第3話 入学式と少女の飛び降り
桜舞う都会の下町では歩きなれない通学路を真新しいブレザーで歩く学生達でごった返していた。
新生活の春。季節は嫌いでも、新たな生活に胸を踊らせる気分は好きだ。
来週にはリコとここを歩くのか。踊る妄想を頭一杯にしていると、自然とスキップなんかもしてしまう。
おっといかんいかん。これではまた勘違いされてしまう。
赤面して俯きがちに歩き出したが、時すでに遅し。視線を釘付けにした挙げ句、ヒソヒソと聞こえるギリギリの声で話し出す男性陣の姿が映る。
「なんだあのズボン美少女は」
「もしかして新入生か? あの子と同じクラスになれますように」
いつもの事だと涼しい風で受け流すも、見えなくなったところで小さく嘆息した。
艶のある男にしては長い茶髪、鼻も小さく愛らしい顔をしている悠里は所謂『男の娘』という人種だ。女性に間違われることが多い。
入学シーズンのちょっとした憂鬱だった。気づけば歩くペースが上がって、足早に通学路を去っていた。
小綺麗な道を右へ左へとうねるように進んで行った。
高速道路の高架下を抜けると並木道の木々から煉瓦調の壁とガラス張りの昇降口が覗く。
広々とした下駄箱を抜けると、吹き抜けのピロティには恒例クラス分けの掲示板がデカデカと張られていて人だかりが出来ていた。
距離は20メートル。文字を判読するには少しばかり遠いが、
「そんなときのための双眼鏡なのよ」
ぽつりと独り言を呟いて、背負っていたリュックサックから双眼鏡を取る。
ゴテゴテとした双眼鏡を持つ見た目美少女の男子生徒。物騒な装備を出した悠里を新入生どころか眺めていた在校生の眼すら釘付けにしていた。
「……なんかまた視線を集めてる。さっさとここから離脱しよ」
こういうとき、あ行の苗字は上に来るから探す手間が省ける。名乗ってくれたご先祖には感謝しかない。ありがとうご先祖様。
組の下にあった自分の名前を確認して掲示板から離れようとしたそんな時、
「そこの双眼鏡美少女! ちょーっと良いかい!」
ピロティの喧騒にキンと響いた声。悠里は周りが掲示板の反対を見ているのに気づいて振り向いた時、その場の全員が青ざめた様子で飛び降りる一人の女子生徒を見ていた。
悲鳴が耳を劈く。こんな白昼堂々と飛び降り自殺?! 落ちてくる身体を避けようと反射的に身体が動く。
けれど落ちる寸前に急制動して羽のように柔らかく着地。
飛び降りる姿に気を取られていたからか、いつの間にか極太のロープが垂らされていて悠里の前を塞いだ。
「よぉっと」
新入生全員の視線が向く中、美しいくの字を書いた身体が加速して落っこちてくる。
ひらりと舞うスカート。中は黒いスパッツを履いていてパンツは見れないと、そんな場合ではないとどよめく新入生たち。悠里の心臓も鼓動を速めてマジマジと視線を注いでいた。
あわや転落か。皆が起こり得るだろう悲劇に瞼を閉じた瞬間、空中でブレーキが掛かり彼女は地面を撫でるように足をついた。
ツンと吊り上がった瞳が悠里を据え、ふわりと落ちた艶やかな黒髪がシャンプーの香りを振りまいた。良い匂い。
「いやぁ騒がせたね。こりゃ失敬、新入生の諸君」
「……み」
「み?」
「見事なラペリングでした! 凄い! なんであんな綺麗に下りられるんですか?! どこで習ったんですか?! タクトレとかしてるんですか?!」
「お、落ち着きたまえ後輩君」
不意に鼻息を荒らげて前のめりに質問をぶつけてしまった。
ラペリング。主に崖や壁、ヘリなどからロープで降下する技術だ。
高いところから降下するというだけでも相当な度胸が必要なのに、彼女は恐れもせず淡々とピロティに降り立った。
周りはキョトンと彼女に奇異な視線を向けているが、サバゲーで研ぎ澄まされた本能がこうささやく。
かなりの手練れだ。この人は強い。
「ゆっくり話したいのは山々なんだが、君もこの後は色々あるだろう。だから単刀直入に言う。我が城西高校『236部』に来ないか?」
悠里はその言葉に視線を鋭くした。
.236はサバイバルゲーム(サバゲー)から発展した競技型エアソフトスポーツの一つ。
アウトドアやインドアのフィールドで6mmのBB弾を用いて戦う。基本は従来のサバゲーや始祖を同じくするUABとの差異はない。
だが236の特筆すべき点は非物理型の肉体トラックセンサーでのヒット判定と非可視レーザーでの測距による威力調整にある。
これにより実際の銃と同じ射程距離が実現され厳密な被弾判定が可能となった。
自己判定自己申告だったサバゲーはいつしかスポーツとしての地位を獲得していき、波及から十数年経った現在、そのプレイヤー人口は推定百万人。
全国の中学や高校には『236部』が設立され、ライセンス方式で銃を所持する中高生も珍しくないほどの一大ムーブメントを築き上げていた。
サバゲーと一緒くたに括られていることもあるが、正式名称は『.236』である。
「……部活の勧誘って訳ですね」
「ま、そういうとこだ。自己紹介がまだだったな。私は二年『安土 涼』さっきの返事は後でいい。新入生の部活解禁は一週間後だ。あとこれ、入部届。名前を書けば完結する仕様になってる」
豊穣な胸の谷間からふやけた入部届を引き出す。色気はあるが古い。
「さてそろそろお暇させてもらうよ」
カナビラからロープを引き抜いて悠里の後ろを覗いた。
「まーたお前か安土!」
「おっと生活指導の笠松先生だ。全くモテる女は大変だよ。良い返事を期待してるぞお嬢さん」
顎をクイと上げて口説き文句のように囁くと、彼女は逃げるように走り出した。
「あ、えっとー」
「なんだ? もう返事を出すのか?」
「俺、男です」
可憐な先輩『安土 涼』は、頬を赤らめて全力疾走で逃走していった。
正直、ちょっと勇ましいお姉さんの口説き文句も悪くはないな……目覚めそうな自分がいることに悠里は首を振って邪念を振り切ろうとした。
入学式は恙なく終わってホームルーム。
一クラスの人数は三十人程度。担任の教師が自己紹介を終えると、次は生徒の番であ行から始まる悠里がトップバッターだった。
この時ばかりはこの苗字を名乗った祖先をちょっぴり恨む。
「新井 悠里と言います。こんな容姿をしてますが男です。趣味はサバゲーでこの学校に『236部』ってのがあるみたいなので来ました。一年間よろしく」
教壇で名前と性別を名乗って無難に済ませると、困惑するクラスメイト達の顔が映った。
後ろの方ではひそひそと何やら小声で話をしている。その「本当に男なの」って反応やめて欲しい。
しかし一通り見渡してると一際驚いている女子がいることに気がついて視線が吸い付く。
黒髪のボブヘア。丸い眼鏡を掛けていて、初めて会った気がしない。
目を眇めて天井から床、窓ガラスに目を泳がせたときに思い出す。
鮮烈なまでの戦闘の記憶と共に。その瞬間、彼女の名前が口を突いて出た。
「片岡 咲良!」
ギクッと何かマズい事でもしたのかというように身体をビクつかせた。
片岡 咲良。弾丸を可憐に避けながら迫る死神のような少女だ。あの時の死闘は今でも脳裏に焼き付いている。名前は忘れていたけれど、あの戦いだけは忘れようがない。
担任教師の咳払いに気づいて自席へ戻る。
もはや彼女以外のことが頭から抜けて他の自己紹介が頭に入ってこなかった。
そして咲良の番が回ってくる。
「か、片岡 咲良と言います。昔から人前で話すことが苦手で……あっ趣味はえーっと、特になくてですね、最近は読書とかよくします。一年間、仲良く出来たらいいなって思ってます」
時折声が裏返ったり、身体をもじもじさせたりと落ち着かない様子だったが、悠里は首を傾げる。
でもサバゲーが趣味って女の子じゃ公言しづらいもんな。危ない奴って思われたりもするしなどと勝手に納得してその時の違和感は収まった。
クラス全員の自己紹介が終わり、ホームルームは解散になった。
悠里はすぐまさ咲良の元へ話し掛けに行った。
「久しぶりだね。三週間ぶりぐらいかな?」
コクリと咲良は頷く。
「まさか同じ高校だったなんて思わなかった」
「わ、私も、です」
「さっきは大声で呼んじゃってごめんね。びっくりさせたよね」
「ぜ、全然! 大丈夫です! はい」
咲良の挙動不審ぶりが第一印象からは少し離れた印象を抱く。
気さくに話しかけたつもりが動揺を察して話題を変える。サバゲーの話ならきっと彼女も話しやすいだろう。そう思っていた。
「あれからサバゲーの調子はどう? あの日の夜、戦いの興奮で寝れなくて、また片岡さんと戦いなって思ってたんだ。そうそう、さっき上級生から『236部』の勧誘を受けたんだけど、それがもう強烈なインパクトでさ」
興奮冷めあらぬ様子で話す悠里に対して咲良はじっと黙っていた。
同じ部に入るのだとしたら彼女ほど心強い味方はいない。ドゥーガルガンの正確無比な予測をも立ち回りと戦闘術は無類、スーパー高校生級の逸材だ。
味方になるだけじゃない。戦いを通じて自分の成長にも繋がる。それにドローゲームでは煮え切らないだろう。悠里はきっと咲良も部に入るだろうと確信を持って誘いの言葉を口にする。
「そうだ。片岡さんも236部に入るんだよね? あの時の強敵が今度は仲間かぁ。頼もしすぎるよ。百人力だよ」
「もう辞めたんです。サバゲー」
……え?
ボソリと呟くような声に愕然としてしばらく言葉が見つからなかった。
「この高校には236部があるから通い始めたんですけどね。もう良いかなって」
「もう良いって。片岡さんほどのサバゲーマーがどうして、なんで」
再会はほんの数週間ぶり。あの時言葉を交わしたときはとても健気で覇気があった。
しかし今はすっかりと消え失せている。一体、何があったというのだ。
「つまらなくなっちゃったんです。だから私の前で、金輪際その話をしないでください……」
突き離すような物言いで咲良は席を立った。
悲しみと憤りが胸を騒がせる。だが波立つ感情を抑えて、悠里は言葉を継ぐ。
「何があったんだい?」
「何がって……それを知ってどうするんですか?」
「誤魔化すのは悪手だよ。実力もあって突然きっぱりやめますなんておかしいじゃん。そんな簡単に捨てられるわけない。怪我? それとも人間関係?」
「……ウザイですよそういうの」
まさか、ほぼ初対面の人間からウザイという罵倒を聞かされるとは思ってもみなかった。
聞こえないように小声で呟いた後、露骨に溜息をついて咲良は答えた。
「つまらなくなったから辞めた、それで十分じゃないですか。うんざりなんですよ」
これ以上聞かないでくれと、逃げるような足取りで彼女は教室を出て行く。
その表情は何かを強く恨んでいるように強張っていた。
理由も知らないままでは釈然としない。引き留めようとすれ違った彼女を追ったが、その姿はすでになかった。
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