第3話 ナナと本当は面白いネコ

「わーん」

キッチンから、駄々をこねるように甘えた少女の泣き声が聞こえてくる。

それを追いかけるように、遠慮がちに励ますネコの声も。

ふたりぶんの足音が、この部屋とは反対側にある洗面所の方へ遠ざかっていく。


「こりゃあ、ナナとリンをいじめたね。コットン。まったく…本当は優しいネコなのに、もっと口がよければねぇ」

おおかた二人が体中泥だらけにして帰ってきたから、おどかして手を洗うように仕向けたのだろうと思った。


「コットンは優しいけど、気がきくほうじゃないからさぁ。やっぱりネコは賢い方がいいよねぇ。たとえば、そう…」

思ったことを全部声に出していたことに気づかなかった。

その場で自信ありげにくるりと回った瞬間、ふすまが勢いよく開いて2つの小さな影が姿をあらわした。


「あたしみたいに賢いネコ!」

あまりにも早く回転して、周りが見えてなかったのが災いした。

その姿を視認する前に、言葉の続きを口にしてしまっていた。

思っていても人に聞かれるのは恥ずかしい、その言葉の続きを。

あたしが言い終わるや否や、そこにいた何者かがふすまをぴしゃりとしめた。


しばらくの後。


「あずき、聞いて―!ナナたち、庭にトマト植えてきたんだよ」

「ナナちゃんがでっかい虫さんをたくさん捕まえてさぁ。そういえば、あずきは虫が大好きだったよね!」

素知らぬ顔で再入場した二人だったが、あたしの形相を見て固まった。

ナナもリンも汗を滝のように流し、目を泳がせる。


「……あずき、ごめん。聞いちゃった」

「でしょうねぇ!!」

恥ずかしさのあまり声が裏返って、真っ赤な顔を覆ってしまうあたしを、ナナとリンは何とも言えない目で見ていた。

「あずきは賢いよ、大丈夫!」

「うんうん!うちのネコの誰より賢い。…元気出して!」

褒められているのに、なぜか馬鹿にされている気がする。


「それで、虫は平気だったのかい?」

「うん!ちゃんと土に返せたよ」

ナナがそう言ってふんぞり返る。

リンはその後ろでモジモジしてるから、リンの方は勇敢に虫を追い払った……とは言い難いんだろう。


「あたしがいれば、パクンと咥えてやるのにさ」

「だーめー!前にあずきがセミを咥えてきた時、お父さんびっくりしてひっくり返っちゃったもん。お父さんはリンと一緒で、虫が苦手なんだから」

そこまで言って、ナナは顔を伏せた。

「苦手…だったんだから」


「ナナちゃん」

「ナナ……」

言葉がでなかった。こういう時、何て答えるのが正解なんだろうね。

ナナの父親も母親ももうこの世にいない。パパさんのことは過去形で語るのが正解なんだろう。でも……。


「ナナちゃん、苦手だからでいいんだよ。ナナちゃんのパパさんは虫が苦手だ。今だって!」

リンがいつものか細い声じゃなくて、おなかから大声を出したのにまずびっくりした。

それから、そうだ。その通りだ!と思った。


キョトンとしたナナの顔をまっすぐ見つめながら、リンは力強く続ける。

「パパさんは僕と一緒だ。だった、じゃない。今も一緒なんだ!」

ああ、あんたはいつの間にそんなに勇敢になったんだい。その勇気を褒めたたえたくて、「リン」と顔を覗き込んでギョッとした。

「ななな、なんて顔してるんだい。ぐしゃぐしゃじゃないか!涙も汗も鼻水も垂れ流して」

リンは指摘されたのが恥ずかしかったのか、真っ赤になった顔を掻くように2本の前足を動かした。

やっぱりあんたは泣き虫だね、リン。弱虫で、泣き虫で、守られて生きている。

こんなにみんなから愛される虫はいないよ。


「あずき」

しばらく黙っていたと思っていたナナがふいにあたしの名前を呼んだ。

「しっぽがブンブンしてる」

リンが泣くのを見ながら、あたしはしっぽをこれでもかというくらい振り回していたらしい。泣くのがうれしいんじゃないんだよ。

リンが本当は勇敢なのがうれしいんだ。


あたしは、また変なネコだと言われると思って苦い顔になった。しっぽは機嫌よくブンブン、顔は苦虫をつぶした表情。チグハグなあたしは確かに変だ。

そんなあたしを見てナナとリンはふきだした。

笑ってくれたことにホッとしたあたしは、二人と一緒に笑った。


賢くなくていい。こうやってみんなの涙を止められるなら、あたしはずっと面白いネコのままでいようと思った。

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