ナナと5匹のできるネコ

木端みの

第1話 ナナと本当は優しいネコ

 大きな鍋を前にして、コットンさんはうなっていた。

 白い体にピンク地に黄色の水玉模様のかわいいエプロン。

 背丈が低いコットンさんは、お酒が大好きだったお父さんが残していったビール瓶のケースをさかさまにして、それを踏み台にしている。

「うーん、たまねぎじゃないとすると一体…」

 推理しているわけじゃない。考えているのだ。

 家族のみんなのために、今夜の献立に必要な食材を。

「たまねぎはたまねぎだからたまねぎなのだ」

 最終的に、なぞなぞみたいな結論にいたったらしい。


 ちなみに、コットンさんはネコだ。

 ただのネコではない。とびきり優秀な、我が家のできるネコ。

 そのうちの一匹だ。


「ナナ」

 体がびくっとはねてしまった。

 コットンさんはこっちに背を向けているはずなのに、わたしのことが見えるの?なんで?


 そっか。できるネコだからだ!

 できるネコは普通のネコじゃない。

 この街に古くからまつられているネコ神社から特別な力を授けられたネコたちなんだから。

 なんでもできるに決まってる。

「うんうん」

 わたしが納得して満足げにうなづいたのもわかったらしい。

 コットンさんはひとつコホンと咳払いをした。


「ナナ、帰ってきたらまず手洗いうがいをしなさいと言っているだろう」

「さすがコットンさん!ナナが手洗いうがいをしていないこともお見通しなんだ!

すごい!さすが!できるネコは違うね。ひゅーひゅー」

「あたしを褒めたって、あんたに何もあげやしないよ。このカレーの味見がしたいんだろうけどねぇ。増えるのは、あんたの手の上のばい菌だけさ。ほら今にも増殖して、ひとつふたつ…あんたの手の上をうじゃうじゃと這いまわるやつらの姿があたしには見えるよ」

「ひいいいい!」

 わたしは自分の手を確認するのも忘れて、洗面所に走った。

 背が低いこどもとネコしか使わないから、洗面台の前にも横になったビール瓶のケース。その上をよじのぼって、蛇口をめいっぱいひねって滝行みたいに10本の指が冷たい水に打たれた。

 だけど排水溝に流れていく水の流れの中に、ばい菌なんかひとつも見つけられなくて「だまされた」とつぶやいた。時すでに遅し。

 はねた水滴でびしょびしょになった自分の顔を鏡で見ながら、わたしは重大な事実に気づいたんだ。


 エプロンをつけたコットンさんの背に顔をうずめたまま、くぐもった声で聞いた。

「ピーマン、入れたでしょ」

「はぁ?」

 自分の体と同じくらいの大きさの鍋を前に、両手で持ったおたまをぐるぐる回していたコットンさんの手が止まる。

 コンロの奥に立てかけた鍋のフタに不満そうに顔を上げたわたしの顔が映った。

 コットンさんがわたしに背を向けたまま、わたしの様子を見ることができる魔法の鏡だ。

 ずるいネコ。できるネコ、だけどずるい。

「うわーん」

「ななな、なんだい。急に泣き出して!手は洗ってきたんだろう?」

 ぐずぐずと鼻を鳴らしながら、わたしは「あらったもんー!」となんとか答えた。


「じゃあ、他のネコを呼んできて。今日はカレーだよ」

 コットンさんがその言葉を口にすると、台所の陰で隠れて見ていたネコたちが思わず飛び出した。口々に「カレー!」「カレー!」と叫んでいる。

 ネコが喋ってるなんてツッコミはなしだ。うちのネコはみんなできるネコなんだから。

 喋るなんて、朝が来るのと同じくらい当たり前だ。

 カレーにたまねぎが入ってるくらい当たり前。


「たまねぎは…」

 わたしが言いかけた時、狂喜乱舞していたネコたちが動画を一時停止したみたいに固まった。

 そして、ぶるぶると震えだす。

「ナナちゃん、その名前を口にしたら…」

 リンが今にも泣きそうな顔でこっちを見上げる。

「たまねぎ」

「ひぃ!」

「ナナ、その名前だけは言っちゃダメ!絶対ダメー!」

 あずきが今にも発狂しそうな表情で叫ぶ。その気持ちを表しているかのように髭がぐにゃぐにゃと絡み合い、細い体はさらに細く長く伸びた。

 ムンクの叫びみたい。

 違う、これはあずきの文句の叫び!

「ナナ!お願いだから、オレたちの天敵の名前を言わないでくれよ」

 がっしりした大きな体をくねらせるのは、びゃく。

「たま…」

「たま!そう、たま!だ!続きを言わなければセーフセーフ。たまっころがしの球だよな。おいらもなれるぜ。おいら、元から丸っこいから。あたまとあしを隠せばほーら、た…」

「たまねぎ!」

 ひぃ~~~!私が叫ぶと、ネコたちはいっせいにひっくり返った。

 たまのように丸くなったウシが、しまいわすれたしっぽも折れた。

 あ、しっぽは元から折れてたんだ。リンとびゃく以外の3匹はかぎしっぽのお曲がりネコだからね。


「たまねぎは入っとらん」

 コットンの一言で、みんな一斉に起き上がり、また「カレー!」とうれしそうに声をそろえた。

 その一方で、今度はわたしがひっくり返る番だった。


 ネコがねぎを嫌いなのは知ってるよね?じゃあわたしの嫌いなもの知ってる?

 それはピからはじまってンで終わるの。間にマっていう文字も入ってる。

 

 そうそれ。

 ねぎのかわりに、コットンさんはカレーにピーマンを入れた。

 その決定的な証拠をわたしは見た。コンロの奥に立てかけられた、鍋のフタに。

 みどりいろの、あのかたち。


「なーなちゃん、起きて!」

「カレーおいしいよ」

「ナナ、いい加減起きんか」

「おいしーおいしー」

「特にこの、緑色の……」


「ギャー!」

 ふとんを吹っ飛ばしてはね起きた私の口に瞬時に差し込まれたスプーン。

 思わずゴクンと飲み込んだ。この史上最悪の食感を、私はよく知っている。

 …あれ?

「苦くない」


「これはピーマンじゃない」

 コットンさんが背中越しにつぶやいた。

 自分もカレーを食べながら、他のネコの空いてる皿に次々とおかわりをついでいる。

「ナナはピーマンが苦手だろう。わたしたちが苦手なたまねぎを避けるのに、お前にだけ嫌いなものを食わせんよ。これはパプリカだ」

 思わず口から空になったスプーンが落ちた。


 …できるネコすぎるでしょ!


 その日、全員がカレーをおいしく食べられた日。

 パプリカは甘いピーマンとして、わたしの好きな野菜リストに加えられた。

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