としたいって。私に懇願する男性の姿に、私の心は優越感に満ちた。ふわふわした気持ちのまま、そのひとと身体を重ねた。先輩に覚え込まされたことをしてあげると、そのひとも喜んでくれた。

 その後も、私の魅力に気付いたたくさんの男性が次々に私の元へやって来るようになり、私は男たちと身体を重ねていった。私の自尊心は満たされた。


 でも、私はセックスが好きなわけではない――


 当時、セックスが気持ちいいと感じたことはなかった。適当に声を上げ、時々気持ち良さそうに大きく喘ぎ、達したをしてやれば男は大喜びだ。


「亜希子ちゃんって感じやすいんだね」

 いや、別に。全部だってば。


「俺って凄いテクとモノ持ってるだろ」

 バカみたい。勘違いも甚だしい。痛いだけだったわ。


 最初は、私の身体や行為で男の喜ぶ様子を見るのが好きだった。でも、今は違う。必死で私を求めてくる男の姿が好きなのだ。貪欲に、乱暴に、亜希子というひとりの女を自分のものにしようとするその姿が好きなのだ。私を求める男がたくさんいることを感じたい。だからたくさんの男と身体を重ねる。心が満ちていく快感に抗えない。


 私はそんな快楽けらくの海に溺れていた――


 大学で覚えた男遊びは、社会人になっても忘れられなかった。独身だろうと、既婚者だろうと、私には関係ない。男の方が私を求めてくるのだから、私はそれに応えているだけ。飲み屋で出会った男たちに一夜の夢を与える私は、愛の女神なのだ。

 そして、就職先の新人歓迎会。ここで私はひとりの男と出会う。


 高木たかぎ真一しんいち――


 将来、私の夫となる男。

 私の次のターニングポイントだった。






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<次回予告>


 第10話 虚構の女神



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