第10話 誰ガ為ノ敵討

 扉を三回、叩く音がする。


「……ヴィオラ、入るよ」


声の主・イージスは、そっと、ヴィオラのいる部屋へと足を踏み入れた。ベッドの上で虚ろを見つめるヴィオラ。イージスは椅子をベッドの横に置くと、そこに座り、静かに問う。


「気分はどう?」


返事はない。


「僕はそろそろこの街を出るよ。この街も、僕自身も、長居すると危険な目に遭う。だから、ここでお別れだ」


イージスは心苦しそうに話すと、そっと彼女の頭を撫で、


「ごめん。全部、僕のせいだ。ごめんな」


そう言い残すと、ふと立ち上がった。それを、ヴィオラは引き止める。


「……連れて行って」

「え?」

「仇を討つの。両親の、仇を」


イージスの右腕を掴むその手は、震えている。到底、敵討なんてできる精神状態ではない。


「敵討なんて何も生まない。やめなよ、そんなもの」

「頭の良いあなたが言うなら、それは正しいのでしょうね」

「なら」

「でも」


ヴィオラはイージスの言葉を遮り、ベッドから身体を這い出す。そして、改めてベッドに座ると、イージスの右腕に縋りつきながら言った。


「私がやらなきゃ。両親を殺したあいつらを、あなたを襲ったあいつらを、私は匿っていた。そういうことでしょ。本当に両親を愛していたなら、どこかで変化に気がつけたはずだった。私の怠慢があなたを傷つけた。私が落とし前をつけなくちゃ……」


復讐は何も生まない。それでも、彼女はその道を選んだ。それを、己の義務だと思い定めて。


「この通り腕も治ったんだ。君が気負うことはない。そもそも奴らは僕を狙っていた。元凶は僕だ。僕が片付けておく。君はこのまま……」


ヴィオラはイージスの言葉を最後まで聞くことなく、彼の腰に抱きつく。


「連れて行って。お願い」


強く掴まれたために、身動きが取れない。どうしたものかと困惑するイージスに、ヴィオラはその腰に顔を埋めると、小さな声で


「……言い方を変えるわ。怖い。そばにいて。一人にしないで」


そこでようやく、イージスはヴィオラの方へと体を向けた。彼女の表情は、あの時のサラとは違った。これは、怒りにより復讐を決意したのではない。深い悲しみから、自分を守るための防衛である。


(復讐という目標を設定することで、延命しているのか)


しかしこの場合、本当に延命処置に過ぎない。復讐を遂げた時、彼女はいよいよ生きる希望を失い、自殺するかもしれない。


(賢明とは言えない考えだな)


イージスは頭を悩ませた。どうしたら、彼女が平穏に暮らせるのか。サラに預けるのが一番だと思っていた。しかし、彼女にとってサラは、所詮『他人』である。家族にはなれない。気を使うなと言う方が無理な話である。


「……わかった。危険な旅ではあるが、君に、それを乗り越える覚悟があるのなら。いいよ、一緒に行こう」


彼女を真の意味で救うことはできない。ただ、唯一、寄り添える方法があるのなら。イージスとジョーカーのように『旅仲間』として生活を共にすること。危険は伴うが、自殺するよりは幾分かマシであろう。要するに、イージスらがヴィオラのことを守れば良い話なのだ。たったそれだけで、彼女の人生はその道を延ばす。


「それから、一つだけ約束して欲しい」


イージスは彼女の目を真っ直ぐに見据えると、真剣な表情と声色で言う。


「戦闘になった時、僕の指示は絶対だ。勝手な行動は許さない。もしこれを守れないのなら、命の保証はないし、この旅に連れていくこともできない」


「どうする?」とイージスは手を差し出す。彼が様々なことを懸念する一方、ヴィオラはすぐにその手を取った。


「約束する」


 ジョーカーに、ヴィオラのことを伝えておかないとな。そんなことをぼんやりと考えていると、廊下からバタバタと足音が聞こえてくる。全力疾走かと思われるその音は、近づくと同時に消え、代わりに、扉がバンッと勢い良く開けられた。


「お兄ちゃん! 大変、お父さんが……」


サラが何かを言い切る前に、イージスは、躊躇なく妹に向かって発砲した。


「お、お兄ちゃん……?」


弾丸がサラの右頬を掠める。


「お前に兄と呼ばれる筋合いはない」


ピリッとした空気が流れる。流石のヴィオラもイージスの発言で、彼女が本物のサラではないことは理解した。


「……チッ、鋭いわね。なんでわかったの?」


女性は変身を解くと、おそらく、本来の自分の姿になった。空色の髪が、短く、丁寧に、切り揃えられている。髪と同じ色の目が、イージスを睨みつける。


「僕の妹は勇敢だからね。僕を頼る前に行動に起こす。僕を頼るのは、ボロボロになってから。死ぬ間際まで一人で粘るはずだ。特に父さんがピンチになったのなら」


人間観察が甘い。イージスは苛立ちながらそう言い放つ。イージスの発言に、ヴィオラは納得した。思い返せば、サラが人を頼っている場面をあまり見たことがない。特に戦闘訓練では、真っ先に攻撃を仕掛ける子だった。防御も策略も無用。そんな子である。


「次は僕の質問に答えてもらおうか」


イージスは一瞬だけ手に力を込めると、一呼吸置いてから、女性を見据えて問う。


「サラをどこへやった?」


たった一言。これだけである。しかし、それは地を這う毒蛇の如く。一度ロックオンされればもう逃げられない。鋭い眼光は束縛性を持ち、気を抜いたが最後。噛み殺される。そう本能が告げる。


「……簡単に喋ると思う?」

「拷問がお望みか? ならば、少しずつお前の体を刻んでいくか」

「中立国のお優しい救世主様が、そんなこと、できるの?」

「試してみるか?」


意外と強気なんだな。二人がそう思った刹那、イージスはもう一発、弾丸を放った。今度こそ威嚇射撃ではない。弾丸は、右腕に命中する。


「なっ……?!」

「アレルゲンXのお返しだ」


悪びれることなく言うものだから、嫌でも理解してしまった。


(本気で、拷問する気……!?)


思いもよらないイージスの言動に、ヴィオラは体を強張らせる。ヴィオラだけではない。戦闘には慣れているはずのこの女性も、それは同じだった。


「逃げないのか? ならば、次はここだ」


このセリフでようやく逃げようと動いた女性をイージスは容赦なく射撃する。次は左脚。壁は血飛沫に彩られ、床は血の池を作る。


「僕が、中途半端な覚悟でここに立っていると思うのか? 光族と闇族、双方に喧嘩を売りに来た男だぞ?」


優しかった黄緑の瞳が、ゆらりと殺気に揺れている。そのオーラは、圧は、確かにジグルドを連想させた。いつかの兄、パトリックにも似ている。


「アルタナヴィア家の家訓。一度決めたのなら最後まで貫き通せ。中途半端は許さない……」


右腕と左脚が動かない敵に、イージスはそっと近づくと、その額に銃を突きつけた。恐怖に身を震わせる彼女にはお構いなく、冷たい視線と重みのある声を向けて言う。


「最後のチャンスだ。サラをどこへやった?」


「十、九、八……」とゆっくりカウントダウンを始めるイージス。ゼロになった時、どうなるなんて考えなくてもわかる。


「そ、倉庫……ローゼ家の、離れの倉庫!」


情報を聞き出すや否や、イージスは女性の腹を思い切り蹴ると、そのまま首を踏みつけた。


「イージス!」


ヴィオラが止めに入る頃には、既に女性は気を失っていた。


「死んではいないよ。気絶させただけ。出血量的に、もう時間の問題だけど」


平然と話すイージスだったが、微かに銃を持つ手が震えているのが見える。ぎょっとして彼の足元に目を向ければ、足も震えている。


「もしかして、今までの全部、虚栄?」


ヴィオラはストレートに聞くが、返事はない。


「ねぇ、なんとか言ったら……」


なんとか言ったらどうなの。ヴィオラの言葉が届く前に、イージスはその場に崩れ落ちる。


「イージス?」

「……た」

「え?」

「はじ、めて……ひ、ひとを……こ……ころ、した……」


軽い音を立てて銃が床を跳ねる。


 そこから先は酷かった。どれだけヴィオラが呼びかけても、イージスは、文章にもならない言葉を繰り返すばかり。確かめるように、また戒めるように、「人を殺した」と。そんな旨の言葉をデタラメに並べていた。

 白い肌は、血の気が引いてより一層白くなり青ざめていく。ペリドットのような美しいその瞳からは、ぽろぽろと大粒の雫が零れ落ちる。細い体は忙しなく、細かく、上下を繰り返し、全身に汗が滲む。呼吸は不規則に行われ、稀にヒュッと空回る音が聞こえる。


 ヴィオラは目の前の男を抱きしめた。両親の仇が死にかけている。それでも、そんなことを気にする間もないくらい、彼のことを想った。今はただ、この男のことが心配だった。

 たった一人の人を殺すことにこんなにも心を痛める男が、この先の戦いで、どうして平然と生きられよう。

 それでも彼は行くと言うのだ。果てしない、長い戦いの極地へ。


(私は、私を受け入れてくれたあなたの支えになりたい……)


彼女の中には、もはや、「両親の敵討」などという言葉はなかった。生きるために縋った旅に意味が生まれる。「イージスを支えたい」と。


 ヴィオラの目に覚悟の光が宿る。強い意志を宿したそれは、勝利、ただそれだけを見据えていた。

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