各駅停車みらい行き

藤堂こゆ

月曜日

『各駅停車みらいヶ丘行きでございますぉお乗りの方はぁ足元にお気をつけくださいぃ』


 聞き慣れた癖のあるアナウンス。私はホームと電車との隙間に十分に気をつけながら、やや時代遅れのビジュアルの電車に乗り込んだ。

 扉のすぐ右の席に腰を下ろす。

 四両編成のうちの第二号車。車内はがらんと、と言うほどではないが、空いている。


 ネクタイを緩めたサラリーマン、エスニックな格好をした女の人、ヘッドホンをつけた若い男の人、つまらなそうにスマホをスワイプするギャル。

 虚ろな目で向かいの窓を見つめる男子高校生。

 外はすっかり暗闇。窓を覗いても点々とまばらな街灯を背景に冴えない顔が見つめ返してくるだけで、いいことなんか一つもない。


 そろいの制服を着たちょっぴりチャラそうなカップルが、向こうの扉にもたれかかってこそこそと話している。別に恋人が欲しいとも思わない。


『かぁくえき停車みらいヶ丘行きでございまぁす――』

 ――このローカル線に各駅停車もなにもないのだが。


 荷物と自分とで二人分の座席を占領しても、怒る人は誰もいない。

 いつからだろうか。

 この電車の中が私の唯一の安全地帯になったのは。


 電車は律儀に各駅に停車して、乗客を一人また一人と降ろしていく。その間、私の指はスマホのテンキーの上を飛び回る。


 電車の揺れに、つるっと滑って打ち損ねる。バツ、バツ。膝に腕をついて安定させる。トトトトト……。爪がカツンとぶつかっても気にしない。

 人差し指から中指へ、選手交代。

 トトト、トン。

 ふと顔を上げると、乗客は私一人になっていた。


 腕をだらりと下ろし息を吸う。網棚越しの天井を仰いでゆっくりと肺を空っぽにしていく。その息は車内の空気に溶けて、薄紙のように広がっていく。

 どんなに薄まったとしても、消えてしまうことはできない。


 もう誰も乗ってこないはずだ。終点まであと三駅。私が降りるのは終点の一つ前。


『各駅停車みらいヶ丘行き――』


 伏せた瞼の向こう、がちゃこん、と扉が開く音。

 こつん、と軽い音が聞こえた。

 こつ、こつ、こつ。

 もわりと広がる外気とともに何かが入ってくる。

 目を閉じているのに耐えかねて、寝たふりをしながら薄目を開けた。

 新たな乗客が車内の空気をかき乱していた。

 女の人。

 特別美人という訳ではないが顔のパーツは整っている。黒い髪はさっぱりと一つ結び。何の面白味もないパンツスーツを着ていて、しかし、それ故にこの電車内ではひどく異質で目立って見えた。

 見ない人だ。きっと仕事か何かで来てるんだろう。


 女の人は迷いなくパンプスの靴底を鳴らして私の斜め前に座る。

 鞄を置いた席のちょうど真向かい。なんだか今になって罪悪感が込み上げてきて、目を閉じたまま鞄の肩紐をぎゅっと握った。


 誰も動かないし、何も言わない。目を閉じていると女の人の存在なんか忘れてしまいそうになる。

 閉じた唇と瞼にほんの少し、少しだけきゅっと力が入る。


 何気ない風に顔をうつむかせ、手を組んで肩の筋を伸ばす。扇風機のように息を吐き、すっと目を開く。


 顔を上げて見て、人形みたいだ、と思った。

 女の人はすごく綺麗な姿勢で、そろえた腿の上で手を組んでいる。感情の読めない目で私の足のすぐ右、黄ばんだ床と座席の側面との中間あたりを見つめている。

 私は足をわずかに動かした。直接見られていないとしても、視線が近いのは少し具合が悪い。

 どこか思い詰めたような目。

 そこに何か親しみのような、懐かしさのような、よくわからない感情を覚えた。


 思わず口を開きかけて、

『各駅停車ぁ――』

 しかしその言葉は癖のあるアナウンスに飲み込まれる。


 唇を噛み締め、重い鞄を持ち上げて逃げるようにホームと電車との隙間を飛び越えた。

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