魔法使いの育て方
@akahara_rin
第一章
プロローグ
彼は魔術師だった。
遺伝という血の練武の結晶とも言える、多大な魔力。
世に生を受け、僅か数年にして魔術を起動する才能。
そして技術を練り上げ、師に事欠かぬ名家に生まれ落ちた彼は、生まれ持った才に驕ることなく自身を鍛え上げていた。
さて、魔術師には古くより、誓約の儀と呼ばれる儀式への参加が義務付けられている。
それは、参加しなければ魔術師として認められない、成人の儀とは比べ物にならない程に重要な儀式だ。
だが、彼はそんな儀式をあろうことかすっぽかした。
所詮は儀式である。
罪に問われるようなことはない。
しかし、魔術師達にとって、特に彼の親類縁者にとってはとんでもない赤っ恥だ。
彼らは罰を下すべく動き出した。
が、そんなことを彼が予想していない筈もなく。
彼らが意気込んでいた頃、彼はとっくに逃げ出していた。
それも、貴重な書物や触媒と一緒に。
慌てて追いかけたものの、彼を捕えることは叶わず、しかし諦めるわけにも行かぬまま、追手は彼を追い続けている。
◆
彼女は陰陽師だった。
とある神社の一人娘として生を受け、陰陽師ではなく巫女となるための修行を付けられ育った。
しかし悲しいかな。
彼女はいっそ絶望的とすら形容して良い程に不器用だった。
それは繊細な儀式を執り行う巫女としては致命的な欠陥だ。
陰陽師であれば不器用でも務まる、というわけでは決してないが、巫女よりは器用さは問われず、幸いにして彼女はそちらの才は決して悪いものでなかった。
陰陽師という存在になれば、妖との戦いは避けられない。
彼女の父も初めは反対していたが、娘といえど何も役割を持たせぬわけにはいかなかった。
父の心配を他所に、彼女は逞しく育った。
相変わらず不器用なままではあったが、その戦闘力は同年代でも目を見張るものがあった。
そして現在では僅か十七にして、立派に陰陽師としての務めを果たしている。
◆
彼らは敵同士だった。
彼の本懐は、龍脈と呼ばれる土地の力を用いて実験を行うこと。
彼女の本懐は、龍脈と呼ばれる土地の力を穢されぬよう外敵から守ること。
故に、その激突は必至だったのだ。
深夜。
とある神社の裏山に、一人の男が侵入した。
この場所は神社の土地ではあるが、特に入ることを禁止されているようなことはない。
週末に軽い運動に来る者もいれば、近辺の小学校の遠足に使われることもある、周辺の住民に親しまれた場所だ。
とはいえ、そんな場所であっても、深夜にやって来る者はまず居ない。
理由は考えるまでもないだろう。
危険であること、不気味であること。そもそも用事がないこと。
深夜徘徊が趣味であろうと、わざわざ足場の悪い山を選ぶ者はそういない。
だが、現実としてその男は一人で山へとやって来た。
『"均せ"』
小さな呟き。
淡く小さな光が起こり、それと同時に大地を覆っていた落ち葉や枯れ枝が宙を舞った。
そして光が収まった時、男の周囲は大地が露出し、綺麗に均されていた。
片膝をつき、男が右手で地面に触れる。
『……龍脈が近い。予想通り、良い立地だ』
聞き慣れぬ外国語で独り言を呟きながら、男は腰につけたポーチから幾つかの道具を取り出した。
中には明らかにポーチに収まらないサイズの物もある。
男は鼻歌を歌いながら地面に紋様を描き始めた。
それはいわゆる魔方陣と呼ばれるものだった。
それこそ、神秘について何の知識も持たぬ者であっても、非科学的な意味合いを持つものであることは知れるだろう。
フリーハンドで描くには少々、いやかなり厳しい繊細な紋様だが、男は何を手本にするでもなく、すらすらと描いていく。
時に道具を用い、故も分からぬ粉を散らし、合法かも怪しい液体を撒く。
いかにもな神秘的儀式の果てに完成した紋様の中心で、男は再び地面に手をついた。
『"同調"……"接続、開始"』
そして、先程までとは比べ物にならない光が周囲を包んだ。
瞬間。
『っ!』
膨大なまでの力が迫ったことを直観し、男は咄嗟に魔方陣から飛び退いた。
それから数瞬遅れ、陣の真上に一人の女が降り立った。
長い黒髪を靡かせ、男を睥睨する女。
まるで穏やかでない登場。
力強い視線。
そして何よりも、男へと向けられた混じり気のない敵意。
間違いなくコレが力の正体だと、男は察した。
姿勢を低く、互いの一挙手一投足に気を配る。
敵を迎え撃つために。
軽やかに着地した女は、金髪の男を睨みつけた。
彼女はこの山一帯を守護する者だ。
守護とは単に景観を守ることを指すのではない。いや、もちろんポイ捨てや不法投棄等にも気を使ってはいるが、それ以上に。
女は龍脈を守っている。
女にとって、龍脈とは即ち神の持ち物だ。それを不心得者から守るのは、いわば当然の義務であった。
このような愚者は、定期的に現れる。
龍脈の力は膨大だ。それは到底人に扱えるようなものではないが、己ならばと勘違いする者は後を絶えない。
しかし、万が一ということもある。もしも利用され、邪気に汚染されるようなことがあれば、腹を切っても詫びられぬ。
さて、龍脈を守るため、女は文字通り飛んで来たわけだが、これは決して偶然の遭遇ではない。女には生まれつき、龍脈と繋がる才があった。
それ故に、龍脈に異物が混じるようなことがあれば、すぐさま感知できるのだ。特に最近は、この近くを術師が彷徨いていたという情報も得ている。
つまるところ、彼女は既に男が己の敵であると理解していた。
それは女を視認し、それからようやく敵であると認識した男との、決定的とすら言える差異だ。
故に、その激突の先手は女だった。
◆
男は思考する。
『(和装、日本の術師は……確か、シキガミとやらを使うんだったか)』
冷静にポーチから得物を取り出し、魔力を身体に巡らせる。
『(詳細までは知らないが、感覚的には使い魔や使役獣と変わらないだろう)』
男の知り合いにも、使い魔を嗾けることを主として戦う魔術師がいた。
『(周囲にそれらしい影はなく、得物の類を持っているようにも見えない……近接狙いでもないな)』
日本の術師が、単純な魔弾の魔術に近い術を使えるとは聞いたことがなかった。
であれば、恐らく女の最初の一手は召喚か、それに近い術だ。
維持にかかる力の消費を嫌ったか、あるいは単純な油断か。
奇襲の機会を逃し、敵の前で未だ主となる攻撃手段を用意していない。
これが単なる油断であるのなら、所詮はその程度。
別の理由があったとしても、召喚のタイミングは間違いなく隙だ。
『(術の使用を待ち、後の先で殺る)』
冷静に、男は己の中で戦術を整えた。
この間は僅か数秒程も経っていない。男が彼女を敵と認識してからは、瞬きの間とすら言っていい。その圧倒的な高速思考と組み合わせ、男が身体賦活の魔術を起動しようとしたその刹那。
「霊砲!」
純白の光線が闇夜を走った。
咄嗟に魔術を組み替え、障壁の魔術を起動する。
『なっ』
だが、放たれた光線は男の魔術を容易く食い破った。
対神秘への耐性を厚くした障壁が、ちり紙のように砕けた光景はあまりにも現実味に欠ける。そして障壁を貫いた光線は、勢いをそのままに障壁の奥にいた男さえも食らおうとした。
障壁の張り直し。
身体賦活の起動。
光線そのものへの干渉。
起動が間に合う魔術は精々一つ。
瞬間的に脳裏を過った対応は三通り。
これらは簡単に言い換えれば、受けるか、避けるか、逸らすか、だ。
さて、障壁が何の役にも立たなかった以上、受けることは現実的とは思えない。
では、避けることは可能だろうか。
これは無理だと、男は判断した。光線は速い。魔術自体は間に合うだろうが、回避まで間に合わせるのは分が悪い。
ならば、何とかして逸らすしかないのか。
しかし、これもまた現実的とは言えない。そもそも他者の術とは簡単に干渉できるようなものではないのだ。初見の相手、初見の術。解析する時間すら与えられていない状態では、不可能と言っても過言ではないだろう。
先制の一手目。
たった一撃。
それだけで詰みだ。
実戦ではままあること、とはいえ理不尽さを感じることは事実だ。
『ちっ……』
故に、男は切り札を切ることを選ばざるを得なかった。
女を仕留めるために取り出した得物、魔術を込めた宝石をふんだんにあしらった短剣を、光線に向けて放り投げる。
『"歪み"、"停滞"』
短剣が光に呑まれる直前、あしらわれた宝石が次々と罅割れ、光線を包むほどの光を放った。
『"
起動されたのは一つの魔術。
その場の空間を拡張するものだ。
空間に干渉するという高位の術式でありながら、齎された結果はほんの細やか。空間を拡げることによって、結果的に光線の到来を遅らせるという、たったそれだけの効果しかなかった。
本来であれば、決して男に辿り着くこともなく、力を失い消えるまで空間を進み続けるはずなのだが、その光線は男の魔術で干渉された空間すらをも食い破る。
しかし、男とてそれを予想していなかったわけではない。
初めの障壁を破られた時点で、光線に術式を破戒する力があることは理解していたからだ。
貴重な短剣が光に呑まれるのを横目に見つつ、生み出した時間を用いて、男は既に光線の軌道を外れている。
『(馬鹿げた威力の光線……魔弾の一種だとは思うが、流石にタメは必要だろう)』
激突は未だ継続中だ。
確かに今し方の光線には驚かされた。それどころかそのまま敗北する可能性すら大いにあった。だが、光線は驚異的であるものの、所詮は直線的な攻撃。回避してしまえばこちらのものだ。感じられた力の量から察するに、そう連発の効くような術ではない。
『"縛れ"! "
女が立っているのは、愚かにも男が刻んだ魔法陣の上だ。
本来の用途は違っても、それは男が描いた術式そのものである。別の術式に変換することは難しくない。
起動された魔術は、対象を荊で縛り、拘束するための術だ。
荊だけあり再生能力が高く、炎や氷を媒体にした術には弱いが、反面それ以外の術、先程の光線のような、術式自体への攻撃にも強い。
現状得られた情報では、この術が最も効果的だと、男は判断した。
男の声と同時、陣から生えた太く強靭な荊が女に絡みついた。
荊の締め付けは強く、生半な術師であればそのまま締め殺すことすらできる。特に陣を用いることによって起動された今回の術では、その強度は通常よりも高い。
更に油断なく、男は術式を重ねる。
ポーチから取り出したのは、幾つかの宝石。
夜の月に照らされたのは、美しく眩い紅色。
それは魅せるためのカットは施されていないものの、術式を刻むため、合理的に整えれたルビーだった。
元来、宝石には人の念が宿るとされている。
魔術的、神秘的観点において、それは事実である。
より厳密に語るのなら、人々が念が篭ると認識していれば篭るという、それだけの話でしかない。しかしその中でも宝石が受容できる念、あるいは魔力のキャパシティは非常に高く、中でも誕生石に数えられる宝石たちは、他と比べても圧倒的だ。
故に宝石とは、魔術師にとって最も汎用的な増幅器となる。
主に火の力を司るルビー、その石同士にも個体差はあるが、男が持つ石たちは既に厳選が済んだとっておきだ。一等強い受容力を持った石たちは、魔術師が集うオークションにでも出せば、一つ当たり数百万は下らない。
『"晒せ"』
それを贅沢にも五つ。
『"贖え"』
ルビーの一つひとつが罅割れ、真紅の輝きを放つ。
『"
荊と同じく陣から放たれたのは、火の魔術。
神秘を否定し、魔を焼く神聖なる炎だ。
これは女性、特に神秘を扱う者にはよく効く。
更に拘束に用いた荊は火に弱い。それはつまり、よく燃えるということだ。荊が燃えるということは、その荊に縛られた者もまたよく燃えるだろう。
実際のところがどうであれ、正当性のある魔術的解釈には結果が伴うようにできている。攻撃後拘束は解けるだろうが、打ち倒した後なら何の問題もない。
事前の魔術、及びルビーによる暴力的なまでの強化。
男の狙いは完璧に決まった。使用した魔術や手順はもちろん、術式の精度も会心の出来。熟練の術師であろうと、確実に殺害できたと確信する手応えだった。
そう、完璧だったのだ。
『は……?』
呆然とした男の呟き。
その視線の先では、先程と同等以上の力を持った二本の光線が、荊と炎を蹂躙していた。
あらゆる強化を。
あらゆる解釈を。
あらゆる術式を。
光線は男の繰り出した全てを否定し、破戒した。
『ありえねえ』
男の魔術は神秘を焼く。
それはあらゆる術式への特攻を持っている、と言い換えても良い。たとえ防御のための術を展開したとしても、あるいは術式を破戒する術を起動しても、荊諸共焼き尽くすだけの力がある。
元々がそれで、更にルビーによって術式自体の威力と強度を補強した。万が一光線やそれに近い力で防御されたとしても、それごと押し潰すために。
あの光線は、どう見ても神秘だ。
術式の破戒効果がぶつかれば、結果を決めるのは込められた力と術式の精度だ。精度に関しては前述通り、力もルビーでカバーした。
だというのに、逆に押し潰された。
それはつまり、あの光線には、少なくともとっておきのルビー五個分以上の力が込めれているということだ。
そんなもの、人間一人から放たれて良い力ではない。何より、まだ一発目の光線から数秒も経過していないのだ。当然だが、回復するような暇はなかった。
『くっ!』
ここに至り、ようやく男は彼我の差を理解した。少なくとも、無策で勝てるような相手ではない。
理解した男の行動は迅速だった。
破戒はされたものの、未だ完全には消えていない火の術式に干渉。
火は煙を出すものだと解釈し直し、神秘を焼く炎ではなく、神秘を隠す煙幕として術式を継ぎ接いだ。
それでもあの光線の前では永く持つまいが、逃げるための時間稼ぎにはなる。
身体賦活の術式を起動し、脚力を重点的に強化した男が山を駆け降りる。
それは間違いなく、敗走であった。
◆
「む……」
戦闘中、突如発生した濃い煙。
霊砲を振り回し、元を断った頃には、既にあの男は消えていた。
「逃した……」
女が敵手を取り逃したのは、随分と久しぶりのことだった。
霊砲と呼ばれた光線。
これは女が用いる必殺の術だった。
いや、厳密に語るなら、霊砲に殺傷力はほぼない。
霊砲は実に原始的な術である。
何故なら、単に霊力と呼ばれるエネルギーをそのまま放っているだけだからだ。通常、魔力や霊力といったエネルギーは、術式というある種の機構に込められて初めて力を発揮する。そのままでもある程度の力はあるが、術式を絡ませた場合とは雲泥の差だ。
霊力とは、龍脈に流れる力そのものであり、パワースポットと呼ばれる場所に満ちる力でもある。
それ故に、物理的な影響力は殆どなく、あるのは神秘に干渉する力だけだ。もしも霊力が身体に触れたところで、ほんの少し身体が軽くなったり、気分が上向く程度の効果しかないだろう。
だが、霊砲は確かに必殺、必勝の術だ。
彼女の霊砲に込められた霊力は尋常ではない。
水や塩が過ぎれば毒になるように、霊力もまた一度に取り込み過ぎれば毒となる。それでも、何の力もない一般人が相手なら、直撃したところで何も起こらないだろう。
しかし、こと術師が相手であれば話は変わる。
直撃した霊砲は、術師の身体に満ちる霊力や魔力を根こそぎ押し流す。さすれば必然、身体に残るのは自分ではない女の霊力、つまりは異物だ。まず確実に戦闘力は奪えるし、程度に差はあるが、異物感から平衡感覚を失い、気を失う者も少なくない。女は未だ知らないが、魔術師が相手であれば、魔力欠乏から即死させることもできるだろう。
そして男の魔術の悉くを破戒して見せた通り、対術式、対神秘性能は圧倒的だ。
対術師戦闘において、女はただの一度も敗北したことはない。
霊砲が初見の相手なら、大抵は初撃で決着が着く。
受け止められたことは一度もなく、避けられたとしても、二撃目、三撃目までを凌ぎ切られたこともない。
だからこそ、敵を取り逃したのは本当に久しぶりだった。
念のために周辺を捜索してみたものの、見つかったのは男が持っていた短剣のみ。ほんの一瞬とはいえ霊砲を止めていた辺り、これもかなりの逸品ではあるのだろうが、女は目利きがどうにも苦手だ。
それなり以上であることは分かるが、実際にどれほど貴重なのかはさっぱり分からない。霊砲の直撃を受けた以上、呪いの類の心配はないだろうが、時折子供も遊びに来る山に刃物を残していく訳にはいくまいと、女は装飾の罅割れた短剣を拾い上げ、裾に納めた。
結果的にはその全てを力技で捩じ伏せることができたが、全体的に翻弄された感覚はあった。無事逃げ仰られたことも含め、相当に手強い相手であったことは間違いない。
とはいえ、力の差は伝わった筈だ。
リベンジにやって来ることはないと思うが、どうにも不安が残る。
「……ま、いっか」
細かいことを気にしても仕方がない。
挑まれても、また叩き潰せば良いだけの話だ。
そんな傲慢な呟きを残し、女はくるりと踵を返した。
そして、女、神成美琴は。
最強の陰陽師は、月に背を向け、家へと帰って行った。
それは無様に逃げ帰った男とは正反対の、正しく凱旋そのものであった。
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